そんな生活が続いたある日。一人でバスに乗っていた時のことです。通路を挟んだ反対側に赤ちゃんを抱いたお母さんが乗ってきました。まだ言葉もよくわからない赤ちゃんにお母さんは優しい声で話しかけ、頭にキスをしたり、窓ガラスに映る景色や自分の姿で遊んだりしていまいした。そんな様子を見ていた私の目からは、不思議なことに涙が出ていました。赤ちゃんとお母さんが、自分と母に重なったのです。約20年間も愛情を注いできた子供が、自分から離れて行くことなんて、どんな親でも辛いことだろうに、自分の親だけ特別で異常だなんて考えていた。そんな自分を恥ずかしく思いました。そして、母がメールを送らなくなった時の心境が痛いほどに伝わってきて、切なくて、苦しくて涙が止まりませんでした。
バスを降りてすぐに私はメールを一通送りました。「久しぶり、メール送らなくてごめんなさい。いつもありがとう。」親不孝な娘からの久しぶりのメールに「いいよ。わかってくれたのね。」とまるで私の心境を理解したかのようなメールが届きました。母の偉大さを感じました。「流石だな」母が嫌いな泣き顔が、笑顔に変わった瞬間でした。