「道案内してくれたサルタヒコは、彼の素性を明らかにしたあなたが送ってあげなさい。それから彼の名前をあなたがもらい受けて、今後も奉仕しなさい」と言いました。
神楽の舞などの奉仕をした女官のことを猿女君(さるめのきみ)と呼ぶのは、これが由来です。
ちなみにサルタヒコが阿耶訶(あざか?三重県松阪市阿坂地区)に住み、漁をしていたときに、比良夫貝(ヒラブガイ?ツキヒガイ?写真参照)に指を挟まれて溺れてしまったことがありました。
サルタヒコが溺れ沈んで海の底にいたときの名は底度久御魂(そこどくみたま)といいます。また沈んでいくときに海水が泡立った様子を都夫多都御魂(つぶたつみたま)、泡が弾け裂けるときの名を阿和佐久御魂(あわさくみたま)といいます 。
さてさて、サルタヒコを送り届けたアメノウズメが帰って来ました。戻るなりすぐに大きな魚から小さな魚まで全部集めて、
「おまえたちはニニギに従って仕えるか?」
と尋ねました。
魚たちは、
「お仕えします」
と答えましたが、ナマコだけは無言でした。そこでアメノウズメは、
「この口が答えない口か!」
と言って、小刀でナマコの口を裂いてしまいました。
だからナマコの口は今でもやはり裂けているのです。
そんなこんなで志摩(三重県)から初物の海の幸が皇室に献上されるときは、猿女君らにも与えるのがならわしになっています。