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第一章 汝夜歩くなかれ--みどり御殿(2)_夜歩く(夜行)_横沟正史_日本名家名篇_日语阅读_日语学习网

时间: 2024-10-24    作者: destoon    进入日语论坛
核心提示: さて、われわれが建物の角からとび出したとき、この池のまわりを三人の男が、こけつまろびつ駆けめぐっているのであった。 い
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 さて、われわれが建物の角からとび出したとき、この池のまわりを三人の男が、こけつ

まろびつ駆けめぐっているのであった。

 いちばん先頭を走っているのは、まぎれもなく蜂屋小市である。例によって黒っぽい洋

服に、意気な紐ひもネクタイをしめている。そして、背中をいよいよ丸くして、這はうよ

うに池の周囲を走っている。不具者ながらも敏びん捷しような男で、おりおりあとをふり

かえっては手を叩たたいて毒々しい嘲ちよう笑しようをあげている。

 そのあとを追っかけているのは、六十前後の老人だが、この人はまるで壮士芝居に出て

来る人物のような服装をしている。ずんぐりとした胡ご麻ま塩しお頭あたま、ピンとはね

た太い八字髭ひげ、着物はなんだかわからないが、ふとい白縮ちり緬めんの帯をぐるぐる

まきにしていて、胸もまえも大はだけ。そして驚いたことには、ギラギラする日本刀を大

上段にふりかぶっているのである。私が芝居を連想したのは、この日本刀のせいだったか

も知れない。あの野獣のような怒号は、むろんこの人の口から洩もれるのだが、口ほどに

は体が利きかぬと見えてよたよたとした千鳥足がいかにも息苦しそうである。そしており

おり躓つまずいたり、転んだりするたびに、先頭に立った蜂屋小市が、手を叩いて嘲笑す

るのである。

 さて、一番あとから追っかけているのはおそらくここの召使いであろう。四十がらみ

の、植木屋の着るような法はつ被ぴを着た男であった。

「旦だん那な、いけません、そりゃ無茶だ。いくら相手が無礼なやつでも、人ひとりぶっ

た斬ぎっちゃそのままではすみません。だ、旦那、旦那!」

「うぬ、殺してやる。斬ってやる。無礼な奴、……おのれ」

「あっはっは、斬れるなら斬ってみろ。ここまでおいで。甘酒進上だ。やい、髭! や

い、助平爺じじイ、やい、狒ひ々ひおやじ。あっはっは、そのざまアなんだ」

 三人の叫び声が三みツ巴どもえになってきこえて来る。私は驚きと怖おそれで、腹の底

がつめたくなるかんじだったが、直記は案外落ち着いていた。

「おい、仙石ありゃアどうしたんだ」

「酒乱だよ」

「酒乱?」

「おやじめ、大酔するといつもあのとおりなんだ。そこへ蜂屋のやつがからんで来やア

がったんだろう。年がいもない。いい恥ッさらしだ。だが、放ってもおけまい。あんな人

斬り庖丁をふりまわされちゃ物騒でいけない、あの刀はおやじの眼のとどかないところへ

かくしてあったのだが……」

 私たちは足早にちかづいていったが、その時である。

 蜂屋は少し図に乗りすぎたのである。相手を酔っぱらいとあなどってか、うしろを向い

て、手を叩きながら嘲弄していたが、木の根かなにかに躓いたのであろう。だしぬけに仰

向けざまにひっくりかえった。

 と、そのとたん酔っぱらいは驚くべき敏捷さを発揮した。蝗いなごのように飛石をとん

でいくと、ひっくりかえった蜂屋のまっこうから、サーッと日本刀をふりおろした。

「あっ!」

 私は思わず立ちすくんで眼を閉じた。弧をえがいてふりおろされた白銀の下に、さっと

飛び散る生ぬるい血潮が、はっきりと網膜にうつるようなかんじだった。

 だが、その瞬間ボチャンと大きな水の音がすると、蜂屋の毒々しい笑いごえが、はっき

りと、耳の底にひびいて来た。

 眼をひらいてみると、蜂屋は池のはたにかがみこんで、水の中を眺めながら、手を叩い

てゲタゲタわらっている。しかし、さすがにその顔には血の気がなかった。

 池の表面には大きな波紋がゆれていたが、やがてその波紋の中心からムックリと首をも

たげたのは鉄之進老人だ。御自慢の髭が無残に潮しお垂たれているのが、この際ではある

がやっぱり滑こつ稽けいなかんじだった。

「あっはっは、どうだ、どうだ、髭。助平爺イの狒々おやじ。加か茂も川の水みず雑ぞう

炊すいだ。少しゃ酔いがさめたかい」

「蜂屋!」

 直記がこちらから鋭い声で極めつけた。

 蜂屋はそれではじめてわれわれの存在に気がついたのである。

 ぎょっとしたようにこちらをふり返ると私の顔を見て怪けげんそうに眉まゆをひそめ

た。そして、しばらくまじまじとわれわれの顔を見くらべていたが、やがて何と思ったの

かニヤリと不敵な笑みをうかべて、コトコトと向こうのほうへ立ち去った。佝僂の背中を

丸くして、軽く跛びつこをひきながら……。

 蜂屋小市はキャバレー『花』の事件以来、佝僂のうえに軽い跛になっていたのである。

「源造、お父さんを上げてあげな」

「へえ」

 水雑炊をくらって、さすがに老人もすっかりしょげかえっている。日本刀はあいかわら

ず握りしめていたが、その指先には力がなかった。息子の顔を見ると、いくらか面目なげ

に瞬きをした。

「おい、屋代、いこう!」

 驚いたことには、直記は父の災難に手をかそうともしない。穢きたないものでも吐き出

すように、ペッと池のなかへ唾つばを吐くと、そのままスタスタと池をまわっていった。

このときばかりは私もなんだか、この老人が気の毒になったものである。

「おい、どうだ、わかったか。この家を化物屋敷という理由が……酒乱のおやじに佝僂が

ふたり、それに夜歩く女だ。いや、まだまだほかにも化物はいる。ほら、見ろ、あそこに

いるのもその一人だ」

 直記が立ち止まって、ぐいと顎あごをしゃくったので、私がそのほうへ眼をやると、絵

にかいた御殿のような日本座敷の縁側に立って、じっとこちらを見守っている女があっ

た。

「お柳さま……?」

「うん」

 お柳さまは八千代さんの生母だから、四十はすでに越えていなければならぬ筈はずだ

が、見たところ三十そこそこの若さに見える。それでいて、髪は切髪である。白い着物を

ゾロリと裾すそ長ながに着て、紫色の被ひ布ふを重ねている。そしてそういう服装がいか

にもよく似合っている。細面の古風な純日本式の美人である。

 私は一瞬、時代が百年あまりも逆行したような錯覚にとらわれて、しばらく呆ぼう然ぜ

んとそこに立ちすくんでいたものである。

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