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1Q84 (1-20)

时间: 2018-10-13    进入日语论坛
核心提示:第20章 天吾      気の毒なギリヤーク人 天吾は眠れなかった。ふかえりは彼のベッドに入って、彼のパジャマを着て、深く
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第20章 天吾
      気の毒なギリヤーク人
 
 
 天吾は眠れなかった。ふかえりは彼のベッドに入って、彼のパジャマを着て、深く眠っていた。天吾は小さなソファの上に簡単に寝支度を調えたが(彼はよくそのソファで昼寝をしていたから、とくに不便はない)、横になってもまったく眠気を感じなかったので、台所のテーブルに向かって長い小説の続きを書いた。ワードプロセッサーは寝室にあったから、レポート用紙にボールペンで書いていた。それについても彼はとくに不便を感じなかった。書くスピードや記録の保存に関しては、ワードプロセッサーはたしかに便利だが、手を使って紙に字を書くという古典的な行為を彼は愛していた。
 天吾が夜中に小説を書くのは、どちらかといえば珍しいことだ。外が明るいとき、人々が普通に外を歩き回っている時間に仕事をするのが、彼は好きだった。まわりが闇に包まれ、深く静まりかえっている時間に書くと、文章はときとして濃密になりすぎる。夜に書いた部分を、昼の光の中で頭から書き直さなくてはならないことが多かった。そんな手間をかけるのなら、最初から明るい時間に文章を書いた方がいい。
 しかし久しぶりに夜中に、ボールペンを使って字を書いていると、頭がなめらかに回転した。想像力が手脚を伸ばし、物語は自由に流れていった。ひとつのアイデアが別のアイデアに自然に結びついていった。その流れが途切れることはほとんどない。ボールペンの先端は休むことなく、白い紙の上に頑なな音を立て続けた。手が疲れるとボールペンを置き、ピアニストが架空の音階練習をするみたいに、右手の指を宙で動かした。時計の針は一時半に近くなっていた。不思議なくらい外の物音が聞こえない。都市の上空を覆った厚い綿のような雲が、余計な音を吸収してしまっているらしい。
 それから彼はもう一度ボールペンを手に取り、レポート用紙に言葉を並べていった。文章を書いている途中で、ふと思い出した。明日は年上のガールフレンドがここにやってくる日だ。彼女はいつも金曜日の午前十一時前後にやってくる。その前にふかえりをどこかに送り届けなくてはならない。ふかえりが香水やコロンをつけないのは何よりだった。もし誰かの匂いがベッドに残っていたりしたら、彼女はすぐにそれに気づくだろう。天吾は彼女が注意深く、嫉妬深い性格であることをよく知っていた。自分が失とときどきセックスをすることはかまわない。しかし天吾がほかの女性と出歩いたりすると、真剣に腹を立てる。
「夫婦のあいだのセックスというのは、またちょっと違うことなの」と彼女は説明した。「それは別会計みたいなもの」
「別会計?」
「項目が違うんだってこと」
「気持ちの違う部分を使うっていうことかな?」
「そういうこと。使う肉体の場所は同じでも、気持ちは使い分けているわけ。だからそれはいいのよ。成熟した女性として、私にはそれができる。でもあなたがほかの女の子と寝たりするのは許せない」
「そんなことしてないよ」と天吾は言った。
「たとえあなたがほかの女の子とセックスしていないとしても」とそのガールフレンドは言った。
「そういう可能性があると考えただけで、侮辱されたように感じる」
「ただ可能性があるというだけで?」と天吾は驚いて尋ねた。
「あなたには女の人の気持ちがよくわかってないみたい。小説を書いてるくせに」
「そういうのは、ずいぶん不公平なことのように僕には思えるけど」
「そうかもしれない。でもその埋め合わせはちゃんとしてあげる」と彼女は言った。それは嘘ではなかった。
 
 天吾はその年上のガールフレンドとの関係に満足していた。彼女は一般的な意味で美人とは言えない。どちらかといえばユニークな種類の顔立ちだ。醜いと感じる人だって中にはいるかもしれない。しかし天吾は彼女の顔だちが何故か最初から気に入っていた。彼女はまた性的なパートナーとして文句のつけようがなかった。そして天吾に対して多くを要求しなかった。週に一度三時間か四時間をともに過ごし、念入りなセックスをすること。できれば二度すること。ほかの女性には近づかないこと。天吾に求められているのは基本的にはそれだけだ。彼女は家庭を大事にしていたし、天吾のためにそれを破壊するつもりはなかった。ただ夫とのセックスからじゅうぶんな満足を得ることができないだけだ。二人の利害はおおむね一致していた。
 天吾はほかの女性に対してとくに欲望を感じなかった。彼が何よりも求めているのは自由で平穏な時間だった。定期的なセックスの機会が確保できれば、それ以上女性に対して求めるべきものはなかった。同年齢の女性と知り合い、恋に落ち、性的な関係を持ち、それが必然的にもたらす責任を抱え込むことは、彼のあまり歓迎するところではなかった。踏むべきいくつかの心理的段階、可能性についての灰めかし、思惑の避けがたい衝突……、そんな一連の面倒はできることなら背負い込まずに済ませたかった。
 責務という観念は、常に天吾を怯えさせ、尻込みさせた。責務を伴う立場に立たされることを巧妙に避けながら、彼はこれまでの人生を送ってきた。人間関係の複雑さに絡め取られることなく、規則に縛られることをできるだけ避け、貸し借りのようなものを作らず、一人で自由にもの静かに生きていくこと。それが彼の一貫して求め続けてきたことだ。そのためには大抵の不自由を忍ぶ用意はあった。
 責務から逃れるために、人生の早い段階から天吾は自分を目立たなくする方法を身につけた。人前では能力を小出しにし、個人的な意見を口にせず、前面に出ることを避け、自分の存在感をできるだけ薄めるように努めた。誰かに頼らず自分一人の力で生き延びていかなくてはならない状況に、彼は子供の頃から置かれていた。しかし子供は現実的に力を持たない。だからいったん強い風が吹き始めると、物陰に身を潜めて何かにつかまり、吹き飛ばされないようにしなくてはならなかった。そういう算段をいつも頭に入れておく必要がある。ディッケンズの小説に出てくる孤児たちと同じように。
 これまでのところ、天吾にとってものごとはおおむね順調に運んできたと言える。彼はあらゆる責務から身をかわし続けてきた。大学にも残らず、正式の就職もせず、結婚もせず、比較的自由のきく職業に就き、満足のできる(そして要求の少ない)性的パートナーを見つけ、潤沢な余暇を利用して小説を書いた。小松という文学上のメンターに巡り合い、彼のおかげで文筆の仕事も定期的に回ってくるようになった。書いた小説はまだ日の目を見ないけれど、今のところ生活に不自由があるわけではない。親しい友人もいないし、約束を待っている恋人もいない。これまでに十人ばかりの女性たちとつきあって、性的な関係を持ったが、誰とも長続きはしなかった。しかし少なくとも彼は自由だった。
 ところがふかえりの『空気さなぎ』の原稿を手にしたとき以来、彼のそのような平穏な生活にもいくつかのほころびが見えてきた。まず彼は小松の立てた危険な計画に、ほとんど無理やりにひきずり込まれた。その美しい少女は個人的に、彼の心を不思議な角度から揺さぶった。そして『空気さなぎ』を書き直したことによって、天吾の中で何らかの内的な変化が生じたようだ。おかげで彼は、[#傍点]自分の[#傍点終わり]小説を書きたいという強い意欲に駆られるようになった。それはもちろん良き変化だった。しかしそれと同時に、彼がこれまで維持してきたほとんど完壁なまでの、自己充足的な生活サイクルが、何かしらの変更を迫られていることも事実だった。
 いずれにせよ、明日は金曜日だ。ガールフレンドがやってくる。それまでにふかえりをどこかにやらなくてはならない。
 
 ふかえりが起きてきたのは午前二時過ぎだった。彼女はパジャマ姿のままドアを開けて台所にやってきた。そして大きなグラスで水道の水を飲んだ。それから目をこすりながらテーブルの天吾の向かいに座った。
「わたしはじゃまをしている」とふかえりは例によって疑問符なしの疑問形で尋ねた。
「べつにかまわないよ。とくに邪魔はしていない」
「なにを書いている」
 天吾はレポート用紙を閉じ、ボールペンを下に置いた。
「たいしたものじゃない」と天吾は言った。「それにもうそろそろやめようと思っていたところだから」
「しばらくいっしょにいていい」と彼女は尋ねた。
「かまわないよ。僕はワインを少し飲むけど、君は何か飲みたい?」
 少女は首を振った。何もいらないということだ。「ここでしばらくおきていたい」
「いいよ。僕もまだ眠くはないから」
 天吾のパジャマはふかえりには大きすぎたので、彼女は袖と裾を大きく折ってそれを着ていた。身をかがめると、襟元から乳房のふくらみが部分的に見えた。自分のパジャマを着たふかえりの姿を見ていると、天吾は妙に息苦しくなった。彼は冷蔵庫を開け、瓶の底に残っていたワインをグラスに注いだ。
「おなかはすかない?」と天吾は尋ねた。アパートに帰る途中、二人は高円寺駅の近くの小さなレストランに入ってスパゲティーを食べた。たいした量ではないし、それからけっこう時間が経つ。「サンドイッチとか、そういう簡単なものなら作ってあげられるけど」
「おなかはすかない。それより、あなたがかいたものをよんでほしい」
「僕が今書いていたものを?」
「そう」
 天吾はボールペンを手にとり、指にはさんで回した。それは彼の大きな手の中でひどくちっぽけに見えた。「最後まで書き上げて、しっかり書き直してからじゃないと、原稿を人に見せないことにしているんだ。それがジンクスになっている」
「ジンクス」
「個人的な取り決めみたいなもの」
 ふかえりはしばらく天吾の顔を見ていた。それからパジャマの襟を合わせた。「じゃあ、なにかホンをよんで」
「本を読んでもらうと寝付ける?」
「そう」
「それで戎野先生によく本を読んでもらったんだね」
「センセイはいつもよあけまでおきているから」
「『平家物語』も先生に読んでもらったの?」
 ふかえりは首を振った。「それはテープできいた」
「それで記憶したんだ。でもずいぶん長いテープだっただろうな」
 ふかえりは両手でカセットテープを積み上げた嵩を示した。「とてもながい」
「記者会見ではどの部分を暗唱したんだろう?」
「ホウガンみやこおち」
「平氏を滅亡させたあと、源義経が頼朝に追われて京都を去るところだ。勝利を収めた一族の中で骨肉の争いが始まる」
「そう」
「ほかにはどんな部分を暗唱できるの?」
「ききたいところをいってみて」
 天吾は『平家物語』にどんなエピソードがあったか思い出してみた。なにしろ長い物語だし、エピソードは無数にある。「壇ノ浦の合戦」と天吾は適当に言った。
 ふかえりは二十秒ばかり黙って神経を集中していた。それから暗唱を始めた。
 
[#ここから1字下げ]
源氏のつはものども、すでに平家の舟に乗り移りければ
水手《すいしゅ》・梶取《かんどり》ども、射殺され、切り殺されて
舟をなほすに及ばず、舟底に倒《たは》れ臥しにけり。
新中納言知盛卿、小舟に乗ッて、御所の御舟に参り
「世の中は今はかうと見えてさうらふ。見苦しからんものども
みな海へ入れさせ給へ」とて、ともへに走りまはり、掃いたり、のこうたり
塵ひろひ、手つから掃除せられけり。
女房たち、「中納言どの、戦はいかにや、いかに」と口々に問ひ給へば
「めづらしき東男をこそ、ごらんぜられさうらはんずらめ」とて
からからと笑ひ給へば、「なんでうのただいまのたはぶれそや」とて
こゑごゑにをめき叫び給ひけり。
 
二位殿は、このありさまをご覧じて、日頃思しめしまうけたることなれば
鈍《にぶ》色のふたつぎぬうちかづき、ねりばかまのそば高くはさみ
神璽《しんし》をわきにはさみ、宝剣を腰にさし、主上《しゅしょう》をいだきたてまッて、
「我が身は女なりとも、かたきの手にはかかるまじ。
君の御ともに参るなり。おんこころざし思ひまゐらせ給はん人々は
急ぎ続き給へ」とて、舟ばたへ歩みいでられけり。
 
主上、今年は八歳にならせ給へども
御としのほどより、はるかにねびさせ給ひて
御かたちうつくしく、あたりも照り輝くばかりなり。
御《おん》ぐし黒うゆらゆらとして、御背中すぎさせ給へり。
あきれたる御さまにて、
「尼ぜ、われをばいつちへ具してゆかむとするぞ」とおほせければ
いとけなき君にむかひたてまつり、涙をおさへて申されけるは
「君はいまだしろしめされさぶらはずや。
先世《ぜんぜじ》の十善戒行《ゆうぜんかいぎょう》の御《おん》ちからによッて、
いま万乗《ばんじょう》のあるじと生《む》まれさせ給へども、悪縁にひかれて
御運すでに尽きさせ給ひぬ。
まづ東《ひんがし》にむかはせ給ひて
伊勢大神宮に御いとま申させ給ひ
そののち西方浄土の来迎《らいこう》にあつからむとおぼしめし、
西にむかはせ給ひて御念仏さぶらふべし。
この国は粟散辺地《そくさむへんじ》とて、こころうきさかひにてさぶらへば
極楽浄土とてめでたきところへ具しまゐらせさぶらふぞ」
となくなく申させ給ひければ、
山鳩色の御衣に、びんづらゆはせ給ひて
御涙におぼれ、ちいさく美しき御手をあはせ
まづ東をふしをがみ
伊勢大神宮に御いとま申させ給ひ
その後西にむかはせ給ひて、御念仏ありしかば
二位殿やがていだき奉り、「浪の下にも都のさぶらふぞ」と
なぐさめたてまッて、ちいろの底へぞ入給ふ。
[#ここで字下げ終わり]
 
 目を閉じて彼女の語る物語を聞いていると、まさに盲目の琵琶法師の語りに耳を傾けているような趣があった。『平家物語』がもともとは口承の叙事詩であったことに、天吾はあらためて気
つかされた。ふかえりの普段のしゃべり方は平板そのもので、アクセントやイントネーションがほとんど聞き取れないのだが、物語を語り始めると、その声は驚くほど力強く、また豊かにカラフルになった。まるで何かが彼女に乗り移ったようにさえ思えた。一一八五年に関門海峡で行われた壮絶な海上の合戦の有様が、そこに鮮やかに蘇った。平氏の敗北はもはや決定的になり、清盛の妻時子は幼い安徳天皇を抱いて入水する。女官たちも東国武士の手に落ちることをきらってそれに続く。知盛は悲痛な思いを押し隠し、冗談めかして女官たちに自害を促しているのだ。このままではあなた方は生き地獄を味わうことになる。ここで自ら命を絶った方がいい。
「もっとつづける」とふかえりが訊いた。
「いや、そのへんでいい。ありがとう」と天吾は呆然としたまま言った。
 新聞記者たちが言葉を失った気持ちは、天吾にもよくわかった。「しかし、どうやってそんなに長い文章が記憶できるんだろう」
「テープでなんどもきいた」
「テープで何度も聞いても、普通の人間にはとても覚えられない」と天吾は言った。
 それから彼はふと思った。この少女は本が読めないぶん、耳で聞き取ったことをそのまま記憶する能力が、人並み外れて発達しているのではないだろうか。サヴァン症候群の子供たちが、膨大な視覚情報を瞬時にそのまま記憶に取り込むことができるのと同じように。
「ホンをよんでほしい」とふかえりは言った。
「どんな本がいいのかな?」
「センセイとさっきはなしていたホンはある」とふかえりは尋ねた。「ビッグ・プラザのでてくるホン」
「『一九八四年』か。いや、ここにはない」
「どんなはなし」
 天吾は小説の筋を思い出した。「ずいぶん昔、学校の図書館で読んだだけだから、細かい部分はよく覚えていないけど、とにかくその本が出版されたのは一九四九年で、その時点では一九八四年は遠い未来だった」
「ことしのこと」
「そう、今年がちょうど一九八四年だ。未来もいつかは現実になる。そしてそれはすぐに過去になってしまう。ジョージ・オーウェルはその小説の中で、未来を全体主義に支配された暗い社会として描いた。人々はビッグ・ブラザーという独裁者によって厳しく管理されている。情報は制限され、歴史は休むことなく書き換えられる。主人公は役所に勤めて、たしか言葉を書き換える部署で仕事をしているんだ。新しい歴史が作られると、古い歴史はすべて廃棄される。それにあわせて言葉も作り替えられ、今ある言葉も意味が変更されていく。歴史はあまりにも頻繁に書き換えられているために、そのうちに何が真実だか誰にもわからなくなってしまう。誰が敵で誰が味方なのかもわからなくなってくる。そんな話だよ」
「レキシをかきかえる」
「正しい歴史を奪うことは、人格の一部を奪うのと同じことなんだ。それは犯罪だ」
 ふかえりはしばらくそれについて考えていた。
「僕らの記憶は、個人的な記憶と、集合的な記憶を合わせて作り上げられている」と天吾は言った。「その二つは密接に絡み合っている。そして歴史とは集合的な記憶のことなんだ。それを奪われると、あるいは書き換えられると、僕らは正当な人格を維持していくことができなくなる」
「あなたもかきかえている」
 天吾は笑ってワインを一口飲んだ。「僕は君の小説に便宜的に手を入れただけだ。歴史を書き換えるのとはずいぶん話が違う」
「でもそのビッグ・プラザのホンはいまここにない」と彼女は尋ねた。
「残念ながら。だから読んであげることはできない」
「ほかのホンでもいい」
 天吾は本棚の前に行って、書物の背表紙を眺めた。これまでに多くの本を読んできたが、所有する本の数は少ない。何によらず自分の住まいに多くのものを置くのが好きではなかった。だから読み終えた本は特別なものを別にして、古本屋に持っていった。すぐに読める本だけを買うようにしたし、大事な本は熟読して頭にたたき込んだ。それ以外の必要な本は近所にある図書館で借りて読む。
 本を選ぶのに時間がかかった。声に出して本を読むことに慣れていなかったので、いったいどんな本が朗読に適しているのか、見当がつかなかったからだ。ずいぶん迷った末に、先週読み終えたばかりのアントン・チェーホフの『サハリン島』を取り出した。興味深い箇所に付箋を貼ってあったから、適当な場所だけを拾い読みすることができるだろう。
 声に出して読む前に、天吾はその本についての簡単な説明をした。一八九〇年にチェーホフがサハリンに旅をしたとき、彼はまだ三十歳だったこと。トルストイやドストエフスキーのひとつ下の世代の、若手新進作家として高い評価を受け、首都モスクワで華やかな暮らしをしていた都会人チェーホフが、どうしてサハリン島という地の果てのようなところに一人で出かけ、そこに長く滞在しようと決心したのか、その正確な理由は誰にもわかっていないこと。サハリンは主に流刑地として開発された土地であり、一般の人々にとっては不吉さと惨めさの象徴でしかなかった。そして当時はまだシベリア鉄道はなかったから、彼は馬車で四千キロ余り、極寒の地を走破しなくてはならず、その苦行はもともと丈夫ではない彼の身体を、容赦なく痛めつけることになった。そしてチェーホフが八ヶ月に及ぶ極東の旅を終えて、その成果として書き上げた『サハリン島』という作品は、結果的に多くの読者を戸惑わせることになった。それは文学的な要素を極端に抑制した、むしろ実務的な調査報告書や地誌に近いものだったからだ。「どうしてチェーホフは作家としての大事な時期に、あんな無駄な、意味のないことをしたのだろう」とまわりの人々は囁き合った。批評家の中には「社会性を狙ったただの売名行為」と決めつけるものもいた。
「書くことがなくなって、ネタ探しに行ったんだろう」という意見もあった。天吾は本についている地図をふかえりに見せ、サハリンの位置を教えた。
「どうしてチェーホフはサハリンにいった」とふかえりが尋ねた。
「それについて[#傍点]僕が[#傍点終わり]どう考えるかということ?」
「そう。あなたはそのホンをよんだ」
「読んだよ」
「どうおもった」
「チェーホフ自身にもその正確な理由はよくわからなかったかもしれない」と天吾は言った。
「というか、ただ単にそこに行ってみたくなったんじゃないかな。地図でサハリン島の形を見ているうちに、むらむらとやみくもにそこに行きたくなった、とかね。僕にも似たような体験はある。地図を眺めているうちに、『何があっても、ここに行ってみなくっちゃ』という気持ちになってしまう場所がある。そして多くの場合、そこはなぜか遠くて不便なところなんだ。そこにどんな風景があるのか、そこでどんなことが行われているのか、とにかく知りたくてたまらなくなる。それは[#傍点]はしか[#傍点終わり]みたいなものなんだ。だから他人に、その情熱の出どころを指し示すことはできない。純粋な意味での好奇心。説明のつかないインスピレーション。もちろんその当時モスクワからサハリンに旅行するというのは想像を絶する難行だから、チェーホフの場合、それだけが理由じゃないとは思うけど」
「たとえば」
「チェーホフは小説家であると同時に医者だった。だから彼は一人の科学者として、ロシアという巨大な国家の患部のようなものを、自分の目で検証してみたかったのかもしれない。自分が都会に住む花形作家であるという事実に、チェーホフは居心地の悪さを感じていた。モスクワの文壇の雰囲気にうんざりしていたし、何かというと脚を引っ張り合う、気取った文学仲間にも馴染めなかった。底意地の悪い批評家たちには嫌悪感しか覚えなかった。サハリン旅行はそのような文学的な垢を洗い流すための、一種の巡礼的な行為だったのかもしれない。そしてサハリン島は、多くの意味で彼を圧倒した。だからこそチェーホフは、サハリン旅行を題材にとった文学作品を、ひとつとして書かなかったんじゃないかな。それは簡単に小説の題材にできるような、生半可なことじゃなかった。そしてその患部は、言うなれば彼の身体の一部になったんだ。あるいはそれこそが彼の求めていたものだったのかもしれないけれど」
「そのホンはおもしろい」とふかえりは尋ねた。
「僕は面白く読んだよ。実務的な数字や統計が数多く書き連ねられていて、さっきも言ったように文学的な色彩はあまりない。チェーホフの科学者としての側面が色濃く出ている。でも僕はそういうところに、チェーホフという人の潔い決意のようなものを読み取ることができる。そしてそういう実務的な記述に混じって、ところどころに顔を見せる人物観察や風景描写がとても印象的なんだ。とはいっても、事実だけを並べた実務的な文章だって悪くない。場合によってはなかなか素敵なんだ。たとえばギリヤーク人について書かれた章なんかね」
「ギリヤークじん」とふかえりは言った。
「ギリヤークというのは、ロシア人たちが植民してくるずっと前からサハリンに住んでいた先住民なんだ。もともとは南の方に住んでいたんだけど、北海道からやってきたアイヌ人に押し出されるようなかっこうで、中央部に住むようになった。アイヌ人も和人に押されて、北海道から移ってきたわけだけどね。チェーホフはサハリンのロシア化によって急速に失われていくギリヤーク人たちの生活文化を間近に観察し、少しでも正確に書き残そうと努めた」
 天吾はギリヤーク人について書かれた章を開いて読んだ。聞き手が理解しやすいように、場合によっては文章を適当に省略し、変更しながら読んだ。
 
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 ギリヤーク人はずんぐりした、たくましい体格で、中背というよりはむしろ小柄な方である。もし背が高かったら、密林で窮屈な思いをすることだろう。骨太で、筋肉の密着している末端の骨や、背骨、結節など、すべての著しい発達を特徴としている。このことは、強くたくましい筋肉と、自然との絶え間ない緊張した闘争を連想させる。身体は痩せぎすな筋肉質で、皮下脂肪がない。でっぷりと太ったギリヤーク人などには、お目にかかれないのだ。明らかに、すべての脂肪分が体温維持のために消費されている。低い気温と極端な湿気によって失われる分を補うために、サハリンの人間はそれだけの体温を体内に作り出しておかなくてはならない。そう考えれば、なぜギリヤーク人が、あれほど多くの脂肪を食物に求めるのかが、理解できるだろう。脂っこいアザラシの肉や、サケ、チョウザメとクジラの脂身、血のしたたる肉など、これらすべてを生のままや、干物、さらには多くの場合冷凍にして、ふんだんに食べるのだが、こういう粗雑な食事をするため、咬筋の密着した箇所が異常に発達し、歯はどれもひどく擦り減っている。もっぱら肉食であるが、時たま、家で食事をしたり、酒盛りをしたりするときだけは、肉と魚に満州ニンニクや苺を添える。ネヴェリスコイの証言しているところによると、ギリヤーク人は農業を大変な罪悪と見なしており、地面を掘り始めたり、何か植えたりしようものなら、その人間は必ず死ぬと信じている。しかしロシア人に教えられたパンは、ご馳走として喜んで食べ、今ではアレクサンドロフスクやルイコフスコエで、大きな円パンを小脇に抱えて歩いているギリヤーク人に会うこともめずらしくない。
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 天吾はそこで読むのをやめ、一息ついた。じっと聞き入っているふかえりの顔から、感想を読み取ることはできなかった。
「どう、もっと読んでほしい? それとも別の本にする?」と彼は尋ねた。
「もっとギリヤークじんのことをしりたい」
「じゃあ続きを読もう」
「ベッドにはいってかまわない」とふかえりは尋ねた。
「いいよ」と天吾は言った。
 そして二人は寝室に移った。ふかえりはベッドに潜り込み、天吾はそのそばに椅子を持ってきて座った。そして続きを読み始めた。
 
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 ギリヤーク人は決して顔を洗わないため、人類学者ですら、彼らの本当の色が何色なのか、断言しかねるほどだ。下着も洗わないし、毛皮の衣服や履物は、まるでたった今、死んだ犬から剥ぎ取ったばかりといった様子だ。ギリヤーク人そのものも、げっとなるような重苦しい悪臭を放ち、彼らの住居が近くにあれば、干し魚や、腐った魚のアラなどの、不快な、ときには堪えられぬほどの匂いによってすぐにわかる。どの家のわきにも、二枚に開いた魚をところ狭しと並べた干し場があり、それを遠くから見ると、とくに太陽に照らされているときなどは、まるでサンゴの糸のようだ。こうした干し場の近くでクルゼンシュテルンは、三センチほどの厚みで地面を覆いつくしている、おびただしい数のウジを見かけた。
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「クルゼンシュテルン」
「初期の探検家だと思う。チェーホフは勉強家で、それまでサハリンについて書かれたあらゆる本を読破したんだ」
「つづきをよんで」
 
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 冬になると、小舎はかまどから出るいがらっぽい煙がいっぱいに立ちこめ、そこへもってきて、ギリヤーク人たちが、妻や子供にいたるまで、タバコをふかすのである。ギリヤーク人の病弱ぶりや死亡率については何ひとつ明らかにされていないが、こうした不健全な衛生環境が彼らの健康状態に悪影響を及ぼさずにおかぬことは、考える必要がある。もしかすると背が低いのも、顔がむくんでいるのも、動作に生気がなく、大儀そうなのも、この衛生環境が原因かもしれない。
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「きのどくなギリヤークじん」とふかえりは言った。
 
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 ギリヤーク人の性格については、さまざまな本の著者が各人各様の解釈を下しているが、ただひとつの点、つまり彼らが好戦的ではなく、論争や喧嘩を好まず、どの隣人とも平和に折り合っている民族だという点では、だれもが一致している。新しい人々がやってくると、彼らは常に、自分の未来に対する不安から、疑い深い目で見るものの、少しの抵抗もなしに、その都度愛想良く迎え入れる。かりに彼らが、サハリンをいかにも陰馨な感じに描写し、そうすれば異民族が島から出ていってくれるだろうと考えて、嘘をつくようなことがあるとしたら、それが最大限の抵抗なのだ。クルゼンシュテルンの一行とは、抱擁し合うほどの仲で、L・I・シュレンクが発病したときなど、その知らせがたちまちギリヤーク人のあいだに広まり、心からの悲しみをよび起こしたものである。彼らが嘘をつくのは、商いをする時とか、あるいは疑わしい人物なり、彼らの考えで危険人物と思われる人間なりと話す時に限られているが、嘘をつく前にお互い目配せを交わし合うところなど、まったく子供じみた仕草だ。商売を離れた普通の社会では、一切の嘘や自慢話は、彼らにとって鼻持ちならないものなのである。
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「すてきなギリヤークじん」とふかえりは言った。
 
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 自分の引き受けた頼みをギリヤーク人はきちんとやってのける。これまで、ギリヤーク人が途中で郵便物を捨てたとか、他人の品物を使い込んだとかいう出来事は一度もない。彼らは勇敢で、呑み込みが早く、陽気で、親しみやすく、有力者や金持ちといっしょになっても、まったく気がねをしない。自分の上には一切の権力を認めないし、彼らのあいだには目上とか目下といった概念すらないかのようだ。よく言われもし、書かれてもいることだが、ギリヤーク人の間では、家長制度もまた尊ばれていない。父親は自分が息子より目上だとは思っていないし、息子の方も父親を一向にうやまわず、好き勝手な暮らしをしている。老母も洟《はな》たらしの小娘以上の権力を家庭内で持っているわけではない。ボシニャークが書いているところによると、息子が生みの母を蹴って家から叩きだし、しかもだれ一人あえて意見をしようとするものもいないという場面を、彼は一度ならず目にする機会があったようだ。一家族の中で、男性はみな同格である。もしギリヤーク人にウォトカをご馳走するとなったら、いちばん幼い男の子にもすすめなければいけない。
 一方家族中の女性は、祖母であれ、母親であれ、あるいは乳呑み児であれ、いずれも同じように権利を持たぬ人間であり、投げ捨てたり、売り飛ばしたり、犬のように足蹴にしてもかまわぬ、品物か家畜のように冷たく扱われている。ギリヤーク人は、犬を可愛がることはあっても、女性には絶対に甘い顔は見せない。結婚などは下らぬことで、早い話が酒盛りよりも重要ではないとされ、宗教的な、あるいは迷信的な行事は一切とりおこなわれない。ギリヤーク人は槍や、小舟、はては犬などと娘を交換し、自分の小舎にかつぎこんで、熊の毛皮の上でいっしょに寝る——それでおしまいだ。一夫多妻も認められているが、どう見ても女性の方が男性より多いにもかかわらず、広く普及するには到っていない。下等動物や品物に対するような女性蔑視は、ギリヤーク人たちの間では、奴隷制度さえ不都合と考えぬ段階にまで達している。彼らの間では明らかに、女性はタバコや綿布と同様、取引の対象となっているのである。スエーデンの作家ストリンドベリは、女性なぞは奴隷となって、男のむら気に奉仕すればそれでよいのだと望んでいる、有名な女嫌いだが、本質的にはギリヤーク人と同じ思想の持ち主なわけだ。彼が北部サハリンへやってくることがあれば、ギリヤーク人たちに抱擁されるに違いない。
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 天吾はそこで一休みしたが、ふかえりは何も感想を言わず、ただ黙っていた。天吾は続けた。
 
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 彼らのところには法廷などなく、裁判が何を意味するかも知らないでいる、彼らが今にいたるもなお、道路の使命を全く理解していないという一事からしても、彼らがわたしたちを理解するのがいかに困難か、わかるだろう。道路がすでに敷かれているところですら、あいかわらず密林を旅しているのだ。彼らが家族も犬も列を作って、道路のすぐそばのぬかるみを、やっとのことで通っていくのをよく見かける。
[#ここで字下げ終わり]
 
 ふかえりは目を閉じ、とても静かに呼吸をしていた。天吾はしばらく彼女の顔を見ていた。しかし彼女が眠っているのかどうか、天吾には判断できなかった。だから別のページを開いてそのまま朗読を続けることにした。もし眠っているのならその眠りを確実にしたいという気持ちもあったし、チェーホフの文章をもっと声に出して読んでみたいという思いもあった。
 
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 ナイーバ河の河口には、以前ナイブーチ監視所があった。これの建設は一八六六年である。ミツーリがここに来た頃は、人の住む家や空き家を合わせて十八軒の建物と、小礼拝堂、食料品店があった。一八七一年に訪れたある記者の文章によると、ここには士官候補生の指揮下に二十人の兵士がいたようだ。ある小舎で、すらりとした美人の兵士の妻が、生みたての卵と黒パンをその記者に振舞い、ここの生活を賞めそやしたが、砂糖がべらぼうに高いことだけを愚痴っていた、という。今やそれらの小舎はあとかたもなく、あたりの荒涼たる風景を眺めていると、美人で背の高い兵士の妻など、何か神話のように思えてくる。ここでは今、新しい家を一軒建てているだけだ。見張り小舎か、宿場なのだろう。見るからに冷たそうな、濁った海が吠えたけり、丈余の白波が砂に砕けて、さながら絶望にとざされて『神よ、何のために我々を創ったのですか』とでも言いたげな風情だった。ここはもはや太平洋なのだ。このナイブーチの海岸では、建築現場に響く徒刑囚たちの斧の音が聞こえるが、はるか彼方に想像される対岸はアメリカなのである。左手には霧にとざされたサハリンの岬が望まれ、右手もまた岬だ……あたりには人影もなく、鳥一羽、蝿一匹見当たらぬ。こんなところで波はいったいだれのために吠えたけっているのか、だれがその声を夜毎にきくのか、波は何を求めているのか、さらにまた、私の去ったあと、波はだれのために吠えつづけるのだろうか——それすらわからなくなってくる。この海岸に立つと、思想ではなく、もの思いのとりこになる。そら恐ろしい、が同時に、限りなくここに立ちつくし、波の単調な動きを眺め、すさまじい吠え声をきいていたい気もしてくる。
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 ふかえりはどうやら完全に眠りについたようだった。耳を澄ませると静かな寝息が聞こえた。天吾は本を閉じ、ベッドのわきにある小さなテーブルの上に置いた。そして立ち上がり、寝室の明かりを消した。最後にもう一度ふかえりの顔を見た。彼女は天井を仰ぎ、口をまっすぐに結んで、穏やかに眠っていた。天吾はドアを閉め、台所に戻った。
 しかし彼にはもう自分の文章を書くことができなくなっていた。チェーホフの描写した、サハリンの荒れ果てた海岸の風景が、彼の頭の中にしっかりと腰を据えていた。天吾はその波の音を耳にすることができた。目を閉じると、天吾は人気のないオホーツク海の波打ち際に一人で立ち、深いもの思いのとりこになっていた。チェーホフのやり場のない、憂欝な思いを共有することができた。その地の果てで彼が感じていたのは、圧倒的な無力感のようなものだったのだろう。十九世紀末にロシア人の作家であるというのは、おそらく逃げ場のない痛烈な宿命を背負い込むことと同義であったはずだ。彼らがロシアから逃れようとすればするほど、ロシアは彼らをその体内に呑み込んでいった。
 天吾はワインのグラスを水ですすぎ、洗面所で歯を磨いてから、台所の明かりを消し、ソファに横になって毛布を身体にかけ、眠ろうとした。耳の奥ではまだ大きな海鳴りが響いていた。しかしそれでもやがて意識は薄れ、彼は深い眠りの中に引き込まれていった。
 
 目を覚ましたのは朝の八時半だった。ふかえりの姿はベッドの中にはなかった。彼が貸したパジャマは丸められて、洗面所の洗濯機の中に放り込まれていた。手首と足首のところは折られたままになっていた。台所のテーブルに書き置きがあった。メモ用紙にボールペンで「ギリヤーク人は今どうしているのか。うちに帰る」と書かれていた。字は小さく、硬く角張って、どことなく不自然に見えた。貝殻を集めて、砂浜に書かれた字を、上空から眺めているみたいな感じがあった。彼はその紙を畳んで、机の抽斗にしまった。十一時にやってくるはずのガールフレンドにそんなものを見つけられたら、きつと一騒動になる。
 天吾はベッドをきれいに整え、チェーホフの労作を書棚に戻した。それからコーヒーを作り、トーストを焼いた。朝食をとりながら、自分の胸の中に何か重いものが腰を据えていることに気づいた。それが何であるかがわかるまでに時間がかかった。それはふかえりの静かな寝顔だった。
 もしかして、おれはあの子に恋をしているのだろうか? いや、そんなことはない、と天吾は自分に言い聞かせた。ただ彼女の中にある何かが、たまたま物理的におれの心を揺さぶるだけだ。でもそれでは何故、彼女が身につけたパジャマのことがこうも気になるのだろう? どうして(深く意識もせずに)手にとってその匂いを嗅いでしまったのだろう?
 疑問が多すぎる。「小説家とは問題を解決する人間ではない。問題を提起する人間である」と言ったのはたしかチェーホフだ。なかなかの名言だ、しかしチェーホフは作品に対してのみならず、自らの人生に対しても同じような態度で臨み続けた。そこには問題提起はあったが、解決はなかった。自分が不治の肺病を患っていると知りながら(医師だからわからないわけがない)、その事実を無視しようと努め、自分が死につつあることを実際に死の床につくまで信じなかった。激しく喀血しながら、若くして死んでいった。
 天吾は首を振り、テーブルから立ち上がった。今日はガールフレンドの来る日だ。これから洗濯をして掃除をしなくてはならない。考えるのはそのあとにしよう。
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