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虞美人草 十五 (2)

时间: 2021-05-05    进入日语论坛
核心提示: こう云う書斎に這入(はい)って、好きな書物を、好きな時に読んで、厭(あ)きた時分に、好きな人と好きな話をしたら極楽(ごくら
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 こう云う書斎に這入(はい)って、好きな書物を、好きな時に読んで、()きた時分に、好きな人と好きな話をしたら極楽(ごくらく)だろうと思う。博士論文はすぐ書いて見せる。博士論文を書いたあとは後代を驚ろかすような大著述をして見せる。定めて愉快だろう。しかし今のような下宿住居で、隣り近所の乱調子に頭を()き廻されるようではとうてい駄目である。今のように過去に追窮されて、義理や人情のごたごたに、日夜共心を使っていてはとうてい駄目である。自慢ではないが自分は立派な頭脳を持っている。立派な頭脳を持っているものは、この頭脳を使って世間に貢献するのが天職である。天職を尽すためには、尽し得るだけの条件がいる。こう云う書斎はその条件の一つである。――小野さんはこう云う書斎に這入(はい)りたくてたまらない。
 高等学校こそ違え、大学では甲野(こうの)さんも小野さんも同年であった。哲学と純文学は科が異なるから、小野さんは甲野さんの学力を知りようがない。ただ「哲世界と実世界」と云う論文を出して卒業したと聞くばかりである。「哲世界と実世界」の価値は、読まぬ身に分るはずがないが、とにかく甲野さんは時計をちょうだいしておらん。自分はちょうだいしておる。恩賜の時計は時を計るのみならず、脳の善悪(よしあし)をも計る。未来の進歩と、学界の成功をも計る。特典に()れた甲野さんは大した人間ではないにきまっている。その上卒業してからこれと云う研究もしないようだ。深い考を内に(たくわ)えているかも知れぬが、蓄えているならもう出すはずである。出さぬは蓄がない証拠と見て差支(さしつかえ)ない。どうしても自分は甲野さんより有益な材である。その有益な材を抱いて奔走に、六十円に、月々を衣食するに、甲野さんは、手を(こまぬ)いて、徒然(とぜん)の日を退屈そうに暮らしている。この書斎を甲野さんが占領するのはもったいない。自分が甲野の身分でこの部屋の主人(あるじ)となる事が出来るなら、この二年の間に相応の仕事はしているものを、親譲りの貧乏に、()(れき)に伏す天の不公平を、やむを得ず、今日(きょう)まで忍んで来た。一陽は(さち)なき人の上にも(きた)(かえ)ると聞く。願くは願くはと小野さんは日頃に念じていた。――知らぬ甲野さんはぽつ(ねん)として机に向っている。
 正面の窓を明けたらば、石一級の歩に過ぎずして、広い芝生(しばふ)を一目に見渡すのみか、(ほがらか)な気が地つづきを、すぐ部屋のなかに這入るものを、甲野さんは締め切ったまま、ひそりと立て(こも)っている。
 右手の小窓は、硝子(ガラス)(おろ)した上に、左右から垂れかかる窓掛に(なか)(おお)われている。通う光線(ひかり)(かす)かに(ゆか)の上に落つる。窓掛は海老茶(えびちゃ)の毛織に浮出しの花模様を(ほこり)のままに、二十日ほどは動いた事がないようである。色もだいぶ()めた。部屋と調和のない装飾も、過渡時代の日本には当然として立派に通用する。窓掛の隙間(すきま)から硝子へ顔を()しつけて、外を(のぞ)くと扇骨木(かなめ)植込(うえごみ)を通して池が見える。棒縞(ぼうじま)の間から横へ抜けた波模様のように、途切れ途切れに見える。池の筋向(すじむこう)藤尾(ふじお)の座敷になる。甲野さんは植込も見ず、池も見ず、芝生も見ず、机に()ってじっとしている。()き残された去年の石炭が、煖炉のなかにただ一個冷やかに春を観ずる(てい)である。

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