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鴉片(1)

时间: 2021-06-14    进入日语论坛
核心提示: クロオド・フアレエルの作品を始めて日本に紹介したのは多分堀口大学氏であらう。僕はもう六七年前に「三田文学」の為に同氏の
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 クロオド・フアレエルの作品を始めて日本に紹介したのは多分堀口大学氏であらう。僕はもう六七年前に「三田文学」の為に同氏の訳した「キツネ」艦の話を覚えてゐる。
「キツネ」艦の話は勿論(もちろん)、フアレエルの作品に染(し)みてゐるものは東洋の鴉片(アヘン)の煙である。僕はこの頃矢野目源一氏の訳した、やはりフアレエルの「静寂の外に」を読み、もう一度この煙に触れることになつた。尤(もつと)もこの「静寂の外に」は芳(かんば)しい鴉片の匂の外にも死人の匂をも漂はせてゐる。「ポオとボオドレエル」兄弟商会の造つた死人の匂をも漂はせてゐる。
「おや、聞えたぞ。いや、空耳だらう。己にはわからない。死人の土地から洩れて来るにしてはあんまり音が大き過ぎる。一体ここで物の割れる音なんかするわけがない。泥溜(どろだめ)の中で棺桶が嚔(くさめ)をする。――一枚の板が揺ぶられる。頑丈な釘がうちつけてあるのを恐しい音をさせて軋(きし)ませる。……」
 これはポオの「Premature Burial」が大西洋の彼岸に伝へた幾多の反響の一つである。が、そんなことはどうでも好い。僕にちよつと面白かつたのは下に引用する一節である。――
「ところで已(すで)に仏蘭西(フランス)の土地で阿片を造らうとして失敗をつづけ乍(なが)らさまざまに苦心した。東京(トンキン)から持つて来た罌粟(けし)の種子を死骸で肥えた墓地に植ゑて見ると思ひの外に成績がよくてその特徴を発揮させることが出来た。今では、その毒汁で脹らんだ芥子坊主(けしぼうず)を切りさへすれば、望み通りに茶色の涙のやうなものがぼろぼろと滴り落ちて来る。……」
 鴉片に死人を想はせるのはフアレエルの作品に始まつたのではない。僕はこの頃漫然と兪(ゆゑつ)の「右台仙館筆記(うたいせんくわんひつき)」を読んでゐるうちにかう云ふ俗伝は支那人の中にもあつたと云ふことを発見した。それは同書の中に掲げた「賈慎庵(かしんあん)」の話に出合つたからである。
 賈慎庵は何でも乾隆(けんりゆう)の末の老諸生の一人だつたと云ふことである。それが或夜の夢の中に大きい役所らしい家の前へ行つた。家は重門尽(ことごと)く掩(おほ)ひ、闃(げき)としてどこにも人かげは見えない。「正に徘[#「徘」は底本では「俳」]徊(はいくわい)の間、俄(には)かに数人あり、一婦を擁して遠きより来り、この門の外に至る。」それから彼等はどう云ふ量見か、婦人の上下衣を奪つてしまつた。婦人はまだ年少である。のみならず姿色もない訣ではない。「瑩然(えいぜん)として裸立す、羞愧(しうき)の状、殆ど堪ふ可からず。」気を負うた賈(か)は直ちに進んで彼等の無状を叱りつけた。
 
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