山手線に乗って恵比寿《えびす》でおりた。入れ違いにホームへ入って来た外回りに飛びのって、新宿へ向かった。尾行はついていないようだった。
新宿駅からそのまま地下へおり、車を拾った。靖国通りから明治通りを回って甲州街道にたどり着くまで十分近くかかった。甲州街道はさらに渋滞していた。
おれは携帯電話を取りだし、〈天楽苑〉の番号を押した。
「崔虎《ツイフー》はいるか?」
電話に出た相手が口を開く前にいった。
「あんた、誰だ?」
「劉健一」
「劉? ちょっと待て」
待っている間に信号が変わった。車の列は四、五メートル進んだだけで止まった。京王デパートの正面辺りから、サンルート・ホテルをすぎる辺りまでが、地下鉄の工事で車線の大半が遮られている。渋滞するのもあたりまえだった。
「今はいない」
受話器から突然声が聞こえた。
「どこに?」
「わからない」
「なんとか連絡はつかないか?」
「夜にならなきゃ無理だ。崔さんはいつも忙しい」
「わかった。劉健一が連絡を欲しがってると伝えてくれ」
おれは携帯電話の番号を伝えて電話を切った。続いて遠沢にも電話してみたが、留守だった。携帯電話を助手席のシートの上に放り投げ、頭の後ろで手を組んでシートに背を預けた。じたばたしても始まらないということだ。
夏美のマンションへ戻ったときは、すでに三時近い時刻だった。夏美は逃げ出しているかもしれないという考えが頭をよぎった。それを振り払う。夏美は計算高い女だ。逃げ出してひとりぼっちで東京をうろつくよりは、おれにくっついている方を選ぶだろう。おれがしくじると見切りをつけるまでは——いずれにせよ、買ったばかりのこのマンションを放り出すわけにはいかないのだ。
ドアを開けて部屋の中へ入ると、コンビニのお握りが顔めがけて飛んで来た。
「泥棒!」
夏美はフローリングの床の上にあぐらをかいていた。頬がふてくされた子供のように膨らみ、切れ長の目が剃刀《かみそり》のように鋭い視線を送っていた。
「ちょっと借りただけだ」
ジージャンのポケットからカードを取りだし、夏美の膝《ひざ》の上に放り投げた。
「馬鹿なことをしたもんだな」
抱きかかえるように膝の上の物をかき集める夏美にいってやった。夏美はかみつきそうな顔でおれを睨《にら》んだ。
「なんのことよ!?」
「銀行とカード会社に紛失届けを出しただろう? 新しいカードを受け取るにしても時間がかかる。金をおろすこともできなけりゃ、カードで買い物することもできなくなった」
一瞬、夏美の顔になにかを考えるような表情が浮かんだ。それから、また挑《いど》むような眼差《まなざ》しをおれに向けてきた。
「あなたのせいじゃない」
「おまえが間抜けだからだ」
「よくそんなことがいえるわね。勝手にひとの物を持ちだしたくせに」
うんざりだった。おれは疲れていた。眠りたかった。
「おまえの身元を確かめようとしただけだ」
夏美の身体が強張った。
「なんのこと?」
おれはそれを無視して、奥の和室へ入った。ジージャンのジッパーを喉まで引きあげ、畳の上に横になった。
「二時間たったら起こしてくれ」
おれは夏美に声をかけて目を閉じた。すぐに暗闇が訪れた。暗闇の中、血まみれのナイフが躍っていた。