私が中学1年生の時の出来事である。家族で神戸に旅行に行った時のこと、昼食を食べに入った店で、私はハンカチをなくしたことに気がついた。どうやら異人館からの帰り道で落としてきたらしい。その日は雨が降っており、しかも場所は、観光客で賑わう神戸・異人館。私はほとんどあきらめかけていた。しかしその時、父は私に言ったのだ。「探しに行こう。」
その一言で、父と私は、それまで下ってきた坂道をまた上り始めた。父が真剣な顔をして辺りを見回しながら歩いている隣で、私は複雑な気持ちでいた。ハンカチが見つかるのなら、それに越したことはないが、いつどこで落としたかもわからないのだ。見つかる可能性は極めて低い。それでも父は、私たちが訪れた場所をひとつひとつ、隅々まで探し歩いた。私も、しだいに父の真剣さに押されて、一緒に探した。しかし、ハンカチはなかった。さすがの父も諦めたようだ。父と私は、またもと来た坂道を、下っていった。2人の間に、交わす言葉はなかった。しかし、私がうつむいていた顔をふと上げた、その時だった。父の隣で私は叫んだ。「あった!」
私の目の高さにあった店の看板の上に、私の落としたハンカチが、きれいにたたまれて置いてあったのだ。誰か親切な人が拾ってくれたのだろう。その時、それまで黙っていた父が口を開いた。「ハンカチをなくしたまま岡山に帰ったら、よく探さなかったのを絶対後悔する。そしたら神戸の旅行が、ハンカチをなくした思い出にしかならないかもしれん。でも見つからなくても、一生懸命探したらあきらめもつくし、パパと一緒に探したことが思い出にも残ると、パパは思ったんよ。ハンカチ、あってよかったな。」
このとき私は、父が私のハンカチを探しに行くことにこだわっていた理由を、ようやく理解できた。ハンカチが見つかるかどうかは、父にとっては二の次だったのだ。私は、ハンカチがあったことよりも何よりも、父の気持ちが、嬉しかった。
あの日雨の中、2人で歩いた坂道をひとり歩きながら、私は父を想った。