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第十二章:伝統医学 ~二、漢方医学  1、漢方医学の歴史

时间: 2014-12-31    进入日语论坛
核心提示: 中国の伝統医学の内、漢民族の医学は歴史が最も長く、その実践経験と理論認識も最も豊かである。 漢方医学は中国の黄河流域か
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 中国の伝統医学の内、漢民族の医学は歴史が最も長く、その実践経験と理論認識も最も豊かである。 
 
 漢方医学は中国の黄河流域から起こり、早くから学術システムが形成された。漢方医学は長い発展段階の中で異なった発明、多くの著名な漢方医学、重要な学派や功績を残した。 
 
 3000年前の殷墟時代の甲骨文の中に、医療衛生や数十種類の病気についての記載がある。周の時代に入ると、見る、嗅ぐ、聞く、切る(脈を取る)などの問診方法と、薬物、針灸、手術などの治療方法が使われていた。 
 
 秦・漢代に、「皇帝内経」という漢方の体系理論を備えた医学著作も出ている。これは今まで残っている最も古い漢方医学の理論的な古典著作である。その後、張仲景氏が記した「腸チフス雑病論」は数多くの雑病の診断や治療の原則に専門的に論及し、後世の臨床医学の発展の基礎を定めた。漢代には、漢方医学の外科医はすでに高いレベルに達した。 
 
 「三国誌」によると、著名な医師・華佗氏は漢代から、全身麻酔の薬剤"麻沸散"を使って外科の各種の手術をした。また、魏晋南北朝(紀元220年-589年)から隋唐五代(紀元581年―960年)まで、脈診で大きな成果を収めた。晋の時代の名医・王叔和はその著書「脈経」で、静脈の現象を24種類にまとめた。この著作は中国医学に大きな影響を与えただけでなく、海外にも伝わっていったのである。 
 
 この時期、漢方医学の各科が次第に専門的に細分化するようになった。針灸の著書には「針甲乙経」、丹薬作りの代表的な著書には「抱朴子」と「肘後方」があり、製薬の面では「雷公砲炙論」、外科では「劉涓子鬼遺方」と「諸病原候論」などがある。また小児科では「頭囟経」、眼科では、「銀海精微」、更に世界初の薬典「新修本草」、唐代の孫思邈氏の「千金要方」と、王トウ氏の「外台秘用」などの医学本もある。 
 
 宋代(紀元960年―1279年)の医学教育では針灸教育において、大きな改革が行われた。王惟一氏が「銅人腧穴針の図経」を記し、また、等身大の銅像を設計、製作し、学生の実習に提供した。これは、後世の針灸の発展に大きな影響を与えた。明代(紀元1368年―1644年)になると、一部の医学者は、腸チフスと熱病を疫病などと区別させようと提案し、清代に入ると熱病の学説が成熟し「温熱論」などの著作も現れてきた。 
 
 明代になると西洋の医学が中国に伝わり、一部の医学者が"漢方医学と西洋医学の融合"を主張し、現代の医学融合における先駆者となった。
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