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一人两角

时间: 2022-05-23    进入日语论坛
核心提示:一人二役江戸川乱歩 人間、退屈すると、何を始めるか知れたものではないね。 僕の知人にTという男があった。型の如く無職の遊
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一人二役

江戸川乱歩


 人間、退屈すると、何を始めるか知れたものではないね。
 僕の知人にTという男があった。型の如く無職の遊民(ゆうみん)だ。大して金がある(わけ)ではないが、まず食うには困らない。ピアノと、蓄音器(ちくおんき)と、ダンスと、芝居と、活動写真と、そして遊里の(ちまた)、その辺をグルグル(まわ)って暮している様な男だった。
 ところで、不幸なことに、この男、細君(さいくん)があった。そうした種類の人間に、宿(やど)の妻という奴は、いや笑いごとじゃない。(まさ)に不幸といッつべきだよ。いや、まったく。
 別に嫌っていたという程ではないが、といって、無論(むろん)女房()けで満足しているTではない。あちらこちら、(はし)まめにあさり歩く。いうまでもなく、女房は焼くね。それが又、Tには一寸(ちょっと)捨て(がた)い、おつな(たのし)みでもあったのだ。一体Tの女房というのが、なかなかどうして、Tなんかに、勿体(もったい)ない様な美人でね。その女房に満足しない程のTだから、その辺にざらにある売女(ばいた)などに、これはという相手の見つかろう(はず)もないのだが、そこがそれ、退屈だ。精力の過剰に困っているのでもなければ、恋を求める訳でもない。ただ退屈だ。次々と違った女に接して行けば、そこにいくらか変った味がある。又、どうした拍子(ひょうし)で、非常な掘出し物がないでもあるまい。Tの遊びは、大体そんな様な意味(あい)のものだった。
 さて、そのTがね、変なことを始めた話だよ。それが実に奇想天外なんだ。遊戯もここまで来ると、一寸凄くなるね。
 誰しも感じることだろうが、自分の女房がね、自分以外の男に、つまり間男にだね、接しる時の様子をすき見したら、さぞ変な味がするだろう、……いや、実際にやられては(たま)らないが、ただふっとそんな好奇心の起ることがある。Tのあの奇行の動機も、恐らく大部分はそうした好奇心だったに相違ない。T自身では、彼の放蕩三昧(ほうとうざんまい)に対する細君の嫉妬(しっと)を封ずる手段だと称していたがね。
 で、彼は何をしたかというと、ある夜のこと、頭から足の先まで、すっかり外で調えた新しい服装で、鼻の下へはチョッピリ附髭(つけひげ)までして、つまり手軽な変装をしたんだね。そして、自分のでない、出鱈目(でたらめ)のイニシアルを彫らせた銀のシガレット・ケースを(たもと)にしのばせて、何気ない風で自宅へ帰ったものだ。
 細君は、Tがいつもの通り、どっかで夜更(よふ)かしをして帰宅したのだと信じ切っている。いや、それは当然のことだが、つまりTの変装に少しも気がつかなかった。夜更けに寝惚(ねとぼ)(まなこ)で見たのだからそれも無理ではない。Tの方でも十分用心をして、新しい着物の縞柄(しまがら)なども、以前からあるのとまぎらわしい様なものを選んでいたし、附髭は(とこ)這入(はい)るまで、(てのひら)や、ハンカチなどで隠す様にした。で、結局、Tのこの奇妙な計画はまんまと首尾よく成功したんだ。
 床の中でね、彼等は電燈を消して寝る習慣だったから、真暗な床の中でだね、Tはやっと髭を押えていた手を離した。で、つまり、当然だね、その異様な毛髪の感触が、細君を驚かせた。
「アラ、…………」
 細君が、可愛らしい悲鳴を上げたのは、こりゃ決して無理はない。同時にTとしては、ここが最も難しい所だ。彼は細君が髭の存在を認めたことが分ると、早速向きを()えて、二度と髭に触らせない様に、蒲団を被って、グウグウ空鼾(そらいびき)をかき出したものだ。
 ここで、細君が怪しんで、あくまで穿鑿(せんさく)をしようものなら、Tの計画は、すっかりオジャンだ。空鼾をかきながら、彼はもうビクビクものだったというね。ところが、細君、案外暢気(のんき)なもので、何か感違いしたとでも思ったのか、そのままじっとしている。(しばら)く待っていると、スウスウと優しい鼾が聞えて来た。もうしめたものだ。
 そこで、Tは、細君が十分寝込んだ折を見すまして、ソッと床の中から這い出した、手早く着物を着ると、例の銀のシガレット・ケース丈を枕許(まくらもと)へ残して、音のしない様に、家から抜け出し、それも、まともな入口からでなくて、庭の(へい)をのり越したのだ。もうその時分車なんかありやしない、テクテクと、十何町の道を、行きつけの待合(まちあい)へ歩いた。酔狂(すいきょう)な男もあったものだ。
 さて、翌朝だ。細君、目を(さま)して見ると、一緒に寝ていた筈の夫が、も抜けのからだから、少なからず驚いた。家中探して見たが、どこにもいない。寝坊の夫が、この早朝外出する筈もなし、妙だなと思いながら、ふっと気がついたのは、枕許のシガレット・ケースだ。一向見慣れぬ品だ。夫が始終持っているのとは違う。で、手にとって調べて見ると、まるで心当りのないイニシアルが刻んである。中の巻煙草まで、夫の常用のものとは違っている。夫がどこかで取違えて来たのかとも考えて見たが、さて、何とやら()に落ちぬ。と、思出すのは、昨夜(ゆうべ)の髭の一件だ。さあ、細君どれ程か心配したことであろう。
 そこへ、Tが、昨夜家を明けたのがきまりが悪いという様な、殊勝気(しゅしょうげ)な顔つきで帰って来た。無論服装は、前日家を出た時のとおり換えているし、つけ髭もとってある。いつもなら、細君、ただは置かないのだけれど、今日はそれどころではない。彼女の方に、途方もない心配があるのだ。妙な工合(ぐあい)で、だんまりで、Tは茶の間へ通る、細君は青い顔をしてあとからついて来る、といった鹽梅(あんばい)だ。
 (しばら)くすると、細君がおずおずしながら聞くんだね。
「この煙草入れ、どっかで取りかえていらっしったのじゃなくって」
 いうまでもなく、例の銀製のシガレット・ケース。
「いいえ、それ、どうかしたのかい」
 と、Tがとぼけて見せると、
「だって」と少しあまえて、「ゆうべ、あなたがもってお帰りなすったのじゃありませんか」
「へええ」と更にとぼけて「だが、僕のはちゃんと、これ、ここに持っているよ。それに、第一僕がゆうべ帰ったって?」ここで少し調子を高める。この一言で、細君をハッとさせる(わけ)だね。
 などと、落語家みたいに、会話入りでやっちゃ、際限がないから、それはよすとして、よろしく一問一答を繰りかえしたのち、とど、細君が昨夜の一伍一什(いちぶしじゅう)を、打開けて了うところまでこぎつけた。
 そこで、Tはさも不思議(そう)な顔をして見せ、そんな馬鹿なことのあろう道理がない。自分はゆうべ××()で、何の誰と一晩呑みあかしたのだから、何ならあの男に聞いて見るがいい、と、これがつまり、探偵小説の言葉で云えばアリバイだね。それは前()ってちゃんと頼み込んであるのだ。エ、お前がそのアリバイを勤めたのかって、イヤ、違う違う。
「お前夢でも見たのではないか。いいえ、決して夢ではありません。夢でなかった証拠には、ちゃんと煙草入れが残っているのだ。はてな、昔の書物に、離魂病(りこんびょう)というものが見えているが、まさか今の時節、そんなこともあるまい。その離魂病というのはね、一人の人間の姿が、二つに分れて、同時に、違った場所で、違った(おこない)をするというのだ。などと、一寸怪談めいて見たり、お前そんなことを云って、実はソッとどこかの男を引入れているのではないか」などと(おど)しつけて見たり、それが又、Tには、何とも愉快でたまらないというのだから、因果さ。
 が、()(かく)も、その日は有耶無耶(うやむや)で済んで了った。無論、一度位では駄目だ。Tの計画では、幾度も、幾度もそれを続けてやって見る(つも)りだった。
 二回目は、少々心配した。細君、前に()りているから、うっかり変装して行こうものなら騒ぎ出しやしないかというのだ。で、今度は、家に這入る時には、変装もせず、髭もつけずに行って、さて、電燈も消して、床につき、細君がもう寝入るという頃を見計(みはか)らって、夢現(ゆめうつつ)の間に、ほんの瞬間、例の髭の感触を与え、そして、寝入って了ったのを見すまして、やっぱり前通りのイニシャルを縫いつけたハンカチを残して、家を抜け出す手筈にしたが、なんと、それが再びうまく成功したではないか。翌朝の模様は、前の時と似たり寄ったりで、ただ、細君の顔が、一層青ざめ、Tの狂言嫉妬(しっと)が、更に手強くなった位の相違だった。
 そうして、三度となり、四度と重なって行くに従って、Tのお芝居は益々上達し、今では、細君にとっては、煙草入れや、ハンカチのイニシアルの男が、はっきりした、実在の人物になって来たが、それと同時に、ここに妙な事が起って来たのだ。これまでの所はね、まあ()わば笑話(わらいばなし)にすぎないけれど、これから先は、話が少し固くなって来るのだよ。人間の心が、如何(いか)にたよりない、そして又不思議なものだといった風の、一寸考えさせられるものを含んでいるのだよ。
 第一に起った変化は、細君の(がわ)にあった。その貞女を以て聞えた細君がね、女なんて実際分らないものだ、変装した方のTに対して、明かにTの(ほか)の男だと信じつつ、ある好意を見せ始めたのだ。この辺の心理は可也(かなり)不思議なものだが、併し、昔の物の本などによく例がある、つまり、それは、何人(なんぴと)とも分らぬ男との、夜毎(よごと)逢瀬(おうせ)は、恐らく、彼女にとって、一つのお伽噺(とぎばなし)であったのであろうか。
 一方に(おい)て、彼女は、変装のTがその都度(つど)残して行く、証拠品を、夫であるTに隠す様になった。そればかりか、他の一方に於ては、変装のTに対して、夫とは別人であると意識した上の、罪の(ささや)きを囁く様になった。「あなたが、どこの何というお方だか、その見知らぬあなたが、どうして(わたし)の所へ通って下さるのか、妾には少しも分らない。でも、あなたの御深切(しんせつ)が、今ではもう、妾には忘れ難いものになって了った。あなたのお()でなさらぬ夜が淋しく感ぜられさえする。この次は、いつ来て下さるのでしょうか」そうした細君の変心(というには少し変だけど)を知った時の、Tの心持は、実際何とも形容の出来ぬ変てこなものであったに相違ない。
 一方から見れば、これは、Tの最初の目論見(もくろみ)が完全に果された訳であった。こうして、細君の方に大きな弱味が出来て了えば、彼の放蕩は五分五分だ。決して細君に対して引け目を感じる必要はない。だから、彼の計画から云えば、この辺で、この妙な遊戯を打切って、変装した彼自身を、永久にこの世から葬って了えばよいのだ、そうすれば、元々実在しない人物のことだから、あとに(わずら)いの残る筈はない、とTは考えていた。
 ところが、今彼の心は、最初は全然予想しなかった、極度の混乱に陥って了ったのだ。仮令(たとえ)、仮想の人物にもせよ、細君が彼以外の男を愛し始めたという、この恐しい事実が彼を撃った。始めは狂言であった嫉妬が、真剣なものに変って来た。()しこういう心持が嫉妬といえるならばだ。そこには相手がないのだ。一体全体、誰に向って嫉妬をするのだ。細君は決してT以外の男に肌身を許した訳ではない。つまり、彼の恋敵(こいがたき)は、とりも直さず彼自身に外ならぬのだ。
 さあ、そうなると、以前はさ程でもなかった細君が、この世に二人とないものに思われて来る。その細君を、他人に((まさ)しく云えば自分自身にだが)奪われたかと思うと、くやしさは一通りではない。細君がぼんやり物思いに(ふけ)っている。アア、彼女は今、もう一人の男のことを思っているのだな。そう考えると、もうたまらない。Tは実に取返しのつかぬことをやって了ったのだ。彼は自分自身の仕掛けた(わな)にかかったのだ。
 (あわ)てて、仮装を中止して見たところで、今更ら何の甲斐(かい)もなかった。夫婦の間には、いつの間にか妙な隔意を生じていた。細君はともすれば憂欝(ゆううつ)になった。恐らく彼女は姿を見せぬ男のことを、諦め兼ねているのに相違ない。Tはそれを見るのがつらかった。と同時に、それ程心にかけている男というのが、実はもう一人の自分であることを考えると、それは満更嬉しくないこともなかった。
 一層一伍一什を打開けて了おうか、だがそうすることは、何となくいやだった。一つは余りに馬鹿馬鹿しい自分の行為が恥しくもあったし、それに、もう一つは、実はこれが最大の原因なのだが、生れて始めて経験した、忍ぶ恋路の身も世もあらぬ楽しさを、Tはどうにも忘れ兼ねた。彼は、そこに、本当の恋を見出した様に思った。本来のTに対しては、世間並の女房に過ぎなかった彼女が、その心の奥底にあの様な情熱を隠していようとは。Tは全く意外であった。そして逢瀬が重なれば重なる程、そのことは明かになって行った。今更ら、あれは狂言だったなどとどうして云えるものか。
 併し、この二重生活をいつまでも続けることは、煩わしいばかりでなく、細君に真相を悟られる(おそれ)があった。これまでは、いつも夜更けを選んで、暗い電燈の下や、多くはその電燈さえもない闇の中で逢っていたのだし、一方明白なアリバイが用意してあったから、まず安全であったけれど、そんな異常な会合がそうそう続けられるものではない。とするとそこには三つの方法しかない。第一は仮想の人物を葬って了うこと、第二はトリックの一伍一什を打明けること、そして第三は、実に変なことだけれど、彼が、細君に愛想をつかされた、いわばこの世に用のないTという人物を辞職して、その代りに一方の仮想の男になり切って了うこと。
 今も云う通り、仮想の人物としての、細君との、謂わば初恋を発見した彼は、どうにも、第一第二の道を選ぶ気にはなれなかった。そこで非常に難しいことだとは思ったが、遂に、第三の方法を()ることに決心した。つまり、Aという男が、ABの二役を勤め、それから今度は、始めのAをすてて、まるで違ったBの方にばけて了うのだ。(かつ)てこの世に存在しなかった一人の人間を(こしら)えるのだ。
 そう決心すると、Tはまず旅行と称して、一ヶ月ばかり家をあけ、その間に、出来る丈け顔形を変えようとした。頭髪の刈り方を違え、口髭を(はや)し、眼鏡(めがね)をかけ、医者の手術を受けて、一重眼瞼(ひとえまぶた)を二重にし、その上顔面の一部に、小さい傷さえ拵えた。そして、髭が伸びた頃に、態々(わざわざ)九州の方まで出掛けて行って、そこから、細君の所へ一通の絶縁状を送ったものだ。
 細君は途方に暮れた。相談を持込む親戚とてもないのだ。幸い、夫が多額の金を残して行ったので、その方の不自由は感じなかったが、そうかといって、じっとして居る訳には行かぬ。こんな時、あの方が来て下すったら。きっと彼女はそう思ったに相違ない。丁度そこへ、仮想の男になり(すま)したTが、ヒョッコリとやって来た、最初は、細君、その男をTだといって聞かなんだが、Tの友人が訪ねて来ても、まるで話が合わなかったり、(それはTが(あらかじ)め頼んだこの芝居の脇役なのだ)仮装の男の身許が明かになったりしたので(これもTが拵えて置いたのだ)つい、彼等が全く別人であることを信ずる様になった。これが、何かそうする理由でもあったのなら、いくら何でもだまされはしないのだろうが、T自身の心持を(ほか)にしては、まるで理由というものがないのだ。まさか、こんな馬鹿馬鹿しいお芝居が演じられようとは、誰にしたって、思いも寄らないからね。Tの細君は案外易々(やすやす)とだまされたのも、これは無理もないよ。
 間もなく、彼等は住所を換えて同棲することになった。無論名前もTではなくなった。お蔭で、僕等Tの友人は、かたくお出入りをさし止められたものだ。聞くところによると、其後(そのご)Tはふっつり遊ばなくなった相だ。そして、この喜劇にも等しいお芝居が、案外好結果を納めて、彼等の仲は、引続き非常に(むつ)まじく行っているという噂だ。世の中に変った男もあるものだね。
 ところで、お話はまだ少しあるんだよ。それは、つい最近のことだが、ある所で、僕はふと、昔Tであった男に出逢った。見ると彼は例の細君を同伴している。で、僕は、言葉をかけては悪いのだろうと思い、何気ない風を装って、彼等の前を通り過ぎようとすると、意外にもTの方から僕の名前を呼びかけた。そして、
「いや、その御配慮には及びませんよ」
 昔から見ると、ずっと快活な声でTが云った。僕達はそこにあった椅子(いす)に腰かけて、久しぶりで語り合った。
「ナニネ、もうすっかり手品の種が分っているのですよ。これをうまく(かつ)いだ積りでいた私の方が、実はすっかり、あべこべに担がれていたのです。これは、あの私のいたずらを、最初から気附いていたんだ(そう)です。でも、別段害のある事柄ではなし、それで家庭が円満に行く様にでもなれば、これに越したことはないと思い、つい、だまされた様な(てい)を装っていたのだといいます。道理でうまく運び過ぎると思いましたよ。ハハ……、女なんて魔物ですね」
 それを聞くと、(そば)に立っていた、相変らず美しいTの細君は、恥しそうにほほえんだ。
 僕も、最初から、そんなことではあるまいかと、いくらか(うたがい)を抱いていたので、さして驚きはしなかったが、Tには、それが自慢であるらしく、幾度も同じことを繰返して、自分で驚いて見せていた。この調子なら、先生やっぱり仲(むつま)じくやっているな。そこで、僕は(ひそか)に、御両人を祝福したことであった。

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