時田製作所から出てきた湯川は、いったん草薙の車を通り過ぎてからあたりを見回し、誰も見ていないことを確認した後、助手席に乗り込んできた。
「首尾はどうだい」草薙は訊いた。
「わからない。とりあえず、仕掛けのスイッチは入れておいた」
「なんだ、頼りないな」そういいながら草薙は車を動かした。ここでぐずぐずしていて、前島に見られたら元も子もない。
「人間が必ずしも、筋の通った行動に出るとはかぎらないからな。むしろその逆のほうが多い」
「まあそれはわかるけどな。それより、なぜあの工場に目をつけたんだ。あの怪現象の正体がわかったのなら教えてくれ」
「それについては、僕が説明するより、君が自分の目で見たほうがいいだろう。百聞は一見に如《し》かずというじゃないか」
草薙は舌打ちをした。「もったいぶるなよ」
「大丈夫。僕の考えが正しいのなら、おそらく近いうちにもう一度あの現象を見ることができるはずだ。その時には、僕があの工場に目をつけるに至った経過も話そう」湯川は自信に満ちた口調でいった。
ひどいお預けだなと草薙は口を歪めた。
一緒に行ってほしいところがある、と湯川から電話がかかってきたのは、今日の昼過ぎのことだった。それで会ってみて連れて行かれたところが、例の時田製作所だった。
時田製作所は今回の事件現場から近い。現場から二十メートルほど行ったところにある細い路地を、左に曲がった突き当たりだ。路地の入り口から真正面に工場の窓が見えた。
この場所を覚えておいてほしい、と湯川はいった。
「近々、例の怪現象が起きる。その時には、間髪を入れずにここを調べるんだ」
「どうしてそんなことがいえるんだ。またあんなことが起きるって」
草薙が訊くと、何でもないことのように湯川は答えた。
「なあに、あの現象が起きるように僕が仕掛けをするからさ」
「仕掛け? どんな?」
「それは一緒にくればわかるさ。ただし、君は自分が刑事だってことを絶対に悟られるなよ」
こうして二人並んで工場に向かいかけた。ところがすぐそばまで行ったところで、草薙は思わず身を隠した。工場の中にいるのが、先日聞き込みをした、口のきけない青年だとわかったからだ。
「すると彼は、現場のすぐ近くに住んでいるのか」二人でいったん車に戻ってから、湯川が訊いた。
「近くも近く。窓を開けると、すぐ左下に現場が見える」
「そうか」湯川は頷いて車のドアを開けた。
「どこへ行くんだ」
「決まってるだろう。僕一人で行く。君がいるとまずいからな」
「何をする気なんだ」
「だから、仕掛けだよ」片方の頬で笑って、湯川は車から降りたのだった。
この男の頭を割って中を見てみたいものだと、ハンドルを握りながら草薙は思った。湯川が何を推理し、どんな根拠で再び同じ現象が起きると予言できるのか、全くわからなかった。わかっているのは、とりあえずは彼のいうとおりにするしかないということだった。
問題のT字路で第二の怪事件が起きたのは、湯川が予言してから三日目のことだった。
現象は第一の事件と酷似していた。自動販売機の横に置かれた段ボール箱が、突然燃えだしたのである。しかし今回は被害者はいなかった。
ただし目撃者はいた。それはその三日前からずっと張り込みを続けていた刑事、つまり草薙だった。
草薙は最初何が起きたのかよくわからなかったが、それが例の怪現象だと思い当たると、即座に例の工場へ走った。
そして、それを見つけたのだ。もっともこの段階では、それが何であるのかも草薙は知らなかった。ただ、怪現象に関係しているに違いないと思われるものがあったのだ。
草薙はきびすを返し、例のアパートのそばまで戻った。すると、二階の二〇五号室から一人の男が出てくるのが見えた。草薙は咄嗟《とっさ》に隠れた。その男は、ちょうど草薙が来た方向に歩きだした。
草薙は尾行した。もちろん行き先はわかっていた。
男が時田製作所に入り、犯行の証を隠滅しようとしたところで、草薙は声をかけた。
青年は一瞬直立不動の姿勢をとり、それからゆっくりと振り向いた。
その顔は青ざめており、両方の目は真っ赤だった。
「君か……」といって草薙はため息をついた。
そこに立っていたのは、前島一之ではなく金森龍男だった。あのアパートでは、一〇五号室に住んでいるはずだ。
これは湯川も予想外だったろうと草薙は思った。