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女妖(1)

时间: 2022-05-23    进入日语论坛
核心提示:女妖江戸川乱歩一 いつ、どこで、どうして、死ぬかということが、ただ一つ残っている問題だった。 青山浩一(あおやまこういち)
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女妖

江戸川乱歩

 


 いつ、どこで、どうして、死ぬかということが、ただ一つ残っている問題だった。
 青山浩一(あおやまこういち)は、もと浜離宮(はまりきゅう)であった公園の、海に面する芝生(しばふ)に腰をおろして、向うに停泊(ていはく)している汽船を、ボンヤリと眺めていた。
 うしろには、まっ赤な巨大な太陽があった。あたりは見る見る夕暮(ゆうぐれ)の色を帯びて行った。ウイーク・デイのせいか、ときたま若い二人づれが通りかかるほかには、まったく人影がなかった。
 伯父(おじ)のへそくりを盗み出した十万円は、二十日間の旅で(つか)いはたした。ポケットには、(かろ)うじて今夜の宿賃に足りるほどの金が残っているばかりだ。
 温泉から温泉へと泊り歩いて、二十一歳の彼にやれることは、なんでもやって見たが、どれもこれも、今になって考えると、取るに足るものは一つもなかった。あの山、この谷、あの女、この女、ああつまらない、生きるに甲斐(かい)なき世界。
 伯父の家へは二度と帰れない。勤め先へ帰るのもいやだ。自転車商会のゴミゴミした事務机と、その前に立ちならんでいる汚れた帳簿を思いだすだけでも、()きけをもよおした。
 暮れて行く海と空を、うつろに眺めていると、またあの(まぼろし)が浮かんで来た。空いっぱいの裸の女。向うの汽船のマストの上の、白い雲の中に漂っている。西洋の名画の聖母像と似ているが、どこかちがう。もっと(はな)やかでなまめかしい。情慾に光り輝いている。浩一はあの美しい女に()まれたいと思った。(くじら)に呑まれるように、腹の中へ呑まれたいと思った。
 ほんとうをいうと、彼は少年時代から、この幻想(げんそう)()かれていた。夢にもよく見た。中学校の集団旅行で、奈良(なら)の大仏を見たときには、恍惚(こうこつ)として目がくらみそうになった。鎌倉(かまくら)の大仏はもっと実感的だった。あの体内へはいった時の気持が忘れられないで、ただそれだけのために、三度も四度も鎌倉へ行ったほどだ。あの胎内に住んでいられたら、どんなによかろうと思った。
「いよいよ、せっぱつまったなあ。自殺のほかはない」
 浩一は、口に出して(つぶや)いて見た。温泉めぐりをしているあいだも、白粉(おしろい)の濃い丸まっちい女を抱いているときにも、彼は絶えず自殺のことを考えていた。その想念(そうねん)には何か甘い味があった。
 立ち上がって、芝生(しばふ)のはずれの(がけ)はなまで行って、じっと前の青黒い海を見つめていたが、飛びこむ気にはなれなかった。いよいよの土壇場(どたんば)までには、まだ少しあいだがあると思った。その一寸(いっすん)のばしが、目覚(めざま)し時計の音を聞いてから、温かい蒲団(ふとん)の中にもぐっているように、何とも云えず物憂(ものう)く、こころよかった。
 もう海と空の見さかいがつかぬほど、暗くなっていた。近く遠くの汽船たちのマストの上の燈火が、キラキラと美しくきらめき出した。例のこの世にたった一人ぼっちという孤独感が、痛くなるほど迫って来た。
 けさ上野(うえの)駅について、浅草(あさくさ)有楽町(ゆうらくちょう)で、映画を二つ見た。映画館の群衆は、自分とはまったくちがった別世界の生きものであった。それから銀座(ぎんざ)通りを京橋(きょうばし)から新橋(しんばし)まで、三度ほど、行ったり来たりした。そこを通っている人たちも、まるで言葉の通じない異国人のように見えた。
 少し寒くなって来た。もう落葉の季節に近づいていた。浩一はうつろな顔で歩き出した。あてどもなく、足の向くままに歩いていると、(にぎや)かな新橋の交叉点(こうさてん)に出た。浜の公園から新橋までは案外(あんがい)近かった。
 歩道の群衆にまじって、この人むれの中に溶けこんで、消えてしまいたいと思いながら、尾張町の方へ歩いた。こうして永遠に歩いていられたら、さぞよかろうと思った。しかし、夜が()けると、銀座通りは電車のレールだけが冷たく光っている廃墟に一変することを知っていた。それが恐ろしかった。
 気がつくと、目の前の群衆の中に、突拍子(とっぴょうし)もない色彩のものが、まじっていた。モーニングを着て、山高帽をかぶって、顔には壁のように白粉を塗って、つけひげをした男が、プラカードを捧げて、悠然(ゆうぜん)と歩いていた。
 二三時間前、浩一が銀座通りを歩いたとき、どこかの街角(まちかど)に立って、ステッキで、一方をさし示しながら、目と口を一緒に、ひらいたり、ふさいだりしていた、あのサンドイッチ・マンであった。
「サンドイッチ・マンになれば、世間から自分を消してしまうことが出来るんだな」と思った。しかし、広告会社へ行って、衣裳を借りたり、賃銀を(もら)ったりしなければならない。ほんとうに消えるなんて、出来っこないことだ。
 浩一は山高帽と、(よご)れたモーニングの広い肩を見ながら歩いていた。すると、サンドイッチ・マンが、大きなガラスの前で立ち止まった。ガラスの向う側には、白砂糖で出来た西洋館がキラキラ光っていた。その向うの方に、人の頭が幾つか見えた。明るい電燈の下に腰かけて、お茶を飲んでいる。
 その中の一人の婦人の顔が、浩一の網膜(もうまく)に焼きついて来た。髪を西洋人のような形にした、美しい洋装の人であった。彼がまだ悪事を働かない前、やはり銀座で、行きずりに三度会ったことがある。三度ということをハッキリ覚えていた。一度は彼女が落とした黒い手袋を拾ってやったことがある。その時、彼女は美しい唇で「ありがと」と云って彼の顔をじっと見た。どこか贅沢(ぜいたく)な家庭の奥さんらしいが、その顔と姿は、いつまでも忘れられなかった。
 浩一はフラフラと、その喫茶店へはいって行った。婦人のそばまで行って、となりのテーブルに席をとった。そして、婦人の顔をまじまじと見つめていた。すると、ふしぎなことが起った。まるで、お伽噺(とぎばなし)のような、ふしぎなことが起った。その美しい婦人が浩一にニッコリ笑いかけたのだ。
「前に二三度、お目にかかったわね。よく覚えているでしょう」
 浩一はドギマギした。こんな親しげな口をきいてもらえるとは、想像もしていなかった。それに、先方でこちらをよく記憶していてくれたことがわかって、ジーンと耳鳴りがした。顔が赤くなったのが意識された。
「こちらへ、いらっしゃらない? あなたの目、今日は変よ。何かあったんじゃない?」
 顔で隣の椅子へ来るように合図(あいず)されたので、浩一はそこへ移った。婦人には連れはなかった。
「ねえ、何かあったんでしょう。あなたの目、孤独の目よ。生き甲斐(がい)がないって目よ。ねえ、どうかしたの? 失職したんじゃない?」
 婦人が物を云ったり、身動きしたりするたびに、いい(にお)いが漂って来た。彼女のきれいな歯ぐきと、バラ色の唇から、その匂いが()れて来るように感じられた。
「失職より、もっと悪いことです」
 浩一は、この婦人には、何でも云えるような気がした。ショーウインドウのそとには、さっきのサンドイッチ・マンが、まだ立ち止まっていた。壁のような白粉の中から、毒々しい植え睫毛(まつげ)の目が、こちらをじっと見ていた。
「悪いことって?」
 婦人は口で笑いながら、ちょっと眉をしかめて見せた。その顔が恐ろしく魅惑的(みわくてき)であった。
「どろぼうです。盗んだんです」
「まあ……」
 婦人は息を引いて見せたが、その実、大して驚いているようでもなかった。
「そして、その金を遣いはたしてしまったんです」
「じゃあ、せっぱつまってるのね。それで、そんな目をしているのね。あなた自殺しそうだわ。ね、ここじゃ駄目だから、あたしのうちへいらっしゃい。ゆっくり相談しましょう。いいでしょ。今のあなたは、どこへでもついて来る心境だわ。そうでしょう」
「でも、ほかの人に会いたくないんです」
 浩一は婦人の夫や子供や召使のことを考えていた。
「もちろん、そんなことわかっているわ。あたしは家族なんてないのよ。ひとりぼっちで、アパートにいるのよ」
 婦人は飲みものを半分ほど残したまま立ち上がった。浩一はまだ飲み物を注文さえしていなかった。
 婦人がカウンターの方へ歩いて行くので、浩一も立ち上がったが、すぐ目の前に横丁に面したガラス窓があった。そのガラスの外から、大きな人の顔が覗いていた。何かギョッとするような顔であった。浩一は婦人のあとを追うために、それをチラッと見ただけで、入口の方へ急いだが、歩きながら、今のは、サンドイッチ・マンの、あの壁のような白粉の顔だったということを意識していた。

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