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1Q84 (3-16)

时间: 2018-10-13    进入日语论坛
核心提示:第16章 牛河      有能で我慢強く無感覚な機械 翌日の朝、牛河は前日と同じように窓際の床に腰を据え、カーテンの隙間か
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 第16章 牛河
      有能で我慢強く無感覚な機械
 
 
 翌日の朝、牛河は前日と同じように窓際の床に腰を据え、カーテンの隙間から監視を続けた。昨日の夕方に帰宅したのとだいたい同じ顔ぶれが、あるいはそっくり同じに見える顔ぶれがアパートを出ていった。彼らはやはり暗い顔をして、背中を丸めていた。新たな一日に対して、それがまだほとんど始まってもいないうちから、うんざりし疲れ果てているように見えた。それらの人々の中に天吾の姿はなかった。しかし牛河はカメラのシャッターを押して、前を通り過ぎていく一人一人の顔を記録していった。フィルムなら十分にあるし、手際よく撮影するためには実践練習が必要だ。
 朝の出勤の時間帯が終わり、出ていくべき人々が出ていってしまうのを見届けてから、牛河は部屋を出て近所の公衆電話ボックスに入った。そして代々木の進学予備校の番号をまわし、天吾を呼び出してもらった。電話に出た女性は「川奈先生は十日ほど前からお休みをとっておられます」と言った。
「ご病気か何かなのでしょうか?」
「いいえ。ご家族の具合が悪く、千葉県の方に行っておられるということです」
「いつ頃お帰りになるかわかりませんか?」
「こちらではそこまでうかがっておりません」と女性は言った。
 牛河は礼を言って電話を切った。
 天吾の家族といえばとりあえず父親しかいない。NHKの集金人をしていた父親だ。母親について天吾はまだ何も知らない。そして牛河の知る限り、父親との仲は一貫して良くはなかったはずだ。それなのに病気の父親の面倒を見るために、天吾はもう十日以上仕事を休んでいる。そこのところが今ひとつ脇に落ちなかった。いったいどうして、天吾の父親に対する反感がかくも急速に軟化したのだろう。父親はどんな病気で、千葉県のどこの病院に入院しているのだろう? 調べようがなくはないが、そのためには半日を潰さなくてはならない。そのあいだ監視は中断することになる。
 牛河は迷った。天吾が東京を離れているとなれば、このアパートの玄関を見張っている意味もなくなる。監視をいったん打ち切って、別の方向を模索した方が賢明かもしれない。天吾の父親の入院先を調べてもいい。あるいは青豆についてもう少し調査を進めてもいい。大学時代や会社勤めをしていた頃の彼女の同級生や同僚に会って、個人的な話を聞くこともできるだろう。何か新しい手がかりが見つかるかもしれない。
 しかしひとしきり思案した末に、このままアパートの監視を続けようと牛河は心を決めた。まず第一に監視を中断すれば、せっかく生まれかけている生活のリズムが損なわれてしまう。すべてを最初からもう一度やり直さなくてはならない。第二に今ここで天吾の父親の行方や青豆の交友関係を探っても、苦労の多い割に得るところは少ないのではないだろうか。足を使った調査は、あるポイントまでは効果を上げるものの、そこを越えると不思議に煮詰まってしまう。牛河はそのことを経験的に知っていた。第三に牛河の直感が、[#傍点]そこから動かないこと[#傍点終わり]を彼に強く求めていた。動じず腰を据え、通り過ぎるものをひたすら観察し、何ひとつ見逃してはならない。牛河のいびつな頭の中に収まった、昔ながらの飾り気のない直感はそう彼に告げていた。
 天吾がいてもいなくても、とにかくこのアパートの監視は継続しよう。ここに留まり、天吾が戻ってくる前に、玄関を日常的に出入りする住人たちの顔を一人残らず覚えてしまおう。誰が住人であるかがわかれば、当然のことながら、誰が住人ではないかが一目でわかるようになる。俺は肉食獣なのだ、と牛河は思う。肉食獣はどこまでも我慢強くなくてはならない。その場と一体化し、獲物についてのあらゆる情報を確保しなくてはならない。
 十二時前、人の出入りが最も少ない頃に牛河は外に出た。顔を少しでも隠すためにニットの帽子をかぶり、マフラーを鼻の下まで巻いていたが、それでもやはり彼の風体は人目を惹いた。べージュのニットの帽子は彼の大きな頭の上で、キノコの傘のように広がっていた。緑色のマフラーはその下にとぐろを巻いている大蛇のように見えた。変装としての効果はない。おまけに帽子もマフラーもまったく似合っていなかった。
 牛河は駅前のDPEに行き、フィルムを二本現像に出した。それから蕎麦屋に入って天ぷらそばを注文した。温かい食事を口にするのは久しぶりだった。牛河は天ぷらそばを大事に味わいながら食べ、つゆを最後の一滴まできれいに飲んだ。食べ終わったときには汗をかくほど身体が温まっていた。彼はまたニット帽をかぶり、マフラーを首に巻き、歩いてアパートに戻った。そして煙草を吸いながら、プリントされた写真を床に並べて整理した。帰宅する人物と朝出ていく人物とを照合し、重なっている顔があればひとつにまとめた。覚えやすいように一人ひとりに適当な名前をつけた。フェルトペンで写真にその名前を書いた。
 朝の通勤時間が終わると、アパートの玄関を出入りする住人はほとんどいなくなった。ショルダーバッグを肩にかけた大学生風の男が、午前十時頃に急ぎ足で出ていった。七十前後の老人と三十代半ばと思える女が出ていったが、それぞれスーパーマーケットの買い物袋を抱えて戻ってきた。牛河は彼らの写真も撮った。昼前に郵便配達がやってきて、玄関の郵便受けに郵便を仕分けして入れていった。段ボール箱を抱えた宅急便の配達人がやってきてアパートに入り、五分後に手ぶらで出ていった。
 一時間ごとに牛河はカメラの前を離れ、五分ばかりストレッチングをした。そのあいだ監視は中断されるが、一人きりですべての出入りをカバーすることはもとより不可能だ。それよりは身体を痺れさせないようにしておくことが大事だ。同じ姿勢を長く続けていると筋肉が退化し、いざというときに素早く反応できなくなる。牛河は虫になったザムザのように、その丸くいびつな身体を床の上で器用に動かし、筋肉をできるだけほぐした。
 退屈しのぎにAMラジオをイヤフォンで聴いた。昼間のラジオ番組は主婦と高齢者を主なリスナーと設定して作られている。出演している人々は気の抜けた冗談を口にし、意味のない馬鹿笑いをし、月並みで愚かしい意見を述べ、耳を覆いたくなる音楽をかけた。そして誰も欲しがらないような商品を声高に宣伝した。少なくとも牛河にはそう感じられた。それでも牛河はなんでもいいから人のしゃべり声を聴いていたかった。だから我慢してそんな番組を聴いていた。人はどうしてこのような愚かしい番組を制作し、わざわざ電波をつかってそれを広範な地域に散布しなくてはならないのだろう。
 しかしそう言う牛河にしても、とくに高尚で生産的な作業に携わっているわけではない。安アパートの一室にこもってカーテンの陰に隠れ、人々を隠し撮りしているだけだ。他人の行いを高いところから偉そうに批判できる立場にはない。
 何も今に限ったことではない。弁護士をしているときだって似たようなものだった。何か世の中の役に立つことをやったという記憶はない。いちばんの顧客は暴力団と結びついている中小の金融業者だった。牛河は彼らのもうけた金をどうすれば最も有効に分散できるかを考え、その段取りをつけた。要するに体の良いマネー・ロンダリングだ。地上げの仕事の一端も担った。古くからそこに住んでいる住民を追い出して広い更地にし、マンション業者に転売する。巨額の金が転がり込んでくる。これにもやはりその筋が絡んでいた。脱税容疑で起訴された人々の弁護も得意とした。依頼主の多くは一般の弁護士が二の足を踏むような胡散臭い種類の人々だった。牛河は依頼があれば(そしてそれがある程度の金になれば)相手が誰であれ躊躇しなかったし、腕も良かった。そこそこの結果も出した。だから仕事に不自由したことはない。教団「さきがけ」との関係もそのときにつくられたものだ。リーダーがなぜか個人的に彼を気に入ってくれた。
 世間の弁護士がやることを普通にやっていたら、牛河はとても生計を立てることができなかっただろう。大学を出てほどなく司法試験に合格し、弁護士資格をとったものの、頼れるコネクションもなければ、後ろ盾もなかった。その外見のせいで有力な弁護士事務所には採用してもらえなかった。個人で事務所を開いても、当たり前にやっていればほとんど依頼もこなかったはずだ。牛河のような尋常とは言えない容貌を持つ弁護士を、高い報酬を払ってわざわざ雇いたいと思う人間は、世の中に多くはいない。おそらくはテレビの法廷ドラマのせいだろう、優秀な弁護士は知的で整った顔だちをしているものと世間一般の人々は考えている。
 だから自然の成り行きとして、彼は裏社会と結びついていった。裏社会の人々は牛河の容貌をまったく気にとめなかった。むしろその特異性は、牛河が彼らに信用され受け入れられる要因のひとつになった。正常な世界に受け入れてもらえないという点においては、彼らと牛河は似た境遇にあったからだ。彼らは牛河の頭の回転の速さと、優秀な実務能力と口の堅さを認め、大きな金の動く(しかしおおっぴらにはできない)仕事を任せ、気前よく成功報酬を払ってくれた。牛河も素早く要領を呑み込み、違法ぎりぎりのところで司直から身をかわすコツを体得していった。彼は勘が良かったし、注意深くもあった。しかしあるとき、魔が差したというべきだろう、欲を出して見込み発進をし、ある微妙な一線を踏み越えてしまった。なんとか危いところで刑事罰こそ免れたものの、その結果東京弁護士会を除名されることになった。
 牛河はラジオを消し、セブンスターを一本吸った。煙を肺の奥まで吸い込み、ゆっくりと吐き出した。桃の缶詰の空き缶を灰皿代わりに使った。こんな生き方を続けていれば、死に方もたぶんろくなものではないはずだ。遠からず足を踏み外し、どこか暗いところに一人ぼっちで落ちていくのだろう。俺が今この世界からいなくなっても、それに気がつく人間はまずいないはずだ。暗闇の中で悲鳴を上げても、その声は誰の耳にも届くまい。しかしそれにしても、死ぬまではとにかく生きていくしかないわけだし、生きていくには俺なりのやり方で生きていくしかない。あまり褒められた類のものではないにせよ、それ以外に俺が生きていく方法はないのだから。そしてその[#傍点]あまり褒められたものではない[#傍点終わり]ものごとに関して言えば、牛河は世の中のほとんど誰よりも有能だった。
 
 二時半に野球帽をかぶった少女がアパートの玄関から出てきた。彼女は荷物を持たず、足早に牛河の視野を横切っていった。彼はあわてて手の中のモータードライブのスイッチを押し、シャッターを三度切った。彼女の姿を目にするのはそれが初めてだった。痩せて手脚の長い、顔立ちの美しい少女だ。姿勢が良く、バレリーナのようにも見える。年齢は十六か十七、色提せたブルージーンズに白いスニーカーを履き、男物の革ジャンパーを着ていた。髪はジャンパーの襟の中にたくしこまれていた。彼女は玄関を出て数歩進んだところで立ち止まり、目を細めて正面にある電柱の上をひとしきり見上げた。それから視線を地面に戻し、また歩き出した。道路を左に折れて牛河の視野から消えていった。
 その少女は誰かに似ていた。牛河の知っている誰かだ。最近目にしたことのある誰かだ。見かけからするとテレビ・タレントかもしれない。とはいっても牛河はニュース番組を別にすればテレビをまず見ないし、美少女タレントに興味を持った覚えもない。
 牛河は記憶のアクセルを床まで踏み込み、頭脳をフルに回転させた。目を細め、雑巾を絞るように脳細胞を締め上げた。神経がきりきりと痛んだ。それから突然、その誰かが深田絵里子であることを知った。彼は深田絵里子の実物を目にしたことはない。新聞の文芸欄に載った写真でしか見ていない。それでもその少女が身にまとっている超然とした透明さは、その小さな白黒の顔写真から受けた印象とそっくり同じだった。彼女と天吾はもちろん『空気さなぎ』の書き直しを通じて顔を合わせているはずだ。彼女が天吾と個人的に親しくなり、彼の部屋に身を潜めているのもあり得ないことではない。
 牛河はそれだけ考えると、ほとんど反射的にニット帽をかぶり、紺のピーコートを着て、マフラーを首にぐるぐると巻き付けた。そしてアパートの玄関を出ると、少女が歩き去った方に走った。
 あの子はずいぶん足早に歩いていた。追いつくのは無理かもしれない。でも少女はまったくの手ぶらだった。それは彼女が遠くに行くつもりのないことを示している。尾行して相手の注意を引く危険を犯すよりは、おとなしくここで帰りを待っていた方が得策だろう。そう思いつつも牛河は、彼女のあとを追わないわけにはいかなかった。その少女には牛河を理屈抜きに揺り動かす何かがあった。夕暮れのある瞬間、神秘的な色合いを持つ光が、人の心中に特殊な記憶を呼び起こすのと同じように。
 しばらく進んだところで、牛河は少女の姿を再び目にした。ふかえりは道ばたに立ち止まって、小さな文具店の店先を熱心にのぞき込んでいた。たぶん彼女の興味を惹くものがそこに置かれていたのだろう。牛河はさりげなく少女に背中を向け、自動販売機の前に立った。小銭をポケットから出し、温かい缶コーヒーを買った。
 やがて少女はまた歩き出した。牛河は半分飲んだ缶コーヒーを足もとに置き、距離を十分にとってあとをつけた。見たところ少女は歩くという行為にひたすら神経を集中していた。さざ波ひとつない広い湖面を歩いて横断しているみたいな歩き方だ。このような特別な歩き方をすれば、沈むこともなく靴を濡らすこともなく水面を歩くことができる。そういう秘法を会得しているかのようだ。
 この少女はたしかに何かを持っている。通常の人間が持ち合わせていない特殊な何かを。牛河はそう感じた。深田絵里子について彼は多くを知らない。今までに得た知識といえば、彼女がリーダーの一人娘であり、十歳の頃に「さきがけ」から単身逃亡し、戎野という高名な学者の家に身を寄せてそこで成長し、やがて『空気さなぎ』という小説を書き、川奈天吾の手を借りてそれをベストセラーにしたということくらいだ。今は行方不明になって、警察に捜索願が出されており、そのせいで「さきがけ」の本部が少し前に警察の捜索を受けた。
『空気さなぎ』の内容は教団「さきがけ」にとっていささか不都合なものであったらしい。牛河もその本を買って注意深くひととおり読んだが、小説の中のどの部分がどのように不都合だったのか、そこまではわからなかった。小説自体は面白くはあるし、ずいぶんうまく書かれている。文章は読みやすく端正であり、部分的には心を惹かれもする。しかし結局のところ罪のないただの幻想小説ではないか、彼はそう思った。またそれは世間の一般的な感想でもあるはずだった。死んだ山羊の口からリトル・ピープルが出てきて空気さなぎを作り、主人公はマザとドウタに分離し、月が二個になる。そんな幻想的なお話のいったいどこに、世間に知られては困る情報が隠されているというのだ? しかし教団の連中はその本に関して何か手を打たなくてはならないと心を決めているようだった。少なくとも一時期はそのように考えていた。
 とはいえ深田絵里子が世間の注目を浴びているときに、どのようなかたちにせよ彼女に手出しすることはあまりにも危険だった。だからそのかわりに(と牛河は推測する)、教団の外部エージェントとして天吾と接触することを彼は求められた。その大柄な予備校講師とのあいだに何らかのコネクションをつくれと命じられた。
 牛河から見れば天吾は、全体の流れの中では一介の脇役でしかない。編集者に頼まれて小説『空気さなぎ』の応募原稿を読みやすい筋の通ったものに書き換えた。仕事ぶりはなかなかみごとだったが、役割自体はあくまで補助的なものだ。なぜ天吾に彼らがそれほど関心を持たなくてはならないのか、牛河には今ひとつ納得がいかなかった。とはいえ牛河は下働きの兵隊に過ぎない。命じられたことを「はい、わかりました」と実行に移すだけだ。
 しかし牛河が知恵を絞ってこしらえた比較的気前の良い提案は、天吾にあっさりと一蹴され、天吾とのあいだにコネクションをつくるという計画はそこで頓挫した。さて、次にどう出ようかと思案しているところで、深田絵里子の父親であるリーダーが死んでしまった。だから話はそのままになった。
 現在の「さきがけ」がどのような方向を向き、何を求めているのか、牛河のあずかり知るところではない。リーダーを失った今、誰が教団の主導権を握っているのか、それもわからない。しかしとにかく彼らは青豆を見つけ出し、リーダー殺害の意図を解明し、背後関係を明らかにしようとしている。おそらくは厳しく処罰し復讐するためだろう。そして彼らはそこに司法を介入させまいと心を決めている。
 深田絵里子についてはどうなのだろう。教団は小説『空気さなぎ』について、現在はどのように考えているのだろう。その本は彼らにとってまだ脅威であり続けているのだろうか?
 
 深田絵里子は歩調を緩めることなく、後ろも振り向かず、まるで帰巣する鳩のようにどこかに向かって一直線に歩いていた。そのどこかが「マルショウ」という中規模のスーパーマーケットであることがほどなく判明した。ふかえりはそこでバスケットを手に列から列へと巡り、缶詰や生鮮食料品を選んだ。レタスひとつを買うにも、手にとっていろんな角度から細かく吟味をした。これは時間がかかりそうだと牛河は思った。だからいったんその店を出て、通りの向かい側にあるバス停留所に行き、バスを待つふりをしながら入り口を見張ることにした。
 でもどれだけ待っても少女は出てこなかった。牛河はだんだん心配になってきた。ひょっとして別の出入り口から出ていったのかもしれない。しかし牛河が見る限り、そのスーパーマーケットの出入り口は表通りに面してひとつあるきりだった。たぶん買い物に時間がかかっているだけだ。レタスを手に考え込んでいる少女の妙に奥行きのない真剣な目つきを牛河は思い起こした。だから辛抱強く待つことにした。バスが三台やってきて行ってしまった。そのたびに牛河だけが取り残された。新聞を持ってこなかったことを牛河は悔やんだ。新聞を広げていれば顔を隠せる。誰かのあとをつけるときには新聞や雑誌が必需品になる。でも仕方ない。なにしろとるものもとりあえず慌てて部屋を飛び出してきたのだから。
 ふかえりがようやく店から出てきたとき、腕時計は三時三十五分を指していた。少女は牛河のいるバス停の方には目もくれず、来た道を足早に戻った。牛河は間を置いてそのあとを追った。ふたつの買い物袋はかなり重そうだったが、少女は軽々と両腕にそれを抱え、水たまりを移動するアメンボウみたいにすいすいと道路を歩いていった。
 不思議な娘だ、その後ろ姿を見守りながら牛河はあらためて思った。まるで珍しい異国の蝶々を眺めているみたいだ。ただ見ているぶんにはいい。しかし手を出してはならない。手を触れたとたんにそれは自然な生命を失い、本来の鮮やかさをなくしてしまう。それは異国の夢を見ることをやめてしまう。
 ふかえりの居場所を発見したことを「さきがけ」の連中に教えるべきかどうか、牛河は頭の中で素早く計算をした。その判断はむずかしい。今ここでふかえりを差し出せば、それなりに点数は稼げるかもしれない。少なくともそれがマイナス材料になることはないはずだ。彼が着々と活動を続け、まずまずの成果をあげていることを教団に示すことはできる。しかしふかえりの処遇に巻き込まれているうちに、本来の目的である青豆を見つけるチャンスを逃がしてしまうかもしれない。それでは元も子もない。どうしたものだろう? 彼はピーコートのポケットに両手を突っ込み、鼻先までマフラーに埋め、行きよりも長い距離をとってふかえりのあとを歩いた。
 俺がこの少女のあとをつけたのは、[#傍点]ただその姿を眺めていたかったから[#傍点終わり]かもしれない。牛河はふとそう思った。買い物袋を抱えて道路を歩いていく彼女を見ているだけで、彼の胸は重く厳しく締めつけられた。ふたつの壁のあいだに挟まれて身動きがとれなくなった人のように、そのまま進むことも退くこともできない。肺の動きが不規則でぎこちなくなり、生ぬるい突風の中に置かれたみたいにひどく息苦しくなった。これまでに味わったことのない奇妙な心持ちだった。
 少なくとも今しばらく、この少女は放っておこうと牛河は心を定めた。最初のプランどおり青豆だけに焦点を絞ろう。青豆は殺人者だ。たとえどのような理由があったにせよ、罰せられるだけのことをした。彼女を「さきがけ」に引き渡すことに牛河は心の痛みを感じなかった。しかしこの少女は森の奥に生きる、柔らかな無言の生き物だ。魂の影のような淡い色合いの羽を持っている。遠くから眺めているだけにしよう。
 
 ふかえりが紙袋を抱えてアパートの玄関に姿を消してから、しばらく間をおいて牛河も中に入った。部屋に戻ってマフラーと帽子を取り、再びカメラの前に座った。風に吹かれた頬がすっかり冷たくなっていた。煙草を一本吸い、ミネラル・ウォーターを飲んだ。何か辛いものをたくさん食べたあとのように喉がひどく渇いた。
 夕暮れがやってきた。街灯に明かりがともり、人々が帰宅する時間が近くなった。牛河はピーコートを着たままリモコンのシャッター・スイッチを握り、アパートの玄関に視線を注いでいた。午後の陽光の記憶が薄れていくにつれて、空っぽの部屋は急速に冷え込んでいった。昨日よりも更に寒い夜になりそうだ。駅前にある電気器具量販店に行って電気ストーブか電気毛布を買ってこようと牛河は思った。
 深田絵里子が再びアパートの玄関に出てきたとき、腕時計の針は四時四十五分を指していた。黒いタートルネックのセーターにブルージーンズという、さっきと同じかっこうだ。しかし革ジャンパーは着ていない。ぴったりとしたセーターは、彼女の胸のかたちを鮮やかに浮かび上がらせていた。細い体つきなのに乳房は大きい。ファインダーを通してその美しい膨らみに目をやっているうちに、牛河は再び締めつけられるような息苦しさを感じた。
 上着を着ていないところを見ると、やはり遠くに出かけるつもりはなさそうだった。少女は前回と同じように玄関先で立ち止まり、目を細めて電柱の上を見上げた。あたりは暗くなりかけていたが、目をこらせばまだ事物の輪郭を見分けることはできる。彼女はしばらくそこに何かを探し求めていた。しかし目当てのものは見つからないようだった。それから彼女は電柱を見上げるのをやめ、鳥のように首だけを曲げて周辺を見回した。牛河はリモコンのスイッチを押して、少女の写真を撮った。
 まるでその音を聞きつけたかのように、ふかえりはさっとカメラの方を向いた。そしてファインダーを通して牛河とふかえりは向かい合うかっこうになった。牛河の方からはもちろんふかえりの顔がはっきり見える。彼は望遠レンズを覗いている。しかし同時にふかえりも、レンズの反対側から牛河の顔をじっと覗き込んでいた。彼女の目はレンズの奥にいる牛河の姿を捕らえている。滑らかな漆黒の瞳には牛河の顔がくっきりと映っている。そんな妙に直接的な接触感があった。彼は唾を飲み込んだ。いや、そんなはずはない。彼女の位置からは何も見えないはずだ。望遠レンズはカモフラージュされているし、タオルでくるんで消音したシャッター音はそこまでは届かない。それでも少女は玄関先に立ち、牛河の潜んだ方向を見ていた。その感情を欠いた視線をただ揺るぎなく牛河に注いでいた。星明かりが名もなき岩塊を照らすように。
 長いあいだ——どれほどの時間なのか牛河にはわからない——二人は互いを見つめていた。それから突然彼女は体をねじるように後ろを向き、足早に玄関の中に入っていった。見るべきものはすべて見たとでもいうように。少女の姿が見えなくなると、牛河は肺をいったん空っぽにし、少し時間をおいて新しい空気で満たした。冷ややかな空気が無数の棘となって、胸を内側から刺した。
 人々が帰宅し、昨夜と同じように玄関の明かりの下を次々に横切っていったが、牛河はもうカメラのファインダーを覗いてはいなかった。彼の手はシャッターのリモコンを握ってはいなかった。その少女の留保のない率直な視線は、彼の身体からあらゆる力をもぎ取り、持っていってしまったようだった。なんという視線だろう。それは研ぎ澄まされた鋼の長い針のように、彼の胸を一直線に刺し貫いていた。背中まで突き抜けそうなくらい深々と。
 あの少女は知っている。自分が牛河に密かに見つめられていることを。カメラで隠し撮りされていることも知っている。何故かはしらないがふかえりにはそれが[#傍点]わかる[#傍点終わり]のだ。おそらくは一対の特別な触覚を通して、彼女はその気配を感じ取ることができる。
 ひどく酒が飲みたかった。できることならウィスキーをグラスになみなみと注いで、そのまま一口で飲み干したかった。外に買いに出ようかとさえ考えた。すぐ近くに酒屋がある。しかし結局はあきらめた。酒を飲んだところで、何かが変わるわけではない。彼女はファインダーの向こう側から俺を見た。ここに潜んで人々を盗撮している俺のいびつな頭と薄汚れた魂を、あの美しい少女は視てとったのだ。その事実はどこまでいっても変わりはしない。
 牛河はカメラの前を離れ、壁にもたれ、しみの浮いた暗い天井を見上げた。そのうちに何もかもが空しく思えてきた。自分がひとりぼっちであることをこれほど痛感したことはなかった。暗闇をこれほど暗いと感じたこともなかった。彼は中央林間の一軒家のことを思い出し、芝生の庭と犬のことを思い出し、妻と二人の娘を思い出した。そこに照っていた太陽の光を思い出した。そして二人の娘の中に送り込まれたはずの自分の遺伝子のことを考えた。いびつな醜い頭とねじくれた魂を持った遺伝子のことを。
 何をしたところで無駄だという気がした。彼は配られたカードを使い切ったのだ。もともとたいした手ではない。しかし努力を重ね、その不十分な手札を最大限に利用してきた。頭をフルに回転させ、賭け金を巧妙にやりとりした。一時期はそれでけっこううまくいくようにも見えた。しかしもう手元には一枚のカードもない。テーブルの明かりは消され、集まっていた人々はみんなどこかに引き上げてしまった。
 結局その夕方は一枚の写真も撮らなかった。壁にもたれて目を閉じ、何本かセブンスターを吸い、また桃の缶詰を開けて食べた。時計が九時を指すと、洗面所に行って歯を磨き、服を脱いで寝袋の中に潜り込み、震えながら眠ろうとした。冷え込む夜だった。しかし彼の震えは夜の寒さだけによってもたらされたのではなかった。冷気は彼の身体の内部からやってくるように思えた。俺はいったいどこに行こうとしているのだろう、と牛河は暗闇の中で自らに問いかけた。だいたい俺はどこからやってきたのだろう。
 少女の視線に刺し貫かれた痛みは、まだ胸に残っていた。ひょっとしたら永遠に消えることはないのかもしれない。あるいはそれはずっと以前からそこにあったもので、俺は今までその存在に気づかなかっただけなのだろうか。
 
 翌朝、牛河はチーズとクラッカーにインスタント・コーヒーという朝食を食べ終えると、気を取り直して再びカメラの前に座った。前日と同じようにそのアパートを出て行く人々を観察し、写真を何枚か撮った。しかしそこには天吾の姿も、深田絵里子の姿もなかった。背を丸めた人々が、新しい一日の中に惰性的に足を踏み出していく光景が見えるだけだ。快晴の風の強い朝だった。人々は白い息を口から吐き、それを風が散らした。
 余計なことは考えないようにしようと牛河は思った。皮膚を厚くし、心の殻を固くし、日々をひとつまたひとつと規則正しく重ねていくのだ。俺はただの機械に過ぎない。有能で我慢強く無感覚な機械だ。一方の口から新しい時間を吸い込み、それを古い時間に換えてもう一方の口から吐き出す。存在すること、それ自体がその機械の存在事由なのだ。もう一度そのような混じりけのない純粋なサイクル——いつか終わりを迎えるであろう永久運動——に復帰しなくてはならない。彼は意志を堅くし、心の蓋を閉ざすことで、ふかえりのイメージを脳裏から追い払おうとした。少女の鋭い視線が残していった胸の痛みはずいぶん薄れ、今では時折の鈍い疼きに変わっていた。それでいい、と牛河は思う。それでいい。なによりだ。俺は複雑なディテールを持った単純なシステムなのだ。
 昼前に牛河は駅前の量販店に行って小さな電気ストーブを買った。それから前と同じ蕎麦屋に入って新聞を広げ、温かい天ぷらそばを食べた。部屋に戻る前にアパートの入り口に立って、ふかえりが昨日熱心に見上げていた電柱の上あたりに目をやった。しかし彼の注意を引くようなものは何も見当たらなかった。黒々とした太い電線が空中で蛇のように絡み合い、変圧器が据えられているだけだ。あの少女はそこにある何を見つめていたのだろう。あるいは何をそこに求めていたのだろう。
 部屋に戻って電気ストーブをつけてみた。スイッチを入れるとすぐにオレンジ色の光がともり、肌に親密な温もりを感じることができた。十分な暖房とはとてもいえないが、あるとないとではずいぶん違う。牛河は壁にもたれて軽く腕組みをし、小さな日だまりの中で短く眠った。夢も何もない、純粋な空白を思わせる眠りだった。
 それなりに幸福な深い眠りを終わらせたのはノックの音だった。誰かが部屋のドアをノックしている。目を覚ましてあたりを見回したとき、自分が今どこにいるのか一瞬わからなくなった。それから傍らにある三脚つきのミノルタの一眼レフを目にして、そこが高円寺のアパートの一室であることを思い出した。誰かがその部屋のドアを拳で叩いている。どうしてノックなんかするのだろう、牛河は意識を急いでかき集めながら不思議に思った。戸口にはドアベルがついている。それを指で押せばいいだけだ。簡単なことだ。なのにその誰かはわざわざノックをしていた。それもずいぶん強いノックだ。彼は顔をしかめ、腕時計に目をやった。一時四十五分。もちろん午後の一時四十五分だ。外は明るい。
 牛河はもちろんそのノックに応えなかった。彼がここにいることは誰も知らない。誰かが尋ねてくる予定もない。おそらくセールスマンか新聞の勧誘か、そんなところだ。向こうはあるいは牛河を必要としているかもしれないが、牛河の方は彼らを必要とはしていない。彼は壁にもたれたままドアを睨み、沈黙をまもった。そのうちにあきらめてどこかに行ってしまうだろう。
 しかしその誰かはあきらめなかった。間を置いて何度もノックを繰り返した。一連のノックがあり、十秒か十五秒ばかり休止があり、それから再びノックが続いた。躊躇や迷いのない断固としたノックで、音は不自然なくらい均質だった。そしてそれは一貫して牛河の応答を要求していた。牛河は次第に不安になってきた。ひょっとしたらドアの外にいるのは深田絵里子かもしれない。卑劣な隠し撮りをしている牛河を非難し詰問するために、ここにやってきたのかもしれない。そう思うと心臓の鼓動が早くなった。彼は太い舌で素早く唇を舐めた。しかし彼が耳にしているのはどう考えても、成人男性の大きな硬い拳がスチールのドアを叩いている音だ。少女の手ではない。
 あるいは深田絵里子が誰かに牛河の行為を通報し、その誰かが出向いてきたのかもしれない。たとえば不動産会社の担当者とか、それとも警官とか。もしそうだとしたら、話は面倒になる。しかし不動産会社の人間なら合い鍵を持っているし、警官なら自分たちが警察官であることをまず名乗るだろう。それに彼らはわざわざノックなんかしない。ドアベルを鳴らせばいいだけだ。
「神津《こうづ》さん」と男の声が言った。「神津さん」
 神津というのがこの部屋の以前の住人の名前であることを牛河は思い出した。郵便受けの名札もそのままにしてある。その方が牛河にとって都合良かったからだ。この男は神津という人物がまだこの部屋に住んでいると思っている。
「神津さん」とその声は言った。「あなたがそこにいることはわかっております。そんな風に部屋に閉じこもって息を詰めておると、身体によくありませんよ」
 中年の男の声だ。それほど大きくはない。いくぶんしゃがれてもいる。しかしその中心には堅い芯のようなものがあった。しっかりと焼いて丁寧に乾燥させられた煉瓦の持つ堅さだ。そのせいだろう、声はアパート全体に響き渡るくらいよく通った。
「神津さん、わたくしはNHKのものです。月々の受信料をいただきにあがりました。ですからドアを開けていただけませんか」
 牛河にはもちろんNHKの受信料を払うつもりはなかった。実際に部屋を見せて説明すれば話は早い。ほら、テレビなんてどこにもないでしょうと。しかし牛河のような特異な相貌の中年男が、家具ひとつない部屋に昼間から一人で閉じこもっているとなると、怪しまれないわけがない。
「神津さん。テレビを持っている人は受信料を払わなくちゃならないと、法律で決まっております。よく『俺はNHKなんか見ない。だから受信料は払わない』というようなことをおっしゃる方がおられます。しかしそんな理屈は通りません。NHKを見ていようがいるまいが、テレビがあれば受信料はいただくんです」
 ただのNHKの集金人だ、と牛河は思う。好きなことを言わせておけばいい。相手にしなければそのうちに行ってしまうだろう。しかしこの部屋の中に人がいることを、どうしてそこまで確信できるのだろう。一時間ほど前に部屋に戻ってきてから、牛河は外に出ていない。音もほとんど立てず、カーテンも閉めっぱなしにしている。
「神津さん、あなたが部屋の中におられることは、ちゃんとわかっております」と男は牛河の心を読んだように言った。「どうしてそんなことがわかるのかって、不思議に思われるでしょう。でもわかるのです。あなたはそこにいて、NHKの受信料を払うのがいやさにじっと息を殺している。わたくしにはそれが手に取るようにわかります」
 ノックの音がひとしきり均質に続いた。管楽器のブレスのような束の間の休止があり、それから再び同じリズムでドアがノックされた。
「わかりました、神津さん。あなたはあくまで[#傍点]しら[#傍点終わり]を切ろうと心を決めておられるようだ。いいでしょう、今日のところは引き上げます。わたくしにもほかにやらなくちゃならんことがあります。しかしまたうかがいます。嘘じゃありませんよ。来ると言ったら、必ずまた参ります。わたくしはそのへんのありきたりの集金人とは違います。いただくべきものをいただくまで、決してあきらめません。それはしっかり決まっておることなんです。月の満ち欠けや、人の生き死にと同じように。あなたはそれを逃れることはできません」
 長い沈黙があった。もういなくなったのかと思った頃、集金人は言葉を続けた。
「近いうちにお目にかかりましょう、神津さん。楽しみにしててください。あなたが予期もしていないとき、ドアがノックされます。[#傍点]どんどん[#傍点終わり]と。それはわたくしです」
 それ以上のノックはなかった。牛河は耳を澄ませた。廊下を去っていく靴音が聞こえたような気がした。すぐにカメラの前に移動し、カーテンの隙間からアパートの玄関を注視した。集金人はアパート内での集金作業を終えて、ほどなくそこから出てくるはずだ。どんな様子の男なのか確認しておく必要がある。NHKの集金人なら制服を着ているからすぐわかる。あるいは本物のNHKの集金人ではないのかもしれない。誰かが集金人を騙って、牛河にドアを開けさせようとしたのかもしれない。いずれにせよ、相手はこれまでに目にしたことのない男であるはずだ。彼はシャッターのリモコン・スイッチを右手に握り、それらしき人物が玄関に現れるのを待ち受けた。
 しかしそれから三十分間、アパートの玄関を出入りする人間は誰一人いなかった。やがてこれまでに何度か見たことのある中年の女が玄関に姿を見せ、自転車に乗って出ていった。牛河は彼女を「あご女」と呼んでいた。顎の肉が垂れていたからだ。半時間ばかりが経過し、あご女が買い物袋をかごに入れて戻ってきた。女は自転車を自転車置き場に戻し、袋を抱えてアパートに入っていった。そのあとに小学生の男の子が帰宅した。牛河はその子供に「きつね」という名前をつけていた。狐のようなつり上がった目をしていたからだ。しかし集金人らしき人物はついに姿を見せなかった。牛河にはわけがわからなかった。アパートの出入り口はそこひとつしかない。そして牛河は一秒たりともその戸口から目を離していない。集金人が出てこなかったというのは、彼が[#傍点]まだ中にいる[#傍点終わり]ということだ。
 牛河はそのあとも休みなく玄関を監視していた。洗面所にもいかなかった。日が落ちてあたりが暗くなり、玄関の明かりが灯った。しかしそれでも集金人は出てこなかった。時刻が六時を過ぎたところで牛河はあきらめた。そして洗面所に行って我慢していた小便をした。あの男は間違いなくまだこのアパートの中にいる。どうしてかはわからない。理屈も通らない。しかしその奇妙な集金人はこの建物の中に留まることにしたのだ。
 冷ややかさを増した風が、凍えた電線のあいだを鋭い音を立てて吹き抜けていた。牛河は電気ストーブをつけ、煙草を一本吸った。そして謎の集金人について推理を巡らせた。彼はなぜあのような挑発的なしゃべり方をしなくてはならないのか。部屋の中に人がいることを、なぜあれほどまで確信していたのか。そしてなぜアパートから出ていかなかったのか。ここから出ていかなかったのなら、今どこにいるのか?
 牛河はカメラの前を離れ、壁にもたれて電気ストーブのオレンジ色の熱線を長いあいだじっと睨んでいた。
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