法門寺は西安市の西から120キロの扶風県にあり、中国の北魏時代(約499年ごろ)に初めて建造されました。7世紀の唐代はその隆盛期であり、唐王朝政府は大量の人力と財力を払って、法門寺を増築し、最終的に24ヶ所の庭園からなる広大な寺院となりました。寺院内の僧侶は5000人余りに達し、当時の首都地区で規模最大の寺院でした。
仏教の経典によると、古代天竺(インド)国のアショカ王が仏法を発達させるため、お釈迦様の真身舎利を分骨して、世界各地で84000基の仏塔を建てたそうです。中国では19基が建てられ、法門寺はその中の一つです。
塔の下に珍しく貴重な「仏指舎利」を納める寺として名をはせ、有名な仏教寺院となりました。中国の古書の記載によると、唐王朝の8人の帝王は何回も、仏骨を皇居に迎えて供養し、多くの宝物を法門寺の地下宮殿に賜って奉納していました。その後、戦争や地震などの原因で、法門寺の盛況はなくなったということです。
1981年、数百年を経て、13階建ての法門寺仏塔は大雨で崩壊しました。1987年、陝西省は法門寺考古チームを組織して塔基に対しての復旧作業を行い、1113年間眠っていた唐時代の法門寺地下宮殿は再び人の目に触れるようになったのです。
法門寺地下宮殿は長さ21.4メートル、面積は31.48平方メートル。その中には道、高台、トンネル、前室、中室、後室の6部分を含んでいます。中に多くの唐時代の文物が収蔵されており、仏指舎利と舎利を迎えるために奉献した金銀器、珠玉、ガラス器、陶磁器及び絹織衣装などの宝物は、約900件。特にそこからお釈迦様の真身舎利が出土したことで、この地下宮殿が秦の兵馬俑に継ぎ、もう一つの重大な考古発見と称され、仏教界や世界文化史上の大きな発見となりました。
仏舎利のほか、法門寺地下宮殿の絹織物は、中国の甘粛省敦煌の蔵経洞に継ぎ、唐時代に出土したシルクの数や種類は最も多く、価値が最も高いもので、中国唐時代の絹織物の宝庫と称されています。考古資料によると、法門寺地下宮殿に収蔵された絹織物は工芸が非常に精緻で、縫い目に使われた金糸の平均直径は0.1ミリで、最も細い糸は0.66ミリで、髪の毛よりも細いということです。地下宮殿の中にあった籐製の箱のなかに入った絹織物は、厚さは23センチでしたが、780畳みに達していた。
また、法門寺地下宮殿から眼を奪うばかりに光り輝く金銀器とガラス器を約100件出土しました。また、長い間伝承が絶えた16件の秘色磁器(宮中のみ使用された色の磁器)は、中国の専門家に衝撃を与えました。この秘色磁器は唐時代の宮廷の専用磁器であり、制作工芸は早くから伝承が絶え、その実物も中国の史書の中に言及したことがあるだけで、後人は見たことがなかったからです。記載によると、この秘色磁器は上薬がすぐれていることから、茶碗の中に水を盛る感じであり、いつも透明できれいな様を呈しているということです。
法門寺地下宮殿から出土したこれらの宝物を保護し、展示するため、地元に博物館を設立しました。また、中国の文物保護専門家はドイツの考古学者と協力して、地下宮殿から出土した絹織物に対して技術の高い保護を支持しました。2002年、地下宮殿に所蔵されていた仏舎利は台湾地区に迎えて供奉され、1カ月余りで、延べ400人近くが参拝したということです。