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草枕 八(1)

时间: 2021-02-22    进入日语论坛
核心提示: 御茶の御馳走(ごちそう)になる。相客(あいきゃく)は僧一人、観海寺(かんかいじ)の和尚(おしょう)で名は大徹(だいてつ)と云うそ
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 御茶の御馳走(ごちそう)になる。相客(あいきゃく)は僧一人、観海寺(かんかいじ)和尚(おしょう)で名は大徹(だいてつ)と云うそうだ。(ぞく)一人、二十四五の若い男である。
 老人の部屋は、余が(しつ)の廊下を右へ突き当って、左へ折れた()(どま)りにある。(おおき)さは六畳もあろう。大きな紫檀(したん)の机を真中に()えてあるから、思ったより狭苦しい。それへと云う席を見ると、布団(ふとん)の代りに花毯(かたん)が敷いてある。無論支那製だろう。真中を六角に仕切(しき)って、妙な家と、妙な柳が織り出してある。周囲(まわり)は鉄色に近い(あい)で、四隅(よすみ)唐草(からくさ)の模様を飾った茶の()を染め抜いてある。支那ではこれを座敷に用いたものか疑わしいが、こうやって布団に代用して見るとすこぶる面白い。印度(インド)更紗(さらさ)とか、ペルシャの壁掛(かべかけ)とか号するものが、ちょっと()が抜けているところに価値があるごとく、この花毯もこせつかないところに(おもむき)がある。花毯ばかりではない、すべて支那の器具は皆抜けている。どうしても馬鹿で気の長い人種の発明したものとほか取れない。見ているうちに、ぼおっとするところが(とう)とい。日本は巾着切(きんちゃくき)りの態度で美術品を作る。西洋は大きくて(こま)かくて、そうしてどこまでも娑婆気(しゃばっけ)がとれない。まずこう考えながら席に着く。若い男は余とならんで、花毯の(なかば)を占領した。
 和尚は虎の皮の上へ坐った。虎の皮の尻尾が余の(ひざ)の傍を通り越して、頭は老人の(しり)の下に敷かれている。老人は頭の毛をことごとく抜いて、頬と(あご)へ移植したように、白い(ひげ)をむしゃむしゃと()やして、茶托(ちゃたく)()せた茶碗を丁寧に机の上へならべる。
今日(きょう)は久し振りで、うちへ御客が見えたから、御茶を上げようと思って、……」と坊さんの方を向くと、
「いや、御使(おつかい)をありがとう。わしも、だいぶ御無沙汰(ごぶさた)をしたから、今日ぐらい来て見ようかと思っとったところじゃ」と云う。この僧は六十近い、丸顔の、達磨(だるま)草書(そうしょ)(くず)したような容貌(ようぼう)を有している。老人とは平常(ふだん)からの昵懇(じっこん)と見える。
「この(かた)が御客さんかな」
 老人は首肯(うなずき)ながら、朱泥(しゅでい)急須(きゅうす)から、緑を含む琥珀色(こはくいろ)玉液(ぎょくえき)を、二三滴ずつ、茶碗の底へしたたらす。清い(かお)りがかすかに鼻を(おそ)う気分がした。
「こんな田舎(いなか)一人(ひとり)では御淋(おさみ)しかろ」と和尚(おしょう)はすぐ余に話しかけた。
「はああ」となんともかとも要領を得ぬ返事をする。(さび)しいと云えば、(いつわ)りである。淋しからずと云えば、長い説明が入る。
「なんの、和尚さん。このかたは()を書かれるために来られたのじゃから、御忙(おいそ)がしいくらいじゃ」
「おお左様(さよう)か、それは結構だ。やはり南宗派(なんそうは)かな」
「いいえ」と今度は答えた。西洋画だなどと云っても、この和尚にはわかるまい。
「いや、例の西洋画じゃ」と老人は、主人役に、また半分引き受けてくれる。

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