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草枕 七(4)

时间: 2021-02-22    进入日语论坛
核心提示: 放心(ほうしん)と無邪気とは余裕を示す。余裕は画(え)において、詩において、もしくは文章において、必須(ひっすう)の条件であ
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 放心(ほうしん)と無邪気とは余裕を示す。余裕は()において、詩において、もしくは文章において、必須(ひっすう)の条件である。今代芸術(きんだいげいじゅつ)の一大弊竇(へいとう)は、いわゆる文明の潮流が、いたずらに芸術の士を駆って、拘々(くく)として随処に齷齪(あくそく)たらしむるにある。裸体画はその好例であろう。都会に芸妓(げいぎ)と云うものがある。色を売りて、人に()びるを商売にしている。彼らは嫖客(ひょうかく)に対する時、わが容姿のいかに相手の瞳子(ひとみ)に映ずるかを顧慮(こりょ)するのほか、何らの表情をも発揮(はっき)し得ぬ。年々に見るサロンの目録はこの芸妓に似たる裸体美人を以て充満している。彼らは一秒時も、わが裸体なるを忘るる(あた)わざるのみならず、全身の筋肉をむずつかして、わが裸体なるを観者に示さんと(つと)めている。
 今余が面前に(ひょうてい)と現われたる姿には、一塵もこの俗埃(ぞくあい)の眼に(さえ)ぎるものを帯びておらぬ。常の人の(まと)える衣装(いしょう)を脱ぎ捨てたる(さま)と云えばすでに人界(にんがい)堕在(だざい)する。始めより着るべき服も、振るべき袖も、あるものと知らざる神代(かみよ)の姿を雲のなかに呼び起したるがごとく自然である。
 室を(うず)むる湯煙は、埋めつくしたる(あと)から、絶えず()き上がる。春の()()を半透明に(くず)し拡げて、部屋一面の虹霓(にじ)の世界が(こまや)かに揺れるなかに、朦朧(もうろう)と、黒きかとも思わるるほどの髪を(ぼか)して、真白な姿が雲の底から次第に浮き上がって来る。その輪廓(りんかく)を見よ。
 頸筋(くびすじ)(かろ)く内輪に、双方から責めて、苦もなく肩の方へなだれ落ちた線が、豊かに、丸く折れて、流るる末は五本の指と(わか)れるのであろう。ふっくらと浮く二つの乳の下には、しばし引く波が、また(なめ)らかに盛り返して下腹の張りを安らかに見せる。張る(いきおい)(うし)ろへ抜いて、勢の尽くるあたりから、分れた肉が平衡を保つために少しく前に(かたむ)く。(ぎゃく)に受くる膝頭(ひざがしら)のこのたびは、立て直して、長きうねりの(かかと)につく頃、(ひら)たき足が、すべての葛藤(かっとう)を、二枚の(あしのうら)に安々と始末する。世の中にこれほど錯雑(さくざつ)した配合はない、これほど統一のある配合もない。これほど自然で、これほど(やわ)らかで、これほど抵抗の少い、これほど苦にならぬ輪廓は決して見出せぬ。
 しかもこの姿は普通の裸体のごとく露骨に、余が眼の前に突きつけられてはおらぬ。すべてのものを幽玄に化する一種の霊氛(れいふん)のなかに髣髴(ほうふつ)として、十分(じゅうぶん)の美を奥床(おくゆか)しくもほのめかしているに過ぎぬ。片鱗(へんりん)溌墨淋漓(はつぼくりんり)(あいだ)に点じて、(きゅうりょう)(かい)を、楮毫(ちょごう)のほかに想像せしむるがごとく、芸術的に観じて申し分のない、空気と、あたたかみと、(めいばく)なる調子とを(そな)えている。六々三十六(りん)を丁寧に描きたる(りゅう)の、滑稽(こっけい)に落つるが事実ならば、赤裸々(せきらら)の肉を浄洒々(じょうしゃしゃ)に眺めぬうちに神往の余韻(よいん)はある。余はこの輪廓の眼に落ちた時、(かつら)(みやこ)を逃れた月界(げっかい)嫦娥(じょうが)が、彩虹(にじ)追手(おって)に取り囲まれて、しばらく躊躇(ちゅうちょ)する姿と(なが)めた。
 輪廓は次第に白く浮きあがる。今一歩を踏み出せば、せっかくの嫦娥(じょうが)が、あわれ、俗界に堕落するよと思う刹那(せつな)に、緑の髪は、波を切る霊亀(れいき)の尾のごとくに風を起して、(ぼう)(なび)いた。渦捲(うずま)く煙りを(つんざ)いて、白い姿は階段を飛び上がる。ホホホホと鋭どく笑う女の声が、廊下に響いて、静かなる風呂場を次第に(むこう)遠退(とおの)く。余はがぶりと湯を()んだまま(ふね)の中に突立(つった)つ。驚いた波が、胸へあたる。(ふち)を越す湯泉()の音がさあさあと鳴る。

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