「どの青磁を――うん、あの菓子鉢かな。あれは、わしも好じゃ。時にあなた、西洋画では襖などはかけんものかな。かけるなら一つ頼みたいがな」
かいてくれなら、かかぬ事もないが、この和尚の気に入るか入らぬかわからない。せっかく骨を折って、西洋画は駄目だなどと云われては、骨の折栄がない。
「襖には向かないでしょう」
「向かんかな。そうさな、この間の久一さんの画のようじゃ、少し派手過ぎるかも知れん」
「私のは駄目です。あれはまるでいたずらです」と若い男はしきりに、恥かしがって謙遜する。
「その何とか云う池はどこにあるんですか」と余は若い男に念のため尋ねて置く。
「ちょっと観海寺の裏の谷の所で、幽邃な所です。――なあに学校にいる時分、習ったから、退屈まぎれに、やって見ただけです」
「観海寺と云うと……」
「観海寺と云うと、わしのいる所じゃ。いい所じゃ、海を一目に見下しての――まあ逗留中にちょっと来て御覧。なに、ここからはつい五六丁よ。あの廊下から、そら、寺の石段が見えるじゃろうが」
「いつか御邪魔に上ってもいいですか」
「ああいいとも、いつでもいる。ここの御嬢さんも、よう、来られる。――御嬢さんと云えば今日は御那美さんが見えんようだが――どうかされたかな、隠居さん」
「どこぞへ出ましたかな、久一、御前の方へ行きはせんかな」
「いいや、見えません」
「また独り散歩かな、ハハハハ。御那美さんはなかなか足が強い。この間法用で礪並まで行ったら、姿見橋の所で――どうも、善く似とると思ったら、御那美さんよ。尻を端折って、草履を穿いて、和尚さん、何をぐずぐず、どこへ行きなさると、いきなり、驚ろかされたて、ハハハハ。御前はそんな形姿で地体どこへ、行ったのぞいと聴くと、今芹摘みに行った戻りじゃ、和尚さん少しやろうかと云うて、いきなりわしの袂へ泥だらけの芹を押し込んで、ハハハハハ」
「どうも、……」と老人は苦笑いをしたが、急に立って「実はこれを御覧に入れるつもりで」と話をまた道具の方へそらした。
老人が紫檀の書架から、恭しく取り下した紋緞子の古い袋は、何だか重そうなものである。
「和尚さん、あなたには、御目に懸けた事があったかな」
「なんじゃ、一体」
「硯よ」
「へえ、どんな硯かい」
「山陽の愛蔵したと云う……」
「いいえ、そりゃまだ見ん」
「春水の替え蓋がついて……」
「そりゃ、まだのようだ。どれどれ」
老人は大事そうに緞子の袋の口を解くと、小豆色の四角な石が、ちらりと角を見せる。
「いい色合じゃのう。端渓かい」
「端渓で眼が九つある」
「九つ?」と和尚大に感じた様子である。
「これが春水の替え蓋」と老人は綸子で張った薄い蓋を見せる。上に春水の字で七言絶句が書いてある。
「なるほど。春水はようかく。ようかくが、書は杏坪の方が上手じゃて」
「やはり杏坪の方がいいかな」
「山陽が一番まずいようだ。どうも才子肌で俗気があって、いっこう面白うない」
「ハハハハ。和尚さんは、山陽が嫌いだから、今日は山陽の幅を懸け替えて置いた」