声。英国においてカーライルを苦しめたる声は独逸においてショペンハウアを苦しめたる声である。ショペンハウア云う。「カントは活力論を著せり、余は反って活力を弔う文を草せんとす。物を打つ音、物を敲く音、物の転がる音は皆活力の濫用にして余はこれがために日々苦痛を受くればなり。音響を聞きて何らの感をも起さざる多数の人我説をきかば笑うべし。されど世に理窟をも感ぜず思想をも感ぜず詩歌をも感ぜず美術をも感ぜざるものあらば、そは正にこの輩なる事を忘るるなかれ。彼らの頭脳の組織は麁にして覚り鈍き事その源因たるは疑うべからず」カーライルとショペンハウアとは実は十九世紀の好一対である。余がかくのごとく回想しつつあった時に例の婆さんがどうです下りましょうかと促がす。
一層を下るごとに下界に近づくような心持ちがする。冥想の皮が剥げるごとく感ぜらるる。階段を降り切って最下の欄干に倚って通りを眺めた時にはついに依然たる一個の俗人となり了ってしまった。案内者は平気な顔をして厨を御覧なさいという。厨は往来よりも下にある。今余が立ちつつある所よりまた五六段の階を下らねばならぬ。これは今案内をしている婆さんの住居になっている。隅に大きな竈がある。婆さんは例の朗読調をもって「千八百四十四年十月十二日有名なる詩人テニソンが初めてカーライルを訪問した時彼ら両人はこの竈の前に対坐して互に煙草を燻らすのみにて二時間の間一言も交えなかったのであります」という。天上に在って音響を厭いたる彼は地下に入っても沈黙を愛したるものか。
最後に勝手口から庭に案内される。例の四角な平地を見廻して見ると木らしい木、草らしい草は少しも見えぬ。婆さんの話しによると昔は桜もあった、葡萄もあった。胡桃もあったそうだ。カーライルの細君はある年二十五銭ばかりの胡桃を得たそうだ。婆さん云う「庭の東南の隅を去る五尺余の地下にはカーライルの愛犬ニロが葬むられております。ニロは千八百六十年二月一日に死にました。墓標も当時は存しておりましたが惜しいかなその後取払われました」と中々精しい。
カーライルが麦藁帽を阿弥陀に被って寝巻姿のまま啣え煙管で逍遥したのはこの庭園である。夏の最中には蔭深き敷石の上にささやかなる天幕を張りその下に机をさえ出して余念もなく述作に従事したのはこの庭園である。星明かなる夜最後の一ぷくをのみ終りたる後、彼が空を仰いで「嗚呼余が最後に汝を見るの時は瞬刻の後ならん。全能の神が造れる無辺大の劇場、眼に入る無限、手に触るる無限、これもまた我が眉目を掠めて去らん。しかして余はついにそを見るを得ざらん。わが力を致せるや虚ならず、知らんと欲するや切なり。しかもわが知識はただかくのごとく微なり」と叫んだのもこの庭園である。
余は婆さんの労に酬ゆるために婆さんの掌の上に一片の銀貨を載せた。ありがとうと云う声さえも朗読的であった。一時間の後倫敦の塵と煤と車馬の音とテームス河とはカーライルの家を別世界のごとく遠き方へと隔てた。