村正をかくす
その夜の食事は妙に気まずいものだった。
いったい古神家では外国流に、四度食事をとるとみえて昼食と晩食とのあいだに、かる
い食物とお茶が出る。したがってほんとうの夕食は九時ごろになるのである。
その晩、洋館の食堂へ出たのは、直記に守衛に八千代さん、それから私と、この四人き
りだった。直記の父やお柳さま、それに四方太などは日本建てのほうで食事をとるし、蜂
屋は気分が悪いといって食堂へ出て来なかった。
憎まれ者の蜂屋が出て来ないということは、一同に一種の安あん堵ど感をあたえそうな
ものだったが、それが反対に、妙に不安をそそったらしい。いや不安というよりも、拍子
抜けがしたのかも知れぬ。食事中、ほとんど誰も口をきかなかったし、食事がすんで煙草
になってからも、みんなおもいおもいの顔色で、妙に押しだまっていた。
そして、そのことが私にとって、何よりも有難かったのである。と、いうのは、食前に
飲んだ酒の酔いが、おいおい廻まわって来て何んともいえぬよい気持ちだったし、その上
に誰もよけいなおしゃべりをしないので、思うぞんぶん、八千代さんの美しさを観賞出来
たからである。
実際、その晩の八千代さんは美しかった。昼とはうってかわって真っ黒なイヴニングに
真珠の頸くび飾かざり、唯ただそれだけの装飾なのだが、それが一層彼女の美しさを際立
たせていた。頸にかけた真珠にもまがう肌の色がまるで爬は虫ちゆう類るいの腹かなんぞ
のように、妖あやしく底光りするかと思われるほどだった。
私はいくらかちらちらする眼で、その美しさを満喫しながら、心ひそかに悦に入ってい
たが、すると、ふいにすっくと八千代さんが立ったのである。
「…………」
「…………」
直記と守衛が期せずして、彼女の顔をふりあおぐ。八千代さんはいらいらしたように、
ハンカチを揉もんだりのばしたりしながら、
「あたし、もうたまらない。これ以上、腹のさぐりあいはまっぴらよ、ええ、ええ、皆さ
んの考えてることはよくわかってるわ。蜂屋さんの出て来ないのをよろこんでいながら、
一方ひそかにおそれてるんでしょ。ええ、そうよ、そうよ。あのひとが何かたくらんでる
んじゃないか。……何か今日の仕返しを計画してるんじゃないかと、そんなふうに考えて
ビクビクしているんでしょ。あの人に何が出来るもんですか。でも、皆さんがそんなに怖
こわがるなら、あたしちょっと様子を見てくる」
まるで駄々っ児のような調子だった。実際彼女はイヴニングの裾すそをからげながら、
可愛い爪つま先さきで地団駄をふんでいた。
「八千代!」
直記が鋭い声でよびとめた。だが、そのまえに八千代さんは、くるりと踵きびすをかえ
すと、調理場のほうへ入っていったが、すぐお盆のうえに二、三品の食べ物と水の入った
コップをのせて出て来た。そして、そのままものもいわずに、食堂を駆けぬけると、食堂
のすぐまえにある広い階段をのぼっていった。
「どうしたんだい、仙石、八千代さんはなんだってあのように昂こう奮ふんしてるんだ」
私はあっけにとられて直記をふりかえった。今までこころひそかに楽しんでいた美しい
影像が急に消えてなくなったので、いくらか、がっかりした気持ちも手伝っていたのであ
る。
「なあに、近ちか頃ごろはいつもあのとおりよ、無理もないやね。化物みたいな連中にと
りまかれて、やいのやいのと責め立てられちゃ、誰だって多少気が変になるのは当たりま
えさ」
直記はかわいた声をあげて毒々しくわらうと、ポケットから爪つめ磨みがきの道具をと
り出して爪を磨きはじめる。佝僂の守衛はそれをきくと、ギクッと椅い子すから立ち上が
り、ギラギラするような眼で、しばらく直記を見つめていたが、直記が相手にならないの
を見ると、フフンと唇をねじまげてわらった。そしてもう一度、もとの席に腰をおろすと
ポケットからパイプを出して火をつけた。