筆字(36)
いろいろな式を招待されて、受付で芳名帳を見ると、私は、一瞬ギョッとしてしまう。最近ではサインペンが用意されているから、多少、気が楽になったが、筆しか置いてなかったころは、冷や汗ものだった。
私は筆で字を書くのが、すさまじく下手なのだ。おさなじみの結婚式の受付では、彼女のおかあさんが私の書いた字を見て、
「あらーっ」
と絶句したくらいである。受付の人がこちらの名前を確認するために、じっと手元を見ていると思うと、手はますますこわばってくる。そしてその結果は、ただでさえ下手なうえに緊張が加わり、ぶるぶると震えた情けない筆文字が、みっともなく並ぶことになる。まだ自分ひとりが書くのならいいが、芳名帳みたいに何人かの字が並ぶともう最悪。どうしてこんなに上手に書けるのかと、憎たらしくなってくる達筆の人々のなか、私の字だけまるで幼稚園児が書いたかのようだ。もしかしたら無邪気な分、幼稚園児のほうが味がある字が書けるかもしれないとため息が出てくる。このごろは受付で字の下手そうな人を狙って後ろに並び、自分の悪筆を目立たせないように努力しているのだが、たまに予想がはずれて自ら墓穴を掘ってしまうこともあるのだ。
しかしこれでも小学校の習字の成績は、最初は5だった。先生が、
「字がうまいとか、下手とか考えないで、子供は大きく字を書けばいいんだ」
といったので、私は手をふてまわして、紙からはみ出すような字を書いていた。ところがのちに先生が変わったとたん、ばかでかい野蛮な字といわれ、いっきに点数は2になってしまった。でも私はでかい字を書くのが好きだったので、先生に何度注意されても無視していた。
その報いか、今になってこのざまだ。会が終わって受付の前を通るとき、芳名帳に残した自分の墨団子のような字を思いだすと、人の目を盗んで芳名帳をかっぱらって帰りたくなるのだ。