直記が夢中遊行を起こしたとき、私は絶好のチャンスが来たと思った。私はしずかに一
歩退いて、直記のつぎの行動を見守っていた。
直記はあいかわらず、低い声でブツブツ呟つぶやいていたが、やがて小首をかしげる
と、フラフラと雲を踏むような足取りで歩き出した。私は少しあいだをおいて、足音をし
のばせてついていった。私が足音に気をつけるのは、直記の眠りをさますことをおそれた
ためではない。これだけ眠ってしまうと、ちょっとやそっとのことでは、なかなか眼覚め
ないことを、私はよく知っていたのだ。私が足音に気をつけるのは、屋敷のほかの連中
の、眠りをさまさないためなのだ。
直記は客間のまえまで来ると、そこの雨戸をいちまいひらいた。一昨日の晩、八千代が
出ていったところだ。直記もそこから、フラフラととび出していった。私もそのあとから
ついていきながら、いまの雨戸をくる音がひょっとすると、誰かの眠りをさましはしな
かったかとおそれたが、幸いそういう気配もなく、屋敷はあいかわらず、シーンと寝鎮
まっている。私の心はいよいよ躍った。
直記は一昨日の晩と同じように、杉木立の奥にある小さな木戸から外へ出ると、竹たけ
藪やぶの丘をぬけ、山路へさしかかった。そして、あいかわらず雲を踏むような足取り
で、フラフラと山路をのぼっていく。
私にはハッキリ、直記の潜在意識となって、今夜のこの夢中遊行となった動機がわかる
のだ。八千代だとばかり思われていたあの首無し死体が、そうではなくて、お静という女
であった。そして、八千代はその犯人、あるいは共犯者であったという恐るべき暴露が、
かれを驚かせ、悩ませ、それが今夜のこの夢中遊行となったのであろう。してみれば、か
れの行手は竜王の滝よりほかにない。
一昨日の晩とちがって、今夜は美しい月夜である。五月とはいえこの山里では、夜が更
ふけると同時にぐうっと気温が下降する。寝間着すがたの私の肌を、夜の冷気がさすのだ
が、しかも心中に燃えるようなものがあって、私にはその冷気がかえって爽そう快かい
だった。
間もなく直記は竜王の滝の岩頭に辿たどりついた。ああ、なんという絶好のチャンス、
なんという絶好の舞台装置。私の抱いていた計画にとって、これほど恰かつ好こうな場所
と時があろうか。私はわき立つ歓喜に胸を躍らせながら、直記のそばに駆け寄った。
直記はあいかわらず、何やらブツブツ、口のうちで呟きながら、小首をかしげて、滝の
なかをのぞいている。私がそばへ近寄っても気がつかない。私はいっそ、このまま手早く
目的を果たしてしまおうかとも思ったが、それでは肚はらの虫がおさまらなかった。夢遊
病者を殺すことは、寝首をかくのも同様ではないか。私はどうしても、ハッキリとした意
識のもとにある直記を、思いきり驚かせ、怖こわがらせ、思い知らせた揚句、弄なぶり殺
しをするように、殺してやらねば肚の虫が承知しないのだ。
私は用意の荒あら縄なわで(これは途中、納な屋やから持ち出して来たものである)、
手早く直記をしばりあげると、岩頭の松の木にくくりつけた。直記は赤ん坊のようにたあ
いなく、私のなすがままにまかせていたから、それは何んの造作もない仕事だった。私は
直記を岩頭にひきすえると、両手で直記の頰ほおに、はげしい平手打ちをくらわした。
ああ、このときの私の歓喜!
私は戦争からかえって以来、ながい間この瞬間を待っていたのだ。この瞬間の、肉のふ
るえるような喜びを想像するだけで、私はながいあいだの屈辱にたえて来られたのだ。私
はポーの小説のピョンピョン蛙がえるだ。この残忍な復ふく讐しゆうの快感を味わうため
に、私は直記の毒舌を、いままで黙ってこらえて来たのだ。思えば小金井の古神家以来、
私のやって来たことは、すべてこの瞬間の準備行動に過ぎなかったのだ。