第十二章 暗黒の季節
ジャック・マクマードの逮捕と釈放は、仲間のあいだでの彼の人気をいっそうかきたて
るには、まさにうってつけのものだった。支部に入団したその晩のうちに治安判事の前へ
つきだされるようなことをやってのけたのは、支部はじまって以来のことだった。すでに
彼は、愉快な仲間、陽気な酒飲みとして好かれ、さらに、侮辱されたとあらばあの恐ろし
い親分に対してでも黙ってはいないという気骨のある男としても人気を博していた。だ
が、それに加えて、こんどのような残忍な悪事をやすやすとたくらみうる頭脳とそれを抜
かりなくやりとげる手腕とを兼ねそなえた人物は彼をおいてほかにはいない、という印象
を仲間にうえつけることになったのである。
「掃除仕事はやつにかぎる」というせりふが、年配の者たちの間でかわされるようにな
り、彼らはその腕前を発揮させる日のくるのを楽しみにして待っていた。マギンティは手
先に事欠くようなことはなかったのだが、これほど有能な男はいないとしみじみ思った。
まるで獰猛 どうもう なブラッドハウンド犬を一匹飼っているような気がした。小さな仕事なら、
ごろごろいる駄犬でじゅうぶん間に合うが、いつかこの猛犬を大きな餌食 えじき へ向けて放し
てやろうと思った。支部のなかには、テッド・ボールドウィンをはじめとしてこの新顔の
若者の急速な出世ぶりを快く思わず、そのため彼を憎む者もいないではなかったが、彼の
けんかっぱやいことは有名だったので、あえて近づこうとはしなかった。
だが、仲間たちの人気は得られた反面、別の方面では彼はすっかり人気を落としてい
た。しかもこちらのほうが彼にとってははるかに切実なことだった。エティ・シャフター
の父親が彼を相手にしなくなり、家への出入りさえ禁じてしまったのである。エティ自身
は、彼を深く愛していたのであきらめてしまうわけにはいかず、かといって、犯罪者とみ
なされている男との結婚に踏みきることには、彼女自身の良識が二の足を踏まざるをえな
かった。
ある朝、眠れない一夜をすごしたあげく、彼に会ってみる決心をした。たぶんこれが最
後の機会になるだろうが、とにかく会ってみて、彼を堕落させようとしている悪の感化か
ら彼を引きもどすため、今一度できるかぎりのことをやってみようと思いたったのであ
る。遊びにおいでとしょっちゅういわれていた下宿へ訪ねていき、彼が居間として使って
いる部屋へはいっていった。彼は背中をこちらへ向け、テーブルに向かって手紙を書いて
いた。ふと娘らしいいたずらっ気がおこった――彼女はまだほんの十九だった。彼女がド
アをあけてはいってきたのに彼は気づいていなかった。そこで彼女はつま先だって近づ
き、彼の前かがみになった肩にそっと手をおいた。
彼をびっくりさせてやるつもりだったとしたらたしかにうまくいったとはいえるが、そ
の結果かえって彼女自身のほうがびっくりさせられるはめになってしまった。彼は猛然と
彼女に襲いかかると、右手で彼女ののどを締めにかかった。と同時に、左手で自分の前に
あった手紙をもみくちゃにしたのである。そしてしばらくの間、怒りに燃えた目をぎらぎ
らさせて立ちつくしていたが、やがて、顔をひきつらせた狂暴な表情は、平和な生活に慣
れ親しんだ彼女をして恐怖のあまり思わず後ずさりさせた残忍な顔つきは、みるみるうち
に驚きと喜びにかわっていった。
「おまえだったのか!」彼は額の汗をぬぐいながらいった。「おまえが来てくれようと
は! おれの魂ともいうべきおまえが! なのにおれはおまえの首を締めようとするなん
て! さあ、おいで、すまなかったな」彼は両腕をひろげて彼女を待った。
しかし、彼女の目には、男の顔に一瞬浮かんだやましい恐怖の色がこびりついてはなれ
なかった。女の本能が、それがびっくりした男のたんなる驚きの表情ではないことをはっ
きりと彼女に告げていた。やましさ――まさにそれだった――やましさの入り混じった恐
怖なのだ。
「どうしたのよ、ジャック?」彼女は叫んだ。「どうしてあんなに私をこわがったの?
ああ、ジャック、良心にやましいところがなかったら、あんな顔をして私を見なかったは
ずだわ」
「なに、ちょっとほかのことを考えていたもんだから、そこへおまえがまるで妖精のよう
にそうっと現われたので――」
「いえ、ちがうわ、それだけじゃなかったわ、ジャック」そのとき急に彼女は疑惑におそ
われた。「さっき書いていた手紙をみせてよ」
「ああ、エティ、それはできないんだ」
疑惑は確信にかわった。
「ほかの女のひとに書いた手紙なんだわ! きっとそうよ。でなきゃなぜ私にみせられな
いの? 奥さんにでも書いていたの? あなたが結婚してないってことも怪しいもんだわ
――よそから来たひとなんだし、誰もあなたのことを知らないんですもの」
「女房なんかありゃしないよ、エティ、ほら、このとおり誓うよ。おまえはこの世でおれ
にとってただ一人の女だ。キリストの十字架にかけて誓うよ!」
顔を蒼白にして真剣な表情でいうので、彼女としても信じないわけにはいかなかった。
「じゃなぜその手紙をみせて下さらないの?」
「じつはね、エティ、誰にもみせないって約束してあるんだ。それで、おまえとの約束を
破りたくないのと同様に、この約束の相手を裏切るようなこともしたくないんだよ。支部
の仕事に関したことで、こればかりはおまえにも秘密なんだ。だからさっきみたいにいき
なり肩に手をおかれたりしたら、刑事かと思ってびっくりするのも無理はないだろう?」
どうやらうそではないらしい、と彼女には感じられた。彼は両腕で彼女を抱きよせ、キ
スをして、恐怖と疑惑をぬぐいとってやった。
「じゃ、ここへおすわり。女王さまを迎える玉座にしてはちとおそまつだけど、これでも
貧しいおれの城では最上席なんだ。そのうちもっとりっぱなところへすわらせてやりたい
ものだと思っているよ。どうだい、少しは心が休まったかい?」
「どうして心が休まるわけがあって? あなたが札つきの悪党だときかされていて、いつ
人殺しとして裁かれるかわからないっていうのに、スコウラーズのマクマード――きのう
もうちの下宿人の一人があなたのことをそう呼んでいたわ。それをきいて私、ナイフで胸
をえぐられる思いだったわ」
「口だけじゃ怪我することはないさ」
「でも本当のことなんですもの」
「だけどね、おれたちはおまえの思っているほど悪くはないんだよ。貧しい者として、お
れたちなりに権利を要求しようとしてるにすぎないんだから」
エティは男の首にすがりついた。
「ジャック、やめて! 私のためを思って――後生だからやめてちょうだい! じつはそ
れをお願いしようと思って今日ここへ来たのよ。ああ、ジャック、こうして頭をさげてお
願いするわ。ひざまずいてお願いするわ。ね、おやめになって!」
彼は彼女をたすけ起こし、彼女の顔を自分の胸に抱きよせてなだめた。