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1Q84 (1-10)

时间: 2018-10-13    进入日语论坛
核心提示:第10章 天吾      本物の血が流れる実物の革命「のりかえる」とふかえりは言った。そして再び天吾の手をとった。電車が立
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第10章 天吾
      本物の血が流れる実物の革命
 
 
「のりかえる」とふかえりは言った。そして再び天吾の手をとった。電車が立川駅に到着する直前のことだ。
 電車を降り、階段を上下して違うプラットフォームに移るあいだも、ふかえりは天吾の手をいっときも放さなかった。まわりの人々の目には、二人は仲の良い恋人たちとして映っているに違いない。年齢はけっこう離れているが、天吾はどちらかというと実際の年齢よりは若く見えた。身体の大きさの違いも、傍目にはきっと微笑ましく映っていることだろう。春の日曜日の朝の幸福なデート。
 しかし彼の手を握るふかえりの手には、異性に対する情愛らしきものは感じられなかった。彼女は一定の強さで彼の手を握り続けていた。その指には、患者の脈を測っている医師の、職業的な緻密さに似たものがあった。この少女は指や手のひらの接触を通して、言葉では伝えることのできない情報の交流をはかっているのかもしれない。天吾はふとそう思った。しかし仮にそんなやりとりが実際にあったところで、それは交流というよりは一方通行に近いものだった。天吾の心にある何かを、ふかえりはその手のひらから吸い取り感じ取っているかもしれないが、天吾にふかえりの心が読めるわけではない。しかし天吾はとくに気にしなかった。何を読み取られるにせよ、ふかえりに知られて困るような情報や感情の持ち合わせはこちらにはないのだから。
 いずれにせよこの少女は、異性としての意識はないにせよ、自分に対してある程度の好意を抱いているのだろう。天吾はそう推測した。少なくとも悪い印象は持っていないはずだ。そうでなければ、たとえどんな[#傍点]つもり[#傍点終わり]があるにせよ、これほど長いあいだ手を握り続けていることはないはずだ。
 二人は青梅線のプラットフォームに移り、そこに待っていた始発電車に乗り込んだ。日曜日とあって、登山のかっこうをした老人たちや家族連れで、車内は予想したより混みあっていた。ふたりは座席には座らず、ドアの近くに並んで立った。
「遠足に来たみたいだ」と天吾は車内を見まわして言った。
「てをにぎっていていい」とふかえりは天吾に尋ねた。電車に乗ってからも、ふかえりはまだ天吾の手を放してはいなかった。
「いいよ、もちろん」と天吾は言った。
 ふかえりは安心したように、そのまま天吾の手を握り続けた。彼女の指と手のひらは相変わらずさらりとして、汗ひとつかいていなかった。それはまだ彼の中にある何かを探ったり確かめたりし続けているようだった。
「もうこわくない」と彼女は疑問符抜きで尋ねた。
「もう怖くはないと思う」と天吾は答えた。それは嘘ではなかった。彼を襲っていた日曜日の朝のパニックは、おそらくはふかえりに手を握られたことによって、確実に勢いを失っていた。もう汗もかいていないし、硬い動悸も聞こえない。幻覚も訪れなかった。呼吸もいつもの穏やかな呼吸に戻っている。
「よかった」とふかえりは抑揚のない声で言った。
 よかったと天吾も思った。
 電車が間もなく発車するという早口の簡単なアナウンスがあり、やがて旧弊な大型動物が目覚めて身震いするみたいに、ぶるぶるという大げさな音を立てて車両のドアが閉まった。電車はようやく心を決めたみたいにゆっくりプラットフォームを離れた。
 天吾はふかえりと手を握りあいながら、窓の外の風景を眺めていた。最初はごく当たり前の住宅地の風景だった。しかし進むにつれて武蔵野の平坦な風景が、山の目立つ風景へと変化していった。東青梅駅から先は線路が単線になった。そこで四両連結の電車に乗り換えると、まわりの山はまた少しずつ存在感を増していった。もうこのあたりからは都心への通勤圏ではない。山肌はまだ冬の枯れた色を残していたが、それでも常緑樹の緑が鮮やかに目につくようになっていた。駅についてドアが開くと、空気の匂いが変わったことがわかった。もの音の響き方も心なしか違ってきたようだった。沿線に畑が目立つようになり、農家風の建物が増えていった。乗用車よりは軽トラックの数が多くなっていった。ずいぶん遠くまで来たみたいだな、と天吾は思った。いったいどこまで行くのだろう。
「しんぱいしなくていい」とふかえりは天吾の心を読んだように言った。
 天吾は黙って肯いた。なんだかこれから結婚の申し込みに、相手の両親に会いに行くみたいな気分だな、と彼は思った。
 
 二人が降りたのは「二俣尾《ふたまたお》」という駅だった。駅の名前には聞き覚えがなかった。ずいぶん奇妙な名前だ。小さな古い木造の駅で、二人のほかに五人ほどの客がそこで降りた。乗り込む人はいなかった。人々は空気のきれいな山道を歩くために二俣尾までやってくる。『ラ・マンチャの男』の公演や、ワイルドさが評判のディスコテックや、アストン・マーチンのショールームや、オマール海老のグラタンで有名なフレンチ・レストランを目当てに二俣尾に来る人はまずいない。そこで降りる人々の格好を見ればその程度の見当はつく。
 駅前には店と呼べるほどのものはなく、人気《ひとけ》もなかったが、それでもタクシーが一台だけ停まっていた。おそらく電車の到着時間にあわせてやってくるのだろう。ふかえりはその窓を小さくノックした。ドアが開き、彼女は中に入った。そして天吾にも乗るように手招きした。ドアが閉まり、ふかえりは運転手に短く行き先の指示を与え、運転手は肯いた。
 タクシーに乗っていたのはそれほど長い時間ではなかったが、道筋はひどく複雑だった。険しい丘を登り、険しい坂を下り、すれ違うのに苦労する農道のような狭い道路を通った。カーブや曲がり角がやたら多かった。しかしそういうところでも運転手はあまりスピードを落とさなかったので、天吾ははらはらしながら、ドアのグリップにずっとしがみついていなくてはならなかった。それからスキー場みたいな驚くほど急勾配の斜面を登り、小さな山の頂上らしきところでタクシーはようやく停まった。タクシーというよりは遊園地の乗り物に乗っているみたいだった。天吾は財布から千円札を二枚出し、釣り銭と領収書をもらった。
 その古い日本家屋の前には、ショートタイプの黒い三菱パジェロと、大きな緑色のジャガーが置かれていた。パジェロはぴかぴかに磨かれていたが、ジャガーは旧式のもので、そもそもの色がわからなくなるくらいたっぷりと白いほこりをかぶっていた。フロントグラスも汚れっぱなしで、しばらく運転されていないように見える。空気ははっとするほど新鮮で、あたりには静寂が満ちていた。それにあわせて聴覚を調整しなおさなくてはならないほど深い静寂だった。空は突き抜けるように高く、太陽の光の温かみが、露出した肌にじかに優しく感じられた。ときおり聞き慣れない甲高い鳥の声が聞こえた。しかしその鳥の姿を目にすることはできない。
 風格のある大きな屋敷だった。建てられたのはかなり昔のようだが、よく手入れされていた。庭木も美しく刈り込まれている。あまりにも丁寧に刈り揃えられているせいで、いくつかの樹木はプラスチックの造り物みたいにさえ見えた。大きな松の木が地面に広い樹影を落としていた。眺望は開けているが、見渡す限りあたりには人家はひとつも見えない。こんな不便なところにわざわざ住居をかまえるのは、よほど他人との接触を嫌う人物に違いないと天吾は推測した。
 ふかえりは鍵のかかっていない玄関の戸をがらがらと開けて中に入り、天吾についてくるように合図した。二人を出迎えるものは誰もなかった。いやに広々とした静かな玄関で靴を脱ぎ、磨き上げられたひやりとした廊下を歩いて応接室に入った。応接室の窓からは山の連なりがパノラマとなって見えた。陽光を反射しながら蛇行する川も目にできた。素晴らしい眺めだったが、その眺めを楽しむ気持ちのゆとりは天吾にはなかった。ふかえりは天吾を大きなソファに座らせてから、何も言わず部屋を出ていった。ソファには古い時代の匂いがした。どれくらい古い時代なのか、天吾には見当がつかない。
 おそろしく飾り気のない応接室だった。分厚い一枚板でつくられた低いテーブルの上には、まったく何も置かれていない。灰皿もなく、テーブル・クロスもない。壁には絵も掛けられていない。時計やカレンダーもない。花瓶のひとつもない。サイドボードのようなものもない。雑誌も本も置いてない。色槌せて、柄も見分けられなくなったような時代物の絨毯《じゅうたん》が敷かれ、同じくらい古いソファ・セットが置いてあるだけだ。天吾の座っているいかだみたいに大きなソファがひとつと、一人がけの椅子が三つ。大きな開放型の暖炉があるが、最近そこに火が入れられた形跡はない。四月も半ばだというのに、部屋は冷え冷えしていた。冬のあいだに浸み込んだ冷たさがまだ居座っているようだ。その部屋がそこを訪れる誰をも歓待するまいと堅く心を決めてから、ずいぶん長い歳月が経過したように見えた。ふかえりが戻ってきて、やはり何も言わず天吾の隣りに腰を下ろした。
 長いあいだ二人はどちらも口をきかなかった。ふかえりは自分ひとりの謎めいた世界にこもり、天吾は静かに深呼吸をしながら気持ちを落ち着けていた。時折遠くに聞こえる鳥の声を別にすれば、部屋の中はどこまでも[#傍点]しん[#傍点終わり]としていた。耳を澄ませると、その静寂にはいくつかの意味あいが含まれているように天吾には感じられた。ただ物音ひとつしないというだけではない。沈黙自体が自らについて何かを語っているようだった。天吾は意味もなく腕時計に目をやった。顔を上げて窓の外の風景に目をやり、それからまた腕時計を眺めた。時間はほとんど経過していなかった。日曜日の朝は時間がゆっくりとしか進まないのだ。
 
 十分ばかりしてから、予告もなく唐突にドアが開き、一人の痩せた男がせわしない足取りで応接室に入ってきた。年齢はおそらく六十代半ばだろう。身長は一六〇センチほどだが、姿勢が良いせいで、貧相な感じはない。鉄の柱でも入れたみたいに背筋がまっすぐ伸びて、顎がぐいと後ろに引かれている。眉毛が豊かで、人を脅すためにつくられたような、太い真っ黒な縁の眼鏡をかけている。その人物の動きには、すべての部分が圧縮されてコンパクトに作られた精妙な機械を思わせるものがあった。余分なところが一切なく、あらゆる部位が有効にかみ合っている。天吾は立ち上がってあいさつしようとしたが、相手はそのまま座っているようにと手で素速く合図した。天吾がその指示に従って浮かせかけた腰を下ろすと、相手もそれと競争するように向かいの一人がけのソファにそそくさと座った。それからしばらくのあいだ、男は何も言わず天吾の顔をただ見つめた。鋭い眼光というのではないが、隅々まで怠りなく見通す目だった。目はときどき細くなり、また大きくなった。写真家がレンズの絞りを調整するときのように。
 男は白いシャツの上に深緑色のセーターを着て、濃いグレーのウールのズボンをはいていた。どれも十年くらいは日常的に身につけられてきた衣服のように見えた。身体によく馴染んではいるが、いささかくたびれている。おそらく着るものにあまり気を配らない人なのだろう。またおそらく、かわりに気を配ってくれる人もまわりにはいないのだろう。髪は薄くなって、おかげで前後に長い頭のかたちがより強調されていた。頬は削げ、顎の骨が角形にはっている。ふっくらとした子供のように小さな唇だけが、全体の印象に今ひとつ馴染んでいない。ところどころで髭が剃り残されていた。しかし光の加減でただそう見えるだけかもしれない。窓から入ってくる山地の陽光は、天吾が普段見慣れている陽光とは成り立ちがいくぶん違っているみたいだ。
「こんな遠方まで足を運ばせてしまって申し訳ありませんでした」、その男のしゃべり方には独特のめりはりがあった。不特定多数の前で話をすることを長く習慣としてきた人のしゃべり方だ。それもおそらくは論理だった話を。「事情があってここを離れることがなかなかかなわないので、わざわざお越しいただくしかなかった」
 そんなことはちっともかまわないと天吾は言った。そして名前を名乗った。名刺を持ち合わせていないことを詫びた。
「私はエビスノというものです」と相手は言った。「私も名刺を持ってない」
「エビスノさん」と天吾は聞き返した。
「みんなは先生と呼んでいる。実の娘でさえなぜか私のことを先生と呼ぶ」
「どんな字を書くのでしょう?」
「珍しい名前だ。たまにしか見かけない。エリ、字を書いてさしあげなさい」
 ふかえりは肯いて、手帳のようなものを取り出し、ボールペンを使って白紙のページにゆっくり時間をかけて「戎野」と書いた。釘を使ってレンガに刻んだような字だった。それなりの味わいがあると言えなくもない。
「英語でいえば field of savages だ。私は昔は文化人類学をやっていたが、その学問にはいかにもふさわしい名前だった」と先生は言った。そしていくらか笑みに似たものを口もとに浮かべた。それでも目の怠りなさは少しも変わらない。「しかしずいぶん前に研究生活とは縁を切った。今ではそれとは関係ないことをやっている。違う種類の field of savages に移って生きている」
 たしかに珍しい名前だったが、天吾はその名前に聞き覚えがあった。一九六〇年代の後半に、たしかエビスノという名前の有名な学者がいた。何冊か本を出し、それは当時かなり評判にもなった。それがどんな内容の本だったか詳しいことは知らないが、名前だけは記憶の隅に残っている。しかしいつの間にか名前を聞かないようになってしまった。
「お名前をお聞きしたことはあると思います」と天吾は探りを入れるように言った。
「そうかもしれない」、先生はここにはいない他人のことを話すときのように、遠くを眺めながら言った。「いずれにせよ、大昔のことだ」
 天吾は隣りに座っているふかえりの静かな息づかいを感じることができた。ゆっくりとした深い呼吸だった。
「川奈《かわな》天吾くん」と先生は名札を読み上げるみたいに言った。
「そうです」と天吾は言った。
「君は大学で数学を専攻し、今は代々木の予備校で数学の講師をしている」と先生は言った。
「しかしその一方で小説を書いている。そういう話をとりあえずエリから聞いているが、それでよろしいかな?」
「そのとおりです」と天吾は言った。
「数学の教師にも見えないし、小説家にも見えないね」
 天吾は苦笑して言った。「ついこのあいだも、誰かに同じことを言われたばかりです。きっと図体のせいでしょう」
「悪い意味で言ったんじゃない」と先生は言った。そして黒い眼鏡のブリッジに指をやった。
「何かに見えないというのは決して悪いことじゃない。つまりまだ枠にはまっていないということだからね」
「そう言っていただくのは光栄ですが、僕はまだ小説家にはなっていません。小説を書こうと試みているだけです」
「試みている」
「つまりいろいろ試行錯誤をしているということです」
「なるほど」と先生は言った。そして部屋の冷ややかさに初めて気づいたように両手を軽くこすりあわせた。「そして私が聞き知ったところによれば、エリが書いた小説に君が手を入れて、より完成された作品にし、文芸誌の新人賞をとらせようとしている。この子を作家として世間に売り出そうとしている。そういう解釈でよろしいかな?」
 天吾は慎重に言葉を選んだ。「基本的にはおっしゃるとおりです。小松という編集者が立案しました。そんな計画が実際にうまく運ぶものかどうか、僕にはわかりません。それが道義的に正しいことなのかどうかも。この話の中で僕が関わっているのは、『空気さなぎ』という作品の文章を実際に書き直すという部分だけです。いわばただの技術者です。あとの部分についてはその小松という人物が責任を持っています」
 先生はしばらく集中して何かを考えていた。静まりかえった部屋の中では、彼の頭が回転している音が聞こえそうだった。それから先生は言った。「その小松という編集者がこの計画を考えつき、君が技術的な側面からそれに協力している」
「そのとおりです」
「私はもともとが学者であって、正直なところ小説の類はあまり熱心には読まない。だから小説の世界のしきたりはよくわからないんだが、君たちのやろうとしていることは、私には一種の詐欺行為のように聞こえてならない。私が間違っているのだろうか?」
「いいえ、間違ってはいません。僕にもそのように聞こえます」と天吾は言った。
 先生は軽く顔をしかめた。「しかし君はその計画に倫理上の疑義を呈しながら、なおかつそれに進んで関わろうとしている」
「進んでというのではありませんが、関わろうとしていることは確かです」
「それはなぜだろう?」
「それは僕がこの一週間ばかり、繰り返し自分に問いかけてきた疑問です」と天吾は正直に言った。
 先生とふかえりは黙って天吾の話の続きを待っていた。
 天吾は言った。「僕の持ち合わせている理性も常識も本能も、こんなことからは一刻も早く手を引いた方がいいと訴えています。僕はもともと慎重で常識的な人間です。賭け事や冒険を好みません。どちらかといえば臆病なくらいでしょう。でも今回に限っていえば、小松さんが持ち込んできたこの危なっかしい話に、どうしてもノーと言うことができないんです。その理由はただひとつ、『空気さなぎ』という作品に強く心を惹かれているからです。ほかの作品だったら、一も二もなくそんな話は断っています」
 先生はしばらく天吾の顔を珍しそうに見ていた。「つまり君は計画の詐欺的な部分には興味は持たないが、作品を書き直すことには深い興味を持っている。そういうことかな?」
「そのとおりです。[#傍点]深い興味[#傍点終わり]という以上のものです。『空気さなぎ』がもし書き直されなくてはならないのだとしたら、僕としてはその作業をほかの人間の手に委ねたくはありません」
「なるほど」と先生は言った。そして何か酸っぱいものを間違えて口に含んだような顔をした。
「なるほど。君の気持ちはおおむね理解できたような気がする。それでは小松という人物の目的はなんだろう? 金か、それとも名声か?」
「小松さんの気持ちは正直言って、僕にもよくわかりません」と天吾は言った。「でも金銭や名声よりは、もっと大きいものが彼の動機になっているんじゃないかという気がします」
「たとえば?」
「本人はおそらくそんなことは認めないでしょうが、小松さんも文学に懸かれた人間の一人です。そういう人たちの求めていることは、ただひとつです。一生のうちにたったひとつでもいいから間違いのない本物を見つけることです。それを盆に乗せて世間に差し出すことです」
 先生はしばらく天吾の顔を眺めていた。それから言った。「つまり君たちにはそれぞれに違う動機がある。金銭でも名声でもない動機が」
「そういうことになると思います」
「しかし動機の性質がどうであれ、君自身が言うように、ずいぶん危なっかしい計画だ。もしどこかの段階で事実が露見したら、これは間違いなくスキャンダルになるし、世間の非難を受けるのは君たち二人だけに留まらないだろう。エリの人生は十七歳にして致命的な傷を負うことになるかもしれない。それがこの件に関して私がもっとも憂慮していることだ」
「心配なさるのは当然です」と天吾は肯いて言った。「おっしゃるとおりです」
 黒々として豊かな一対の眉毛の間隔が一センチばかり縮まった。「にもかかわらず、たとえ結果的にエリを危険にさらすことになっても、君は『空気さなぎ』を自分の手で改筆したいと望んでいる」
「さっきも申し上げたように、その気持ちは理性にも常識にも手の及ばないところから出てきたものだからです。僕としてはもちろん、できるかぎりエリさんを護りたいと思います。しかし彼女に危害が及ぶようなことは決してありません、と請け合うことはできません。それは嘘になります」
「なるほど」と先生は言った。そして論旨を区切るように咳払いをひとつした。「何はともあれ、君は正直な人間らしい」
「少なくともできる限り率直になろうとしています」
 先生はズボンの膝の上にある自分の両手を、見慣れないものを見るようにしばし眺めた。手の甲を眺め、ひっくり返して手のひらを眺めた。それから顔を上げて言った。「それで、小松という編集者はその計画が本当にうまく行くと考えているのかな?」
「『ものごとには必ず二つの側面がある』というのが彼の意見です」と天吾は言った。「良い面と、それほど悪くない面の二つです」
 先生は笑った。「なかなかユニークな見解だ。小松という人物は楽天家なのか、自信家なのか、どちらなんだろう?」
「どちらでもありません。ただシニカルなだけです」
 先生は軽く首を振った。「その人物はシニカルになると、楽天的になる。あるいは自信家になる。そういうことかな?」
「そういう傾向はあるかもしれません」
「ややこしい人間みたいだ」
「かなりややこしい人間です」と天吾は言った。「でも愚かではありません」
 先生は息をゆっくりと吐いた。それからふかえりの方を向いた。「エリ、どうだ、君はこの計画についてどのように思う?」
 ふかえりは空間の匿名的な一点をしばらく見つめていた。それから言った。「それでいい」
 先生はふかえりの簡潔な発言に、必要な言葉を補った。「それはつまり、この人に『空気さなぎ』を書き直してもらってもかまわないということなんだね?」
「かまわない」とふかえりは言った。
「そのせいで、君は面倒な目にあうかもしれないよ」
 ふかえりはそれには答えなかった。カーディガンの襟を首のところで、今まで以上に堅くぎゅっとあわせただけだった。しかしその動作は彼女の決意の揺らぎなさを端的に示していた。
「おそらくこの子が正しいのだろう」、先生はあきらめたように言った。
 天吾は拳になったふかえりの小さな両手を眺めていた。
「しかしもうひとつ問題がある」と先生は天吾に言った。「君とその小松という人物は、『空気さなぎ』を世に出して、エリを小説家に仕立てようとしている。しかしこの子には読字障害の傾向がある。ディスレクシアだ。そのことは知っていたかね?」
「さっき電車の中で、だいたいのところは理解しました」
「おそらく先天的なものなんだろう。そのせいで、学校ではずっと一種の知恵遅れだと思われてきたが、実際には頭の良い子だ。深い知恵がそなわっている。しかしそれでも、彼女がディスレクシアであることは、ごく控え目に言って、君たちの考えている計画にあまり良い影響を与えないはずだ」
「その事実を知っている人間は、全部で何人くらいいるのでしょう?」
「本人を別にして、三人だ」と先生は言った。「私と娘のアザミと、それから君。ほかには誰も知らない」
「エリさんが通っていた学校の先生はそのことを知らないのですか?」
「知らない。田舎の小さな学校だ。ディスレクシアなんて言葉は聞いたこともないはずだ。それに学校に通っていたのはほんの短い期間でしかない」
「それならなんとかうまく隠すことができるかもしれません」
 先生はしばらく天吾の顔を値踏みするように見ていた。
「エリはどうやら君のことを信用しているらしい」と彼は少しあとで天吾に言った。「何故かはわからないが。しかし——」
 天吾は黙ってそれに続く言葉を待った。
「しかし、私はエリを信用している。だから彼女が君に作品を任せていいというのであれば、私としては認めるほかはない。ただしもし君が本当にこの計画を進めていくつもりなら、彼女に関して知っておかなくてはならない事実がいくつかある」、先生は細かい糸くずでも見つけたように、手でズボンの右膝のあたりを何度か軽く払った。「この子がどこでどのような子供時代を送ってきたか、どういう経緯によって私がエリを引き取って育てることになったか。話し始めると長くなりそうだが」
「うかがいます」と天吾は言った。
 天吾の隣でふかえりが座り直した。彼女はまだカーディガンの襟を両手で持って、首のところで合わせていた。
 
「よかろう」と先生は言った。「話は六〇年代に戻る。エリの父親と私とは、長いあいだの親密な友だちだった。私の方が十歳ばかり年上だが、同じ大学で、同じ学部で教えていた。性格や世界観はずいぶん違っていたが、なぜか気があった。我々は二人とも晩婚で、結婚してほどなくどちらにも娘が生まれた。同じ官舎に住んでいたので、家族ぐるみで行き来もしていた。仕事もうまく捗っていた。我々は当時いわゆる『気鋭の学者』として売り出しているところだった。マスコミにもちょくちょく顔を出していた。いろんなことが面白くて仕方ない時代だった。
 ところが六〇年代も終わりに近づくにつれて、世の中がだんだんきな臭くなってきた。七〇年安保に向けて学生運動の高まりがあり、大学封鎖があり、機動隊とのぶつかり合いがあり、血なまぐさい内部抗争があり、人も死んだ。そういうあれこれが面倒になって、私は大学を退職することにした。もともとアカデミズムとはそりが合わなかったが、その頃になってつくづく嫌気がさしたんだ。体制だろうが反体制だろうが、そんなことはどうでもいい。所詮は組織と組織のぶつかりあいに過ぎない。そして私は、大きいものであれ小さいものであれ、組織というものを[#傍点]てん[#傍点終わり]から信用しない。君は見かけからすると、そのころはまだ大学生じゃなかっただろうな」
「僕が大学に入った頃には、騒ぎはもうすっかり収まっていました」
「祭りのあとというわけだ」
「そういうところです」
 先生は両手をしばらく宙に上げ、それから膝の上に下ろした。「私が大学をやめ、エリの父親もその二年後には大学を離れた。彼は当時毛沢東の革命思想を信奉しており、中国の文化大革命を支持していた。文化大革命がどれほど酷い、非人間的な側面をもっていたか、そんな情報は当時ほとんど我々の耳には入ってこなかったからね。毛沢東語録を掲げることは一部のインテリにとって、一種の知的ファッションにさえなっていた。彼は一部の学生を組織し、紅衛兵もどきの先鋭的な部隊を学内に作り上げ、大学ストライキに参加した。彼を信奉し、よその大学から彼の組織に加わるものもいた。そして彼の率いるセクトは一時けっこうな規模になった。大学側からの要請で機動隊が大学に突入し、立てこもっていた彼は学生たちと一緒に逮捕され、刑事罰に問われた。そして大学からは事実上解雇された。エリはまだ幼かったから、そのへんはたぶん何も覚えてはいないはずだ」
 ふかえりは黙っていた。
「深田|保《たもつ》というのが父親の名前だが、彼は大学を離れたあと、紅衛兵部隊の中核をなしていた十人ばかりの学生をひきつれて『タカシマ塾』に入った。学生たちの大半は大学から除籍されていた。とりあえずどこか行き場所が必要だった。タカシマは悪くない受け皿だった。当時これはマスコミでもちょっとした話題になった。知ってるかね?」
 天吾は首を振った。「その話は知りません」
「深田の家族も行動をともにした。つまり奥さんとこのエリのことだが。一家ごとタカシマに入ったわけだ。タカシマ塾のことは知っているね?」
「おおよそのところは」と天吾は言った。「コミューンのような組織で、完全な共同生活を営み、農業で生計を立てている。酪農にも力を入れ、規模は全国的です。私有財産は一切認められず、持ち物はすべて共有になる」
「そのとおりだ。深田はそういうタカシマのシステムにユートピアを求めたということになっている」と先生はむずかしい顔をして言った。「しかし言うまでもないことだが、ユートピアなんていうものは、どこの世界にも存在しない。錬金術や永久運動がどこにもないのと同じだよ。タカシマのやっていることは、私に言わせればだが、何も考えないロボットを作り出すことだ。人の頭から、自分でものを考える回線を取り外してしまう。ジョージ・オーウェルが小説に書いたのと同じような世界だよ。しかし君もおそらく知ってのとおり、そういう脳死的な状況を進んで求める連中も、世間には少なからずいる。その方がなんといっても楽だからね。ややこしいことは何も考えなくていいし、黙って上から言われたとおりにやっていればいい。食いっぱぐれはない。その手の環境を求める人々にとっては、たしかにタカシマ塾はユートピアかもしれん。
 しかし深田はそういう人間ではない。徹底して自分の頭でものを考えようとする人間だ。それを専門的職業として生きてきた男だ。だから彼がタカシマみたいなところで満足できるわけはなかった。もちろん深田だってそれくらいは最初から承知していた。大学を追われ、頭でっかちの学生たちを引き連れて、ほかに行き場所もなく、とりあえずの退避場所としてそこを選んだということだ。更にいえば彼が求めていたのは、タカシマというシステムのノウハウだった。何よりもまず、彼らは農業技術を覚えなくてはならなかった。深田も学生たちもみんな都会育ちで、農業のやり方については何ひとつ知らなかった。私がロケット工学について何ひとつ知らないというのと同じくらいにね。だからまったくの初歩から、知識や技術を実践的に身につける必要があった。流通の仕組みや、自給自足の可能性と限界、共同生活の具体的な規則なんかについても、学ぶべきところは数多くあった。二年ばかりタカシマの中で生活し、身につけられることは身につけた。その気になれば学習の早い連中だ。タカシマの長所と弱点も正確に分析した。それから深田は自分の一派を引き連れてタカシマを離れ、独立した」
「タカシマはたのしかった」とふかえりは言った。
 先生は微笑んだ。「小さな子供にとってはきっと楽しいところなんだろう。でも成長してある年齢になり、自我が生まれてくると、多くの子供たちにとってタカシマでの生活は生き地獄に近いものになってくる。自分の頭でものを考えようとする自然な欲求が、上からの力で押しつぶされていくわけだからな。それは言うなれば、脳味噌の纏足のようなものだ」
「テンソク」とふかえりは尋ねた。
「昔の中国で、幼い女の子の足を小さな靴に無理矢理はめて、大きくならないようにした」と天吾は説明した。
 ふかえりは何も言わず、その光景を想像していた。
 先生は続けた。「深田の率いた分離派の中核はもちろん、彼と行動を共にしてきた紅衛兵もどきの元学生たちだったが、それ以外にも彼らのグループに加わりたいという人々が出てきて、分離派は雪だるま式に膨らみ、思ったより大人数になった。理想を抱いてタカシマに入ってはみたが、そのあり方に飽き足らず、失望を感じていた連中も、まわりに少なからずいたんだ。その中にはヒッピー的なコミューン生活を目指す連中もいれば、大学紛争で挫折した左翼もいれば、ありきたりの現実生活には飽き足らず、新しい精神世界を求めてタカシマに入ったというものもいた。独身者もいれば、深田のような家族連れもいた。寄り合い所帯というか、雑多な顔ぶれだ。深田が彼らのリーダーをつとめた。彼は生まれつきのリーダーだった。イスラエル人を率いるモーゼのように。頭が切れて、弁も立ち、判断力に優れている。カリスマ的な要素も具わっていた。身体も大きい。そうだな、ちょうど君くらいの体格だ。人々は当然のことのように彼をグループの中心に据え、彼の判断に従った」
 先生は両手を広げて、その男の身体の大きさを示した。ふかえりはその両手の幅を眺め、それから天吾の身体を眺めた。でも何も言わなかった。
「深田と私とでは性格も見かけもまったく違っている。彼は生来の指導者で、私は生来の一匹狼だ。彼は政治的な人間で、私はどこまでも非政治的な人間だ。彼は大男で、私はちびだ。彼はハンサムで押し出しがよく、私は妙なかっこうの頭を持ったしがない学者だ。しかしそれでもなおかつ、我々は仲の良い友人同士だった。お互いを認め合い、信用していた。誇張ではなく、一生に一人の友だちだった」
 
 深田保の率いるグループは山梨県の山中に、目的にあった過疎の村をひとつ見つけた。農業の後継者が見つからず、あとに残された老人たちだけでは畑仕事ができなくて、ほとんど廃村になりかけている村だ。そこにある耕地や家をただ同然の価格で手に入れることができた。ビニールハウスもついていた。役場も、既存の農地をそのまま引き継いで農業を続けるという条件で補助金を出した。少なくとも最初の何年かは、税金の優遇措置も受けられることになった。それに加えて、深田には個人的な資金源のようなものがあった。それがどこからやってくるどういう種類の金なのか、戎野先生にもそれはわからない。
「その資金源については深田は口が堅く、誰にも秘密を明かさなかった。でもとにかく[#傍点]どこか[#傍点終わり]から、深田はコミューンの立ち上げに必要とされる少なからぬ額の金を集めてきた。彼らはその資金で農機具を揃え、建築資材を購入し、準備金を蓄えた。自分たちで既存の家屋の改修をし、三十人のメンバーが生活を送れる施設を作り上げた。それが一九七四年のことだ。新生のコミューンは『さきがけ』という名前で呼ばれることになった」
 さきがけ? と天吾は思った。名前には聞き覚えがある。しかしどこでそれを耳にしたのか思い出せない。記憶をたどることができない。それが彼の神経をいつになく苛立たせた。先生は話を続けた。
「新しい土地に慣れるまでの何年かは、コミューンの運営は厳しいものになるだろうと深田は覚悟していたのだが、ものごとは予想していたより順調に進んだ。天候に恵まれたということもあるし、近隣の住民が援助の手をさしのべてくれたということもある。人々はリーダーである深田の誠実な人柄に好意を持ったし、『さきがけ』の若いメンバーたちが汗を流して熱心に農業に打ち込んでいる姿を見て、すっかり感心してしまった。地元の人々がよく顔を見せて、あれこれ有益な助言を与えてくれた。そのようにして彼らは農業についての実地の知識を身につけ、土地と共に生きる方法を覚えていった。
 基本的にはそれまでタカシマで学んできたノゥハウを、『さきがけ』はそのまま踏襲したわけだが、いくつかの部分で独自の工夫をした。たとえば完全な有機農法に切り替えた。防虫のための化学薬品を使わず、有機肥料だけで野菜を栽培するようにした。そして都会の富裕層を対象にして食材の通信販売を始めた。その方が単価が高くとれるからだ。いわゆるエコロジー農業の走りだった。目のつけ所がよかった。メンバーの多くは都会育ちだったから、都会の人間がどんなものを求めているかをよく知っていた。汚染のない、新鮮でうまい野菜のためなら、都会人は進んで高い金を払う。彼らは配送業者と契約を結び、流通を簡略化し、都会に迅速に食品を送る独自のシステムを作り上げた。『土のついた不揃いな野菜』を逆に売り物にしたのも彼らが走りだった」
 
「私は何度か深田の農場を訪れて、彼と話をした」と先生は言った。「彼は新しい環境を得て、そこで新しい可能性を試みることで、とても生き生きとして見えた。そのあたりが深田にとってはいちばん平穏で希望に満ちた時代だったかもしれない。家族も新しい生活に馴染んだように見えた。『さきがけ』農場の評判を耳にし、そこに加わりたいと希望してやってくる人々も増えてきた。通販を通じて、その名前は徐々に世間に知られていったし、コミューンの成功例としてメディアに取り上げられもした。金銭や情報に追いまくられる現実の世界を逃れ、自然の中で額に汗して働きたいという人間が世間には少なからずいたし、『さきがけ』はそういう層を引き寄せていった。希望者がやってくれば面接をして審査をし、役に立ちそうであればメンバーに加えた。来るものは誰でも受け入れたわけじゃない。メンバーの質とモラルは高く保たれなくてはならなかった。農業技術を身につけた人や、厳しい肉体労働に耐えられる健康な人々が求められた。男女の比率を半々に近づけたいということもあり、女性も歓迎された。人が増えれば、農場の規模は大きくなっていくわけだが、余っている耕地や家屋は近辺にまだいくつもあったから、施設を拡大していくのはさしてむずかしいことではなかった。農場の構成員も最初のうちは若い独身者が中心だったが、家族連れで加わる人々も徐々に増えていった。新しく参画した中には、高等教育を受けて専門職についていた人たちもいた。たとえば医師やエンジニアや教師や会計士といったような。そういう人々は共同体に歓迎された。専門技術が役に立つからね」
「そのコミューンではタカシマのような原始共産制的なシステムはとられたのですか?」と天吾は質問した。
 先生は首を振った。「いや、深田は財産の共有制を退けた。彼は政治的には過激だったが、冷静な現実主義者でもあった。彼が指向したのはもっとゆるやかな共同体だった。アリの巣もどきの社会をこしらえることは、彼の目指すところではなかった。全体をいくつかのユニットに分割し、そのユニットの中でゆるやかな共同生活を送るという方式をとった。私有財産を認め、報酬もある程度配分された。自分の属しているユニットに不満があれば、ほかのユニットに移ることも可能だったし、『さきがけ』そのものから立ち去ることも自由だった。外部との交流も自由だったし、思想教育や洗脳のようなこともほとんど行われなかった。そういう風通しのいい自然な体制をとった方が、労働効率がより高くなることを、彼はタカシマにいるときに学んでいた」
 
 深田の指導のもとに「さきがけ」農場の運営は順調に軌道に乗っていた。しかしやがてコミューンは二つの派にはっきり分かれるようになった。このような分裂は、深田が設定したゆるやかなユニット制がとられている限り、不可避だった。ひとつは武闘派で、深田がかつて組織した紅衛兵ユニットを核とする革命指向グループだ。彼らは農業コミューン生活を、あくまで革命の予備段階として捉えていた。農業をしながら潜伏し、時がくれば武器をとって立ち上がる——それが彼らの揺らぎのない姿勢だった。
 もうひとつは穏健派で、反資本主義体制という点では武闘派と共通しているものの、政治とは距離を置き、自然の中で自給自足の共同生活を送ることを理想としていた。数としては穏健派が農場内で多数を占めていた。武闘派と穏健派は水と油のようなものだ。ふだん農作業をしているぶんには、目的はひとつだからとくに問題は起きないのだが、コミューン全体の運営方針について何かしらの決定が求められるときには、意見はいつも二つに割れた。歩み寄りの余地が見つけられないこともしばしばあった。そんなときには激しい論争が持ち上がった。こうなればコミューンの分裂は時間の問題だ。
 時が経過するにつれ、中間的な存在が受け入れられる余地はどんどん狭くなっていった。やがて深田も、どちらかの立場を選ばなくてはならないところに最終的に追い込まれた。その頃には彼も、一九七〇年代の日本には革命を起こす余地も気運もないことをおおむね悟っていた。そして彼がもともと念頭に置いていたのは、可能性としての革命であり、更にいえば比喩としての、仮説としての革命だった。そのような反体制的、破壊的意思の発動が健全な社会にとって不可欠だと信じていた。いわば健全なスパイスとして。ところが彼の率いてきた学生たちが求めたのは、本物の血が流れる、実物の革命だった。むろん深田にも責任はある。時代の流れに乗って血湧き肉躍る話をして、そんなあてもない神話を学生たちの頭に植え付けたのだ。これはカッコつきの革命ですよ、とは決して言わなかった。誠実な男だったし、頭も切れた。学者としても優秀だった。しかし残念ながら、能弁すぎて自分の言葉に酔ってしまう傾向があり、深いレベルでの内省と実証に欠けるところも見受けられた。
 そのようにして、「さきがけ」コミューンは二つに決別した。穏健派は「さきがけ」として最初の村落にそのまま残り、武闘派は五キロばかり離れたべつの廃村に移り、そこを革命運動の拠点とした。深田の一家はほかのすべての家族連れと同じく、「さきがけ」に留まることになった。それはおおむね友好的な分離だった。分派コミューンを立ち上げるのに必要な資金は、深田がまたどこからか都合してきたようだ。分離のあとも二つの農場は表面的な協力関係を維持した。必要な物資のやりとりもあったし、経済的な理由から生産物の流通も同じルートを利用した。小さな二つの共同体が生き延びていくには、お互いに助け合う必要があった。
 しかし旧来の「さきがけ」と新しい分派コミューンとのあいだの人々の行き来は、時を経ずして事実上途絶えた。彼らの目指すところはあまりにも異なっていたからだ。ただし深田と、彼がかつて率いていた先鋭的な学生たちのあいだには、分離後も交流が続いた。深田は彼らに対して強い責任を感じていた。もともとは彼が組織化し、山梨の山中まで率いてきたメンバーなのだ。自分の都合で簡単に放り出すことはできない。それに加えて分派コミューンは、深田が握っている秘密の資金源を必要としていた。
 
「深田は一種の分裂状態にあったと言えるだろう」と先生は言った。「彼はもう革命の可能性やロマンスを本心から信じてはいなかった。しかし、かといってそれを全否定することもできなかった。革命を全否定することは、彼がこれまでに送ってきた歳月を全否定することであり、みんなの前で自らの誤りを認めることだった。それは彼にはできない。そうするにはプライドが高すぎたし、また自分が身を引くことによって学生たちのあいだに生じるであろう混乱を案じた。その段階では深田はまだある程度学生たちをコントロールする力を持っていたからだ。
 そんなわけで彼は『さきがけ』と分派コミューンとのあいだを行き来する生活を送ることになった。深田は『さきがけ』のリーダーを務め、その一方で武闘派分派コミューンの顧問役を引き受けた。革命をもはや心から信じていない人間が、人々に革命理論を説き続けたわけだ。分派コミューンのメンバーたちは農作業の傍ら、武闘訓練と思想教育を厳しく行った。そして政治的には、深田の意思とは逆にますます先鋭化していった。そのコミューンは徹底した秘密主義をとり、部外者をまったく中に入れなくなった。公安警察は武装革命を唱える彼らを要注意団体として緩やかな監視下においた」
 先生はもう一度ズボンの膝を眺めた。それから顔を上げた。
「『さきがけ』が分裂したのは一九七六年のことだ。エリが『さきがけ』から脱出し、うちにやってきたのはその翌年だった。そしてその頃から、分派コミューンは『あけぼの』という新しい名前を持つようになった」
 天吾は顔を上げ、目を細めた。「ちょっと待って下さい」と彼は言った。あけぼの。その名前にもはっきり聞き覚えがある。しかし記憶はなぜかひどく漠然としてとりとめがなかった。彼が手で探りとれるのは、事実[#傍点]らしきもの[#傍点終わり]のいくつかのあやふやな断片だけだった。「ひょっとしてその『あけぼの』というのは、少し前に大きな事件を起こしませんでしたか?」
「そのとおりだ」と戎野先生は言った。そしてこれまでになく真剣な目を天吾に向けた。「本栖湖近くの山中で警官隊と銃撃戦を起こした、あの有名な『あけぼの』のことだよ。もちろん」
 銃撃戦、と天吾は思った。そんな話を耳にした覚えがある。大きな事件だ。しかしなぜかその詳細を思い出すことができない。ものごとの前後が入り乱れている。無理に思い出そうとすると、身体全体を強くねじられるような感覚があった。まるで上半身と下半身がそれぞれ逆の方向に曲げられているみたいだ。頭の芯が鈍く疼《うず》き、まわりの空気が急速に希薄になっていった。水の中にいる時のように音がくぐもった。今にもあの「発作」が襲ってきそうだ。
「どうかしたのかね?」と先生が心配そうに尋ねた。その声はひどく遠くの方から聞こえてきた。
 天吾は首を振った。そして声を絞り出した。「大丈夫です。すぐにおさまります」
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