「実はね……」
と、犬のようにペロリと舌なめずりをすると、
「去年の夏ごろのことだった。八千代のところへ変な手紙がまいこんだ。八千代は奔放無
軌道な女で家中何なん人ぴとも眼中にないのだが、おれには日ひ頃ごろから一目おいてい
る。それにその手紙があまり妙なものだから、ついおれに見せて相談する気になったんだ
が、手紙の文句というのがこうなんだ。──われ還り来れり、近く汝なんじのもとに赴きて
結婚せん──と、まあ、そんな文句だ。発信局は九州の博はか多ただが、差出人の名前はな
い。君はこれをどう思う」
「誰かのいたずらだろう」
私は言下にこたえた。
「そうさ。われわれもそう思ったから手紙は破りすててしまった。いまから考えると惜し
いことをしたよ。あの手紙をとっておけば何かの証拠になったかも知れない。ところがそ
れからひと月ほどすると、また、同じような手紙が舞いこんだ。今度の発信局は京都だ
が、文句は少しちがっている。──汝、かの予言者の予言を記憶いたしおれるや。汝は余の
妻たるべく運命づけられたる者なり。──差出人の名前はあいかわらずない」
「ふうン」
私は思わず眼をみはった。
「そいつは少し深刻だね。で、その手紙はどうしたい」
「やっぱり破りすててしまった」
「それは……惜しいことをしたね」
「ふむ、今になってみるとそう思うが、その時には何だか腹が立ってね。それに八千代の
やつ、すっかりヒステリーを起こして、ズタズタに破ってしまったんだ。すると……」
「また来たのかい」
「うん来た。しかも今度の発信局は東京都内だ。こんどはさすがに気味が悪くなって来た
から、何かの証拠にと思ってとっておいたのだが、それがほら、この手紙さ」
直記がポケットからつかみ出したのは、四角い西洋封筒だったが、なるほどスタンプを
見ると、東京という文字がかすかに見える。しかしそれ以外の文字は、スタンプがつぶれ
てほとんど読むことが出来ないし、差出人の名前もなかった。
「なかを見てもいいかい」
「うん読んで見たまえ」
中から出て来たのは一枚の便びん箋せんと薄葉紙にくるんだ写真が一枚。便箋の文句と
いうのはこうである。
「──われ東京へ来れり。近く汝と見参せん。同封したるは余の姿なれど、面影は見参の際
まで預けおくべし」
それから、行をかえて妙なことが書いてあった。
「──汝夜歩くなかれ」
私は、薄葉紙をひらいて急いで写真を取り出したが、そのとたん、思わずぎょっと息を
のんだ。
写真の主は佝僂であった。しかし、なかなかスマートな恰かつ好こうをしている。黒い
洋服を着て、黒いインバネスを羽織り、細ほそ身みのステッキをまえについて、そのうえ
に両手をかさねている。インバネスのまえが開いているので、白いカラーにいきな紐ひも
ネクタイを結んでいるのがよくわかる。私は蜂屋小市がよくこういう姿をしているのを見
たことがあるが、果たしてこれが蜂屋であるかどうかはわからなかった。と、いうのがこ
の写真の首からうえがチョン切ってあるからである。