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1Q84 (3-13)

时间: 2018-10-13    进入日语论坛
核心提示:第13章 牛河      これが振り出しに      戻るということなのか? 牛河の外見はかなり人目を惹く。見張りや尾行を
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 第13章 牛河
      これが振り出しに
      戻るということなのか?
 
 
 牛河の外見はかなり人目を惹く。見張りや尾行をするには不向きだ。人混みの中に姿を紛れ込まそうとしても、ヨーグルトの中の[#傍点]大むかで[#傍点終わり]みたいに目立ってしまう。
 彼の家族はそうではない。牛河には両親と二人の兄弟と一人の妹がいる。父親は医院を経営し、母親はその経理を担当している。兄と弟はどちらも優秀な成績で医大に進み、医者になった。兄は東京の病院に勤務し、弟は大学の研究医になっている。父親が引退するときには兄が浦和市内にある父の医院を引き継ぐことになっている。二人とも結婚して、それぞれに子供が一人いる。妹はアメリカの大学に留学し、今は日本に戻って同時通訳の仕事をしている。三十代半ばだがまだ独身だ。みんな痩せて背が高く、卵型の整った顔立ちをしている。
 その一家の中では、ほとんどあらゆる面において、とりわけ外見において、牛河は例外的な存在だった。背が低く、頭が大きくていびつで、髪がもしゃもしゃと縮れていた。脚は短く、キュウリのように曲がっていた。眼球が何かにびっくりしたみたいに外に飛び出し、首のまわりには異様にむっくりと肉がついていた。眉毛は濃くて大きく、もう少しでひとつにくっつきそうになっていた。それはお互いを求め合っている二匹の大きな毛虫のように見えた。学校の成績はおおむね優秀だったが、科目によって[#傍点]むら[#傍点終わり]があり、運動はとにかく苦手だった。
 その裕福で自己充足的なエリートの一家にあって、彼は常に「異物」だった。調和を乱し、不協和音を作り出す間違った音符だった。一家で撮った写真を見ると、彼一人だけが明らかに場違いな存在だった。間違えてそこに入り込んで、たまたま写真に写ってしまった無神経な部外者のように見えた。
 家族のみんなも、どうしてそんな自分たちとは似ても似つかない外見の人間が家内に出現したのか、どうにも納得できなかった。しかし彼は間違いなく、母親が腹を痛めて産んだ子供だった(陣痛がことのほかきつかったことを母親は記憶している)。誰かがバスケットに入れて戸口に置いていったわけではない。そのうちに誰かが、父親の側にやはりいびつな福助頭をした親戚が一人いたことを思い出した。牛河の祖父の従兄《いとこ》にあたる人だ。その人は戦争中、江東区にある金属会社の工場に勤務していたのだが、一九四五年春の東京大空襲にあって死んだ。父親はその人物に会ったことはないが、古いアルバムに写真が残っていた。その写真を目にして家族一同は「なるほど」と納得した。その父の叔父の外見は、驚くほど牛河に似ていたからだ。生まれ変わりではないかと思えるくらい瓜二つだった。たぶんその叔父を生み出したのと同じ要因が、何かの加減でひょっこり顔を出したのだろう。
 彼の存在さえなければ、見栄えにおいても学歴経歴においても、埼玉県浦和市の牛河家はけちのつけようのない一家だった。誰もが羨む優秀な、写真映りの良い一家だ。しかしそこに牛河が加わると、人々はいくぶん眉をひそめ、首をひねることになった。ひょっとしてこの一家には、美の女神の足もとをすくうようなトリックスター的な風味がどこかで混入しているのではあるまいかと人々は考えた。あるいは[#傍点]考えるに違いない[#傍点終わり]と両親は考えた。だから彼らは極力牛河を人前に出さないように心がけた。やむを得ず出すことがあっても、なるべく目立たないように扱った(もちろんそれは無駄な試みだったが)。
 しかし牛河は、自分がそういう位置に置かれていることを、とくに不満には思わなかったし、悲しいとも寂しいとも感じなかった。彼自身好んで人前に出たいとは思わなかったし、目立たないように扱われるのはむしろ望むところでさえあった。兄弟や妹は彼のことをほとんどいないものとして扱ったが、それも気にはならなかった。彼の方も、兄弟や妹のことを格別好きにはなれなかったからだ。彼らは見かけは美しく、学業成績も優秀で、おまけにスポーツ万能、友だちも数多かった。しかし牛河の目から見れば、その人間性は救いがたく浅薄だった。考え方は平板で、視野が狭く想像力を欠き、世間の目ばかり気にしていた。何よりも、豊かな智恵を育むのに必要とされる健全な疑念というものを持ち合わせていなかった。
 父親は地方の開業内科医としてはまずまず優秀な部類だったが、胸が痛くなるくらい退屈な人間だった。手にするものすべてが黄金に変わってしまう伝説の王のように、彼の口にする言葉はすべて味気ない砂粒になった。しかし口数を少なくすることによって、おそらく意図的にではないのだろうが、彼はその退屈さと愚昧さを世間の目から巧妙に隠していた。母親は逆に口数が多く、手のつけようがない俗物だった。金銭にうるさく、わがままで自尊心が強く、派手なことが好きで、ことあるごとに甲高い声で他人の悪口を言い立てた。兄が父親の性向を継承し、弟が母親のそれを継承していた。妹は自立心が強かったが、無責任で思いやりの心というものを持ち合わせず、自分の損得しか頭になかった。両親は末っ子の彼女を徹底的に甘やかし、スポイルした。
 だから牛河は少年時代をおおむね一人で過ごした。学校から帰ると自分の部屋に閉じこもり、ひたすら読書に耽った。飼っている犬のほかには友だちもいなかったから、自分が得た知識について誰かと語り合ったり、議論するような機会はなかったが、それでも自分が論理的で明晰な思考能力を持ち、雄弁な人間であることを彼はよく承知していた。そして一人で我慢強くその能力を磨いた。たとえばひとつの命題を設定し、それをめぐって一人二役の討論をおこなった。一方の彼はその命題を支持し熱弁をふるった。もう一方の彼はその命題を批判し、同じように熱弁をふるった。彼は相反するどちらの立場にも同じくらい強く——ある意味では誠実に——自己を同化し、のめり込むことができた。そのようにして彼は知らず知らず、自己を懐疑する能力を身につけていった。そして一般的に真理と考えられているものが多くの場合、相対的なものごとに過ぎないと認識していった。また彼は学んだ。主観と客観は、多くの人々が考えているほど明瞭に区別できるものではないし、もしその境界線がもともと不明瞭であるなら、意図的にそれを移動するのはさほど困難な作業ではないのだと。
 論理とレトリックをより明晰により効果的にするために、彼はまた手当たり次第に知識を頭に詰め込んでいった。役に立つものも、それほど役に立つとは思えないものも。同意できるものも、その時点ではあまり同意できそうにないものも。彼が求めたのは一般的な意味での教養ではなく、直接手に取って形や重さをたしかめることのできる具体的な情報だった。
 そのいびつな形をした福助頭は何より貴重な情報の容れ物になった。見栄えは悪いが使い勝手は良い。おかげで彼は同年代の誰よりも博識になった。その気になればまわりの誰をも簡単に言い負かすことができた。兄弟や同級生だけではなく、教師や両親さえも。しかし牛河はそんな能力をできるだけ人前に出さないように心がけた。どのような形であれ人目を惹くのは、彼の好むところではなかった。知識や能力はあくまで道具であり、それ自体を見せびらかすためのものではない。
 牛河は自分のことを、森の暗闇に潜んで獲物が通りかかるのを待つ、夜行性の動物のようなものだと考えていた。辛抱強く好機を待ち、その一瞬が来たら断固として飛びかかる。その前に自分の存在を相手に知らせてはならない。気配を殺し、相手を油断させることが大事なのだ。まだ小学生の頃から、彼はそういう考え方をしていた。誰かに甘えかかることもなかったし、感情を安易に表に出すこともなかった。
 もし自分がもう少しまともな外見に生まれついていたら、と想像することはあった。とくにハンサムじゃなくてもいい。感心してもらえるような見かけである必要はない。ごく普通でいい。すれ違った人が思わず振り向かない程度の見苦しくない外見であればいい。もしそんな風に生まれていたら、俺はいったいどんな人生を歩んでいただろう? しかしそれは牛河の想像を超えた[#傍点]もし[#傍点終わり]だった。牛河は[#傍点]あまりにも[#傍点終わり]牛河であり、そこにほかの仮定が入り込んでくる余地はなかった。いびつな大きな頭と飛び出した眼球、短く湾曲した両脚を持っていればこそ、ここに牛河という人間がいるのだ。懐疑的にして知識欲に溢れ、無口にして雄弁な一人の少年がいるのだ。
 
 醜い少年は歳月の経過とともに成長して醜い青年になり、いつしか醜い中年男になった。人生のどの段階にあっても、道ですれ違う人々はよく振り返って彼を見た。子供たちは遠慮なくじろじろと正面から彼の顔を眺めた。醜い老人になってしまえばもうそれほど人目を惹くことはないのではないかと、牛河はときどき考える。老人というのはたいてい醜いものだから、もともとの個別の醜さは若いときほど目立たなくなるのではないか。しかしそれは実際に老人になってみなければわからない。あるいは他に例を見ないほど見苦しい老人になるのかもしれない。
 とにかく背景に自分をとけ込ませてしまうというような器用な真似は、彼にはできない。おまけに天吾は牛河の顔を知っている。彼のアパートのまわりをうろついているところを見つけられたら、すべては水泡に帰してしまう。
 そのような場合にはだいたい専門の調査エージェントを雇うことにしている。弁護士時代から、牛河は必要に応じてそういう組織と関わりを持っていた。彼らの多くは元警察官であり、聞き込みや尾行や監視のテクニックに習熟している。しかし今回に限ってはできるだけ部外者を引き入れたくなかった。問題が微妙すぎるし、殺人という重大な犯罪が絡んでいる。更にいえば天吾を監視する目的がどこにあるのか、牛河自身にだって正確には把握できていないのだ。
 もちろん牛河が求めているのは、天吾と青豆とのあいだの「繋がり」を明らかにすることだが、青豆がどんな顔をしているのか、それすらはっきりとはわからない。ずいぶん手を尽くしたのだが、彼女のまともな写真はどうしても手に入らなかった。あのコウモリでさえ手に入れることができなかった。高校の卒業アルバムを見ることはできたが、クラス写真にうつっている彼女の顔は小さく、どことなく不自然で、仮面のようにしか見えなかった。会社のソフトボール部の写真では、つばの広い帽子をかぶって顔に影がかかっていた。だからもし青豆が牛河の前を通り過ぎても、それが青豆であると確認する術《すべ》は今のところない。身長が一七〇センチに近い、姿勢の良い女性だということはわかっている。目と頬骨に特徴があり、髪は肩に届く程度の長さ。ひきしまった身体をしている。しかしそんな女性は世の中にいくらでもいる。
 いずれにせよ、牛河自身がその監視の役を引き受けるしかなさそうだった。そこで我慢強く目を凝らし、何かが起こるのを待ち受け、何かが起こったら、それにあわせてどう行動するかを瞬時に判断する。そんな微妙な作業を他人に要求することは不可能だ。
 
 天吾は鉄筋三階建ての古いアパートの三階に住んでいた。入り口に全戸の郵便受けが設置され、そのひとつには「川奈」という名札がついている。郵便受けはあちこちで錆びて、塗料が剥がれかけている。郵便受けの扉にはいちおう鍵がついているが、ほとんどの住民は鍵をかけていない。玄関のドアには鍵はないので、誰でも自由にその建物に出入りできる。
 暗い廊下には、建築されてから長い歳月を経たアパート特有の匂いがする。直らない雨漏りや、安物の洗剤で洗われた古いシーツや、濁った天ぷら油や、枯れたポインセチアや、雑草の茂った前庭から漂ってくる猫の小便の匂いや、そのほか様々な正体不明の匂いが入り混じって、固有の空気を形成している。長くそこに住んでいれば、人はそういう匂いにも慣れるのかもしれない。しかしいくら慣れたところで、それが心温まる匂いではないという事実は変わらない。
 天吾の住む部屋は道路に面していた。賑やかというほどではないが、まずまず人通りのある道路だ。小学校が近くにあり、時間によっては子供の行き来も多い。アパートの向かいには小さな住宅がいくつか肩を寄せ合うように並んでいる。どれも庭のない二階建ての家だ。道路の先には酒屋があり、小学生を相手にする文房具店があった。ブロック二つ先には小さな交番があった。あたりには身を隠す場所もないし、道路脇に立って天吾の部屋をじっと見上げていたりしたら、たとえ運良く天吾に見つからなかったとしても、近所の人々に不審な目で見られるはずだ。ましてやそれが牛河のような「普通ではない」外見の人物であれば、住民の警戒度は二段階ばかり引き上げられるに違いない。下校時の子供を狙う変質者と思われて、交番の警官が呼ばれるかもしれない。
 誰かを監視するには、まずそれに適した場所を見つけなくてはならない。人目につかず相手の行動を観察できて、水や食料の補給経路を確保できる立地が求められる。もっとも理想的なのは、天吾の部屋を視野に収められる個室を確保することだった。そこに望遠レンズつきのカメラを三脚で据え、部屋の中の動きや人の出入りを見張る。単独でやるから二十四時間の監視は不可能だが、一日十時間程度ならカバーできる。しかし言うまでもなく、そんなおあつらえ向きの場所は簡単には見つからない。
 それでも牛河はあたりを歩きまわって、そういう場所を探し求めた。牛河はあきらめの悪い人間だ。足を使って歩けるだけ歩き、最後の最後まで僅かな可能性を追求する。そのしつこさが彼の持ち味だ。しかし半日かけて近所を隅々まで歩き回ってから、牛河はあきらめた。高円寺は密集した住宅地であり、地面は平坦で高いビルもない。天吾の部屋を視野に収められる場所は極めて限定されている。そしてその一画には牛河が身を収めることができそうな場所はひとつもなかった。
 
 良い考えが頭に浮かばないとき、牛河はいつもぬるめの長風呂に入ることにしていた。だから自宅に帰ると、まず風呂をわかした。そしてプラスチックの浴槽につかって、ラジオでシベリウスのヴァイオリン協奏曲を聴いた。とくにシベリウスを聴きたかったわけではない。またシベリウスの協奏曲は、一日の終わりに風呂に入りながら聴くのに相応しい音楽とも思えなかった。あるいはフィンランド人は、長い夜にサウナに入りながらシベリウスを聴くのが好きなのかもしれない。しかし文京区小日向にある二寝室のマンションの、ユニットバスの狭い浴室では、シベリウスの音楽はいささか情念的に過ぎたし、その響きは緊迫感を含みすぎていた。しかし牛河はとくに気にかけなかった。背景に何か音楽が流れていれば、彼としてはよかったのだ。ラモーのコンセールが流れていればそれを文句も言わずに聴いただろうし、シューマンの『謝肉祭』が流れていればそれを文句も言わずに聴いただろう。そのときたまたまFM放送局はシベリウスのヴァイオリン協奏曲を流していた。それだけのことだ。
 牛河はいつものように意識の半分を空っぽにして休ませ、残りの半分で考え事をした。そしてダヴィッド・オイストラフの演奏するシベリウスの音楽は、主にその空っぽの領域を通り過ぎていった。そよ風のように広く開け放たれた入り口から入り、広く開け放たれた出口から出ていった。音楽の聴き方としてはあまりほめられたものではないかもしれない。自分の音楽がそのように聴かれていると知ったら、シベリウスは大きな眉をひそめ、太い首筋にしわを何本か寄せたかもしれない。しかしシベリウスは遥か昔に死んでいたし、オイストラフも既に鬼籍に入っていた。だから牛河は誰に遠慮することもなく音楽を右から左に聴き流しながら、意識の空っぽではない方の半分でとりとめもなく思考を巡らせた。
 そういうとき、彼は対象を限定することなくものを考えるのが好きだった。犬たちを広大な野原に放つように、意識を自由に駆けめぐらせるのだ。どこでも好きなところに行って、なんでも好きなことをしてくればいいと彼らに言って、あとは放っておく。彼自身は首まで湯につかり、目を細め、音楽を聴くともなく聴きながらぼんやりとしている。犬たちがあてもなくはねまわり、坂道を転げまわり、飽きることなく互いを追いかけ合い、リスをみつけて無益な追跡をし、泥だらけになり草だらけになり、遊び疲れて戻ってくると、牛河はその頭を撫で、また首輪をつける。その頃には音楽も終わっている。シベリウスの協奏曲はおおよそ三十分で終了した。ちょうど良い長さだ。次の曲はヤナーチェックの『シンフォニエッタ』ですとアナウンサーは告げた。ヤナーチェックの『シンフォニエッタ』という曲名にはどこかで聞き覚えがあった。しかしどこでだったかは思い出せない。思い出そうとするとなぜか視野がぼんやりと曇ってきた。眼球に卵色のもやのようなものがかかった。きっと風呂に長く入り過ぎたのだろう。牛河はあきらめてラジオのスイッチを切り、風呂を出ると、タオルを腰にまいただけのかっこうで冷蔵庫からビールを出した。
 牛河は一人でそこに住んでいる。以前は妻がいて、二人の小さな娘がいた。神奈川県大和市中央林間に一軒家を買って、そこで暮らしていた。小さいながらも芝生の庭があり、犬を一匹飼っていた。妻はごく当たり前の顔立ちだったし、子供たちはそれぞれ美しいといってもいい顔をしていた。二人の娘はどちらも牛河の外見をまったく引き継がなかった。牛河はもちろんそのことでとてもほっとしていた。
 ところが突然の暗転とでも言うべきものがあり、今は一人だ。自分がかつて家族を持ち、郊外の一軒家で暮らしていたということ自体が不思議に思える。それは思い違いで、自分は都合にあわせて無意識に過去の記憶を捏造しているのではないかと考えることすらある。しかしもちろんそれは現実にあったことだ。ベッドを共にする妻と、血を分けた二人の子供が彼にはいた。机の抽斗には四人一緒の家族写真が入っている。そこでは全員が幸福そうに笑っている。犬さえ微笑んでいるように見える。
 家族が再びひとつになる可能性はない。妻と娘たちは名古屋に住んでいる。娘たちには新しい父親がいる。小学校の父親参観日に顔を出しても、娘たちが恥ずかしがらずにすむような当たり前の外見の父親が。娘たちはもう四年近く牛河に会っていないが、とくにそのことを残念に思っている様子はない。手紙さえ寄越さない。牛河自身、娘たちに会えないことをそれほど残念に思っていないみたいに見える。しかしもちろんそれは、彼が娘たちを大事に思っていないということではない。ただ牛河は何よりもまず自分という存在を確保しなくてはならなかったし、そのためにはさしあたって必要のない心の回路を閉ざしておく必要があったのだ。
 そしてまた彼にはわかっていた。たとえどれだけ遠く離れていようと、彼女たちの中には自分の血が流れていることを。娘たちがたとえ牛河を忘れ去ったとしても、その血が自らの道筋を見失うことはない。彼らはおそろしく長い記憶を持っている。そして福助頭の[#傍点]しるし[#傍点終わり]は将来いつか、どこかに再び姿をあらわすだろう。思いがけないときに思いがけないところで。そのとき人々は牛河の存在をため息と共に思い出すはずだ。
 そのような噴出の現場を牛河は生きて目にするかもしれない。しないかもしれない。どちらでもかまわない。そういうことが起こり得ると考えるだけで、牛河は満足感を得ることができた。それは復讐心ではない。この世界の成り立ちに自分が避けがたく含まれているのだという認識がもたらす一種の充足感だ。
 牛河はソファに座り、短い足を伸ばしてテーブルに載せ、缶ビールを飲みながらふとあることを思いついた。そううまくはいかないかもしれない。しかし試してみる価値はある。どうしてこんな簡単なことを思いつかなかったんだろう、と牛河は不思議に思った。たぶん簡単なことほど思いつかないものなのだ。灯台もと暗しというではないか。
 
 牛河は翌朝もう一度高円寺に行き、目についた不動産屋に入り、天吾の住んでいる賃貸アパートに空き部屋があるかどうかを尋ねた。彼らはその物件を扱っていなかった。駅前のある不動産業者がそのアパートを一括して管理しているということだった。
「ただね、あそこは空き部屋は出ないと思いますよ。家賃が手頃で場所が便利だから、住んでいる人が出ていかないんです」
「でもまあ念のためにあたるだけあたってみます」と牛河は言った。
 彼は駅前にあるその不動産屋を訪れた。彼の相手をしたのは二十代前半の若い男だった。髪が真っ黒で太く、それを特殊な鳥の巣みたいにジェルでしっかりと固めている。真っ白なシャツに、真新しいネクタイ。たぶんこの仕事に就いてまだ間がないのだろう。頬にまだ[#傍点]にきび[#傍点終わり]のあとが残っている。彼は入ってきた牛河の外見を見て少しひるんだが、すぐに気を取り直して職業的な笑みを浮かべた。
「お客さん、ラッキーですよ」とその青年は言った。「一階に住んでいたご夫婦が、家庭の事情があって急に引っ越すことになり、一週間前に部屋がひとつ空いたばかりです。昨日掃除が済んだところで、まだ広告も出していません。一階ですから外の音が少し気になるかもしれないし、日当たりはあまり期待できませんが、なにしろ便利なロケーションです。ただし家主さんは五年か六年のうちに建て替えすることを考えておられて、そのときには半年前の通告ですんなり出ていただくというのが契約の条件になります。それから駐車場はありません」
 問題はない、と牛河は言った。それほど長く住むつもりはないし、車は使わない。
「けっこうです。その条件さえ了承していただければ、もう明日からでもお住まいになれます。もちろんその前に部屋はいちおうご覧になりたいでしょうね?」
 是非見てみたいと牛河は言った。青年は机の抽斗から鍵を出し、牛河に渡した。
「私はちょっと用件がありまして、申し訳ないんですが、お一人で行って見てきていただけませんか。部屋は空っぽだし、帰りに鍵を返していただければいいです」
「いいですよ」と牛河は言った。「でももし私が悪人で、鍵をそのまま返さなかったり、コピーをとっておいてあとで空巣狙いでもしたらどうするんですか?」
 青年はそう言われて、びっくりしたように牛河の顔をしばらく見ていた。「ああ、そうですね。なるほど。じゃあ念のために名刺か何かを置いていっていただけますか」
 牛河は財布から例の「新日本学術芸術振興会」の名刺を出して渡した。
「牛河さん」と青年はむずかしい顔でそこにある名前を読み上げた。それから表情を崩した。
「悪いことをする人のようには見えなかったものですから」
「そいつはどうも」と牛河は言った。そしてその名刺の肩書きと同じくらい中身のない笑みを口元に浮かべた。
 誰かにそんなことを言われたのは初めてだった。たぶん何か悪いことをするには外見が目立ちすぎるということなのだろうと彼は解釈した。特徴をいとも簡単に描写することができる。似顔絵だってすらすらと描けてしまう。もし指名手配でもされたら、三日以内に捕まってしまうに違いない。
 部屋は予想したより悪くなかった。三階の天吾の部屋はちょうど真上にあるから、その内部を直接監視するのはもちろん不可能だ。しかし窓から玄関を視野に収めることができた。天吾の出入りをチェックできるし、天吾を訪ねてきた人間の目星をつけることもできる。カメラをカモフラージュすれば、望遠レンズで顔写真も撮れるだろう。
 その部屋を確保するためには、二ヶ月分の敷金と、一ヶ月分の前家賃と、二ヶ月分の礼金を払わなくてはならない。家賃がそれほど高くないとはいえ、そして敷金が解約時に戻ってくるとはいえ、ちょっとした金額になる。コウモリに支払いをしたせいで、預金残額も少なくなっていた。しかし自分が置かれた状況を考えれば、無理をしてでもその部屋を借りないわけにはいかなかった。選択の余地はない。牛河は不動産屋に戻り、そのためにあらかじめ用意しておいた現金を封筒から出して賃貸契約を結んだ。「新日本学術芸術振興会」との契約にしておいた。会社の登記簿謄本はあとで郵送すると言った。担当の青年はそんなことはとくに気にもとめなかった。契約が済むと、青年は牛河にあらためて部屋の鍵を渡した。
「牛河さん、これで今日からもうあの部屋にお住まいになることができます。電気と水道は通じていますが、ガスに関しては開通時にご本人の立ち会いが必要ですので、そちらから東京ガスに連絡をしていただくことになります。電話はどうなさいますか?」
「電話はこちらで手配します」と牛河は言った。電話会社と契約するのは手間もかかるし、工事人が部屋に入ることになる。近所にある公衆電話を利用した方がむしろ便利だろう。
 牛河はもう一度部屋に戻り、そこで必要とされるものをリストにした。ありがたいことに、前の住人は窓のカーテンをそのまま残していってくれた。花柄の古ぼけたカーテンだったが、どんなカーテンだってついているだけでもうけものだし、それは監視には不可欠なものだった。
 リストはそれほど長いものにはならなかった。食料品と飲料水があればとりあえず用は足りる。望遠レンズつきのカメラと三脚。あとはトイレット・ペーパーと登山用寝袋、携帯燃料、キャンプ用のコッフェル、果物ナイフ、缶切り、ゴミ袋、簡単な洗面用具と電気カミソリ、タオルを何枚か、懐中電灯、トランジスタ・ラジオ。最低限の着替え、煙草を一力ートン。そんなところだ。冷蔵庫も食卓も布団もいらない。雨風をしのげる場所がみつかっただけでも幸運なのだ。牛河は自宅に帰り、カメラバッグに一眼レフと望遠レンズを入れ、大量のフィルムを用意した。それからリストに書いた品物を旅行バッグに詰めた。足りないものは、高円寺駅前の商店街で買い揃えた。
 六畳間の窓際に三脚を設置し、ミノルタの最新式のオートマチック・カメラを載せ、そこに望遠レンズをとりつけ、玄関を出入りする人間の顔の位置にあわせてマニュアル・モードで焦点を調整した。リモートコントロールでシャッターが切れるようにした。モータードライブもセットした。レンズの先端に厚紙で囲いを作り、光を受けてレンズがきらめかないようにした。カーテンの隅が少し持ち上がり、紙筒のようなものが僅かにのぞいているのが外から見える。しかし誰もそんなものは気にするまい。ぱっとしない賃貸アパートの入り口を誰かが盗撮しているなんてまず思いつかない。
 そのカメラで牛河は、玄関を出入りする人々を何人かためしに撮影してみた。モータードライブのおかげで一人につき三度はシャッターを押すことができた。タオルでカメラをくるみ、シャッター音を小さくした。フィルム一本分を撮り終えると、駅近くのDPEに持っていった。フィルムを店員に渡せば、あとは機械が自動的に現像するシステムだ。大量の写真を高速処理するので、そこに何が映っているかなんて誰も気にとめない。
 写真の出来に不足はなかった。芸術性は求めがたいが、とりあえず用は足りる。玄関を出入りする人々は顔を見分けられる程度には鮮明に映し出されていた。牛河はDPEの帰りにミネラル・ウォーターと缶詰を買い込んだ。煙草屋でセブンスターのカートンを買った。荷物を胸に抱え、それで顔を隠すようにしてアパートに戻り、またカメラの前に座った。そして玄関を監視しながら水を飲み、缶詰の桃を食べ、煙草を何本か吸った。電気は通じていたが、何故か水が出てこなかった。ごろごろと奥の方で音がするだけで、蛇口からは何も出てこない。たぶん何かの加減で少し時間がかかるのだろう。不動産屋に連絡しようかとも思ったが、あまり頻繁にアパートを出入りしたくないので、もう少し様子を見ることにした。水洗便所が使えなかったので、清掃業者が置き忘れていったらしい小型の古いバケツの中に放尿した。
 冬の初めのせっかちな夕暮れが訪れて、部屋の中がすっかり暗くなっても、部屋の明かりはつけなかった。暗闇の到来はむしろ牛河の歓迎するところだ。玄関の照明が灯り、その黄色い明かりの下を通過していく人々を牛河は監視し続けた。
 夕方になって、玄関の人の出入りはいくぶん頻繁になったが、その数は決して多くはなかった。もともとが小さなアパートだ。そしてその中には天吾の姿はなかった。青豆らしき女性の姿も見えなかった。その日は天吾が予備校で教える日にあたっていた。夕方になれば彼はここに帰ってくる。天吾が仕事の後どこかに寄り道をするのはあまりないことだ。彼は外で食事をするよりは、自分で料理を作り、一人で本を読みながらそれを食べるのが好きだ。牛河はそのことを知っていた。しかし天吾はその日なかなか帰宅しなかった。仕事のあと誰かと会っているのかもしれない。
 そのアパートにはいろんな人間が住んでいた。若い独身の勤め人から、大学生から、小さな子供のいる夫婦から、独居の老人にいたるまで、住人の層はばらばらだ。人々は無防備に望遠レンズの視野の中を横切っていった。年代や境遇によって多少の差こそあれ、彼らはそれぞれに生活に疲れ、人生に飽いているように見えた。希望は色|褪《あ》せ、野心は置き忘れられ、感性は磨り減り、あとの空白に諦めと無感覚がそれぞれ腰を据えていた。まるで二時間前に抜歯手術を受けた人のように、彼らの顔色は暗く足取りは重かった。
 もちろんそれは牛河の誤った思い込みかもしれない。あるものは実は人生を心ゆくまで愉しんでいるのかもしれない。ドアを開けると、その内側には息を呑むような個人的楽園が拵えられているのかもしれない。あるものは税務署の調査を逃れるために質素な暮らしをしていると見せかけているのかもしれない。もちろんそれもあり得なくはない。しかしカメラの望遠レンズを通す限り、彼らは取り壊し寸前の安アパートにしがみつくように暮らす、うだつのあがらない都市生活者としか見えなかった。
 結局天吾は姿を見せずじまいだったし、天吾に繋がりがありそうな人間も見当たらなかった。時計が十時半をまわったところで牛河はあきらめた。今日は初日だし、態勢も十分整っていない。まだ先は長い。これくらいにしよう。身体をいろんな角度にゆっくりと伸ばし、こわばった部分をほぐした。あんパンをひとつ食べ、魔法瓶に入れて持ってきたコーヒーを蓋に注いで飲んだ。洗面台の蛇口をひねると、いつの間にか水道は出るようになっていた。彼は石けんで顔を洗い、歯を磨き、長い小便をした。壁にもたれて煙草を吸った。ウィスキーが一口飲みたかったが、ここにいるあいだはアルコールは一切口にしないと決めていた。
 それから下着だけになって寝袋に潜り込んだ。寒さでしばらくのあいだ身体が細かく震えた。夜になるとがらんどうの部屋は思いのほか冷えた。小さな電気ストーブがひとつ必要になるかもしれない。
 一人ぼっちで震えながら寝袋に入っていると、家族に囲まれて暮らしていた日々が思い出された。とくに懐かしく思い出したのではない。今自分が置かれている状況とあまりにも対照的なものとして、あくまで例証的に頭に浮かんだだけだ。家族と暮らしているときだって牛河はもちろん孤独だった。誰にも心を許さなかったし、そんな人並みの生活はどうせかりそめのものだと考えていた。いつかこんなものはあっけなく壊れてなくなってしまうに違いないと心の底で考えていた。弁護士としての忙しい生活、高い収入、中央林間の一軒家、見栄えの悪くない妻、私立小学校に通う二人のかわいい娘、血統書付きの犬。だからいろんなことが立て続けに起こって生活があっけなく崩壊し、一人であとに残されたときには、どちらかといえばほっとしたくらいだ。やれやれ、これでもう何も心配する必要はない。また振り出しに戻れたんだと。
 [#傍点]これが振り出しなのか[#傍点終わり]?
 牛河は寝袋の中で蝉の幼虫のように身体を丸く縮め、暗い天井を見上げた。同じ姿勢を長い時間とっていたせいで、身体の節々が痛んだ。寒さに震え、夕食代わりに冷えたあんパンをかじり、取り壊し寸前の安アパートの玄関を監視し、見映えのしない人々の姿を盗撮し、清掃用のバケツに放尿する。それが「振り出しに戻る」ことの意味なのか? それでやり忘れていたことを思い出した。彼は寝袋からもそもそと這い出して、バケツの中の小便を便器に捨て、ぐらつくレバーを押して水を流した。せっかく暖まった寝袋から出るのは気が進まなかったし、よほどそのままにしておこうかとも思ったのだが、暗い中でうっかりつまずいたりしたら大変なことになる。そのあと寝袋に戻り、またひとしきり寒さに震えた。
 [#傍点]これが振り出しに戻るということなのか[#傍点終わり]?
 たぶんそういうことなのだろう。これ以上失うべきものは何もない。自分の命のほかには。とてもわかりやすい。暗闇の中で牛河は薄い刃物のような笑みを浮かべた。
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