日本の月との初めての出合いは阿倍仲麻呂さんのおかげで実現したのである。彼の「天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも」の短歌を読んで、「へえ、日本にもこのような月を通して郷愁を述べ表す詩歌もあるんだ」と驚いた。調べたところ、日本人にとって月はただ一つの冷たい、大きな石だけではないということが分かった。月は昔から日本人に好まれてきて、文学、音楽、漫画などに出てくる。日本人の憧れ、望み、幻想を託した存在であるのだと納得した。
私にとって月に関する日本文化の中で、月見と俳句が一番興味深い。日本では、月を愛でる習慣は縄文時代に遡ることができる。そして、中国から仲秋の名月を祀る祭事が日本に伝わって、貴族から民間に広がっていくにつれ、伝統的な行事として定着した。貴族たちは月を観賞しながら、舟遊びで和歌を詠み、宴を催して月を祀った。それは直接に月を見ることをせず、杯や池にそれを映して楽しんだそうである。民間ではその日に、自然への感謝の気持ちを込めて、月が見える場所にすすきを飾ってお月見料理を供えて月を眺めた。しかし、月見といえば普通、中国では旧暦の8月15日だけであるが、日本ではその日以外に旧暦の9月13日もある。前者は「十五夜」と呼ぶのに対して後者は「十三夜」と呼んで、日本独自の風習である。 また、中秋の夜に雲などで月が隠れて見えないことを「無月」、雨が降ることを雨月と呼ぶ。そこから日本人の自然に対する繊細的心と鋭い感受性が窺われる。
月は日本文化の中に溶け込んで、中でも素晴らしいのは俳句だと思う。「秋もはやはらつく雨に月の形」「名月や畳の上に松の影」「月天心貧しき町を通りけり」。たった十七、十八の仮名に豊かな情景が込められ、作者の心境、その場の雰囲気も窺われる。もともと謎のような月は日本文化の底に流れるさび、わびと結びついて、より神秘的、より魅力的になった。その魅力に溢れた俳句を何度詠んでも飽きない。そして、そこから自然への賛美のみならず、日本人の発想力、知恵、生活への愛情も感じられるような気がする。
その他「かぐや姫」、「姨捨」などのように月は日本の伝説、能、小説、短歌、絵本などに登場した。月を見上げるたびに私は遙かな国に思いを巡らす。海の彼方に同じ月に照らされ、月に関する似た行事や文化を持っている国が存在するかと思うと、何となく心が温かくなり、親しみも感じる。
中国人も日本人と同じように月を賛美したり、月に訴えかけたり、嘆いたりしてきた。中国の古典詩歌、古曲、建築物、対連、成語なども月と深いつながりがある。こう見れば、日本文化と中国文化、日本人と中国人は月に育てられ、成長してきたと言えるだろう。しかし、あまり忙しい現代の生活の中では、中国人も日本人も私たちを見守ってきた月を忘れているのではないか。ふと空を見上げると、月が寂しそうだなと感じる。だから、時にはコンピュータマウスをはずして、本を閉じて、鉄筋とコンクリートのジャングルを出て、梢にかかる月に挨拶をしに行こう。
最後に、中日関係を月に比喩したいと思う。月は満ちるときも欠ける時もある。晴れる時も曇る時もある。私たち人間にも別れがあり、出会いがあり、悲しんだり、喜んだりする。同じ道理で、両国も完璧な関係になることはできないのである。しかし、私たち中国人と日本人が努力すれば、中日友好交流を月のように三日月から半月に、最後には満月に変化させることができるのではないだろうか。