重陽節はと名づけられたのは、昔、九と言う数字は陽数で、九月九日は二つの九が重なっているからである。また、この重陽節について次のような伝説がある。紀元前三世紀の時、費長房と言う神通力を持つ人がいた。桓景と言う若者はこれを知って、尊敬し師として仰いだ。ある日、費長房は「九月九日の日にお宅の一家は大きな災難に見舞われるだろう」と桓景に言った。それを聞いた桓景は跪いて師に助けを求めた。費長房は「九月九日に貴方は赤色の布でいくつかの袋を作って、中にシュユを入れて、腕にまとい、そして、菊の花が入ったお酒を持って、一家揃って、丘などの高いところへ行き、そこで酒を飲んだら、この災いを避けることができる」と言った。桓景は師の言う通りにした。すると、一家はこの日、高い丘で無事に過ごすことができた。夜になり、家に帰ると、家の家畜は全部死んでいた。それからもう二千年以上経ったが、重陽節に高いところに登ったり、シュユをつけたり、菊の酒を飲んだりする習慣は残った。
重陽節にはまた、お餅を食べる習慣もある。中国語では「糕」と言うがその発音は高いと同じで、つまり向上や繁栄の意味が含まれている。このお餅は『花糕』とも言う。もち米や粘りのある粟の粉で作ったこの餅の上に棗と小さな五色の旗を飾る。
昔から、重陽節には長寿を祈る意味も含まれている。重陽節の習慣は、人を長生きさせることができると思われているからだ。
現在、人々は重陽節に高いところに登る習慣を保っている。店はこの日、『花糕』を売る。ここ数年、九月九日は『老人節』となった。