私たちは気ちがいのように落盤のそばへ駆けよると、両手で土をかきはじめた。しかし、すぐにそれがいかに愚かな努力であるか、ということに気がついたのでやめてしまった。
「典ちゃん!」
「お兄さま!」
私たちはひしと抱きあった。
「典ちゃん、もうだめだ。われわれはもうここから出ることができない。私たちはここで飢え死ぬばかりだ」
それから私はひっつったような笑い声をあげた。
「天はぼくたちに黄金をあたえた。その代わり帰路を断ってしまった。ぼくたちはマイダス王みたいに、黄金を抱いて飢えるのだ」
私はまた笑い声をあげた。笑いながらみじめな想いに涙がとめどもなくあふれた。このとき、私よりよほど落ち着いていたのは典子である。
「お兄さま、しっかりして、いいえあたしたち死にゃあしないわ。きっと助かるわ。いまにだれかが助けにくるわ」
「だれが……だれが助けにくるんだ。第一、ぼくたちがこんなところに閉じこめられていることからして、だれも知らないじゃないか」
「いいえ、そんなことはありません」
典子はキッパリいった。
「お兄さまが『鬼火の淵』のこちらがわにいることは、村のひと全部が知っています。そして、周さんと吉蔵が禁断の『鬼火の淵』を越えてきたところをみると、麻呂尾寺のお住持さまが村のひとを説き伏せて、お兄さまを助けることになったのだと思います。周さんと吉蔵は、それが不服で、村のひとたちを出しぬいて、お兄さまを殺しにきたのにちがいありません」
後にわかったところによると、典子のいうとおりであった。周さんと吉蔵は村のひとたちの軟化に憤慨して、禁断の「鬼火の淵」を踏みこえ、そしてあの悲惨な最期を遂げたのだった。
それはさておき、典子は言葉をついで、
「それですから、いまにだれかが迎えに来ます。いいえ、もういまごろは来ているかもしれません。村のひとたちは『鬼火の淵』を渡るのを恐れるとしても、警察の人たちはきっとやってくるでしょう。ああ、そうだわ。金田一耕助というひと、あのひとがきっとやってきます。そして、第四と第五の洞窟にひいてある糸を発見するとあのひとはすぐ、それが何を意味するかさとるでしょう。そしてそれを伝ってくれば、あの二つの洞窟の合流点までは、なんの造作もなく来ることができます。それからここまではそれほど遠くはないのですし、それに金田一耕助というひとは、糸の使いかたを知っているのですから、きっとひとつひとつ虱しらみつぶしに、洞窟を調べてくるにちがいありません。ですから、あたしたちは気をたしかに持って、どんな物音をも聴きのがさぬように、じっと聞き耳を立てていましょう。あのひとたちは、きっとお兄さまの名前を呼びながら、やってくるでしょうから、それが聞こえたら、こちらも返事をしてやらなければなりません。そして、あたしたちがここにいることを、知らせてやらねばならないのです」
それから典子は急に立って、落ちていた大判を拾いあつめると、洞窟のすみに穴をほってそれを埋めた。私がびっくりして何をするのかと尋ねると、典子はにっこり笑ってこういった。
「この大判はお兄さまが発見したのだから、お兄さまのものです。救いのひとがやってきたとき、あたしたちが正気でいればいいけれど、もし気を失っているようなことがあったら、そのひとたちに大判を見つけられてしまいます。だから、こうして隠しておくのです。助かったら改めてとりに来ましょう。あの壁の上には、まだまだたくさんの大判があるにちがいありません」
ああ、女というものはなんという奇妙な動物であろう。果たして助かるかどうかわかりもしないのに、彼女はちゃんと未来の計画をたてているのだ。しかし、典子のこの慎重な用意は、すべて後日私のために役に立った。典子のいったことはことごとく的中し、私たちは彼女のいったとおりの順序で救われたのである。それにはまる三日かかったけれど。
さて、黄金を埋めてしまうと、典子は私のそばへやってきて、むずかしい顔をして私の顔をのぞきこんだ。
「これで大判のほうは片づきました。あとはこの事件の犯人の問題だけです。それについてお兄さまにお尋ねがございますの」
典子はあらたまった口調でいうと、鋭く私の眼をのぞきこんだ。
「お兄さまはさっき妙なことをおっしゃいましたわね。小指を噛みきられた人物は、うちの兄ではなかったかと。……そうすると、お兄さまはうちの兄を疑っていらしたのね。でも、それはどういうわけでございましょう。うちの兄がどうしてあんなバカバカしい人殺しをするというのでしょう。縁もゆかりもないひとを、うちの兄がなんだって殺すというのでしょう」
それはいつもの典子ではなかった。鋭い気き魄はくにみちた典子であった。典子は私を愛しているのだけれど、同じように兄をも愛しているのだった。だからその兄を誣ぶ告こくされたとあっては、いかに相手が私でも、そのままには許しておけないのであった。
典子の気魄におされて、私はしどろもどろにならざるをえなかった。しかし、問いつめられれば答えぬわけにはいかず、私は自分の推理を話した。そしてこの一連の殺人事件が、結局、田治見家一家皆殺しという目的をカムフラージするために、行なわれたのではないかと語ると、典子は突然体をふるわせて真っ青になってしまった。そして、瞳をすえて、ずいぶん長いあいだ考えこんでいたが、やがて私のほうへ向きなおったとき、彼女の眼にいっぱい涙がやどっていた。
典子はやさしく私の手をとり、くちびるをふるわせながら、ささやくようにこういった。
「よくわかりました。きっと、お兄さまのおっしゃるとおりなのね。それよりほかに、この変てこな殺人事件の動機は考えられませんわね。でも、お兄さま、犯人はうちの兄ではないのです。お兄さまがうちの兄というひとをもっとよく御存じだったら、けっしてそんな疑いは起こらなかったはずなのです。兄は、正しいひとです。気位の高いひとです。飢えてもひとの財産に、眼をつけるようなことはなかったでしょう。それに小指を噛み切られたひとはうちの兄ではなかったのです」
「だれなの、それじゃ、だれが指を噛まれたの」
「森──美也子さま!」
私はまるで重い鈍器で頭をぶん殴られたような気持ちだった。ひどいショックで、全身がしびれてしばらくは口もきけなかった。
「森──美也子──?」
私はあえいだ。呼吸がとまりそうであった。
「そうです。あのひとは噛まれた傷を秘密に治療しようとしたのです。それがいけなかったのね。傷口から悪いバイキンが入ったらしく、体じゅうが紫色にはれあがって、突然、重態におちいりました。それで新居先生が駆けつけて、はじめて小指にひどい傷をしていることがわかったのです。それが今朝のことなのです。むろん、だれもその傷にどういう秘密があるのか知らないのですけれど」
「美也子さんが……あの人が……しかし、どうしてあのひとが……」
「それはたぶん、お兄さまのお考えになったとおりでしょう。あのひとは兄に本家をつがせたかったのでしょう。本家の莫ばく大だいな財産を相続すれば、兄も自信をもって、結婚を申し込んでくると思ったのでしょう。恐ろしい美也子さま。おかわいそうな美也子さま」
典子は私の胸に顔をうずめて、さめざめと泣き出したのである。