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「父」

时间: 2017-07-27    进入日语论坛
核心提示: 「酒と煙草(たばこ)やめなきゃないんだったら死んだほうがいいな」。そう言っていた父が癌(がん)を患った。一昨年の六月、
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 「酒と煙草(たばこ)やめなきゃないんだったら死んだほうがいいな」。そう言っていた父が癌(がん)を患った。一昨年の六月、胃と胆のうと脾臓(ひぞう)を全摘出した。本人の希望で放射線治療も抗がん剤治療もしなかった。
 退院後、料理人だった父は前と変わらず母に美味(おい)しい料理を作り、大好きな海釣りへ母を連れて出かけ、大好きな酒と煙草を本人曰(いわ)く薬にして暮らしていた。何をするにも「最後かもしれないしな」と笑いながら、得意の竹細工で仏壇まで作って仕上げていた。
 昨年の五月の運動会に孫たちに届けてくれたお弁当は本当に最後になってしまった。私が子どもの頃から作り続けてくれていた父の豪華な運動会弁当。寿司(すし)屋でも修行した父のだし巻き卵、太巻きに飾り切りされたキュウリは職人技。から揚げ、漬け物も絶品だ。
 学生のころ、気分良く酔っ払った父から、自分は母親を幼い時に亡くし運動会の日も自分で作ったおにぎりを校舎の裏に隠れて食べたと聞いた。父の豪華なお弁当には特別な意味があったのだと知った。
 私も五人の母となり、今度は孫たちにと届くお弁当を開ける度、胸がいっぱいだった。
 普段も沢山(たくさん)おかずを作ってはタッパーに入れて持たせてくれた。いつも空で返す私だったが、昨年の十月、父の誕生日に生まれて初めて父にお弁当を作った。父が作ってくれていた私の大好物を、今はあまり食べられない父のために少しずつ詰めて届けた。
 何もしなければ四か月と言われていた父。手術から一年八か月、最期の日の朝まで母に朝食を作った。二月五日金曜日、その日父は痛みに堪えきれず病院に行き、入院となった。母から連絡が入ったのは夕方だったが、離れて暮らす大学生の娘を含め、家族が不思議とすぐに揃(そろ)った。冬で病院内は面会が制限されていたが、幼い子を含む大人数の私たちをすぐに通してくれた。私の中に覚悟ができた。
 病室に入った途端、看護師さんに呼ばれ、すでに強い痛み止めを入れていること、最後の痛み止めを入れると意識が戻らないことを告げられた。東京から向かっている妹が来るまでは待って欲しいとお願いし、病室に戻った。が、あんなに強い父が一点を見つめて、「ひでえ、いでえ」とうめいていた。
 すぐにでも痛みをとってあげたかった。変わってあげたい…心からそう思った。そんな状態でも、ベッド周りに立っている私たちに「疲れっから座れおめだぢ」と言う。「大丈夫、大丈夫」と返した私は、それでも父は絶対大丈夫と自分に言い聞かせていた気がする。
 仕事先から東京駅に向かい新幹線に飛び乗った妹を駅で迎え、すぐに父と対面させた。妹は前回帰省した時に父と些細(ささい)なことで喧嘩(けんか)したまま、お盆もお正月も帰省せず一年ぶりの再会だった。どうしても会わせたかった。痛み止めの点滴のせいか、言葉は出なくなっていた。手を握る妹を見て父はほんの少しだけ頷(うなず)いた。それだけで良かった。
 「よろしいですか」と看護師さんが最後の痛み止めを父の身体に入れた。反発するかのように何度も何度も目を開けようとしていた。父はこんなときまで強かった。四時間後、力尽きた父は息を引き取った。
 生前、「海に散骨して欲しい」と父は言っていた。すべて家族だけでひっそりと行うつもりで、近親者以外誰にも知らせず火葬場に行った。遺影とともに入った先には、父が元気な時に営んでいた居酒屋の常連さんたちが集まってくれていた。思いがけず、沢山の方々に見送っていただくことが出来た。
 桜の開花も聞こえてきた春、船を出して散骨してくださる方にお骨を預けに行った。母は「私は散骨するところはきっと見てられないな」と同行乗船はしないことにした。私は海岸から見送るつもりで予定の日を待った。
 「明日から荒れそうだから今日」と、急きょ変更の連絡を早朝に頂いた当日、私は新しい仕事の初日で海岸に行くことが出来なかった。散骨の瞬間、船からかけてもらいポケットで揺れる携帯電話に手を当てながら黙祷(もくとう)した。しかし、どうしても我慢しきれず、早めに終えた仕事先から海へ向かった。父が大好きだった海を眺め、波打ち際で海水に触れたら、ここに来ればいつでも父に会えるような気がした。心静かに帰路につくことができた。
 父の遺品を片付けていた母と妹が、広告の裏を利用した父のメモを見つけた。癌と分かってからの覚え書きや父の気持ちを表した言葉が残されていた。その中に「十月十八日 香子弁当届けてくれる。美味二〇〇点。最高だ。」と書かれていた。直接言ってくれたら良かったのに。父らしい。
 最後のお弁当から一年、今週末は運動会。もう父の豪華なお弁当はないけれど、父に二〇〇点をもらった弁当を再現して持って行こう。父が煮た黒豆を解凍してお重の真ん中に詰めて。
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