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草枕 八(4)

时间: 2021-02-22    进入日语论坛
核心提示:「ほんに」と和尚さんは後(うし)ろを振り向く。床(とこ)は平床(ひらどこ)を鏡のようにふき込んで、気(さびけ)を吹いた古銅瓶(こ
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「ほんに」と和尚さんは(うし)ろを振り向く。(とこ)平床(ひらどこ)を鏡のようにふき込んで、(さびけ)を吹いた古銅瓶(こどうへい)には、木蘭(もくらん)を二尺の高さに、()けてある。(じく)は底光りのある古錦襴(こきんらん)に、装幀(そうてい)工夫(くふう)()めた物徂徠(ぶっそらい)大幅(たいふく)である。絹地ではないが、多少の時代がついているから、字の巧拙に論なく、紙の色が周囲のきれ地とよく調和して見える。あの錦襴も織りたては、あれほどのゆかしさも無かったろうに、彩色(さいしき)()せて、金糸(きんし)が沈んで、華麗(はで)なところが()り込んで、渋いところがせり出して、あんないい調子になったのだと思う。焦茶(こげちゃ)砂壁(すなかべ)に、白い象牙(ぞうげ)(じく)際立(きわだ)って、両方に突張っている、手前に例の木蘭がふわりと浮き出されているほかは、(とこ)全体の(おもむき)は落ちつき過ぎてむしろ陰気である。
徂徠(そらい)かな」と和尚(おしょう)が、首を向けたまま云う。
「徂徠もあまり、御好きでないかも知れんが、山陽よりは善かろうと思うて」
「それは徂徠の方が(はる)かにいい。享保(きょうほ)頃の学者の字はまずくても、どこぞに(ひん)がある」
広沢(こうたく)をして日本の能書(のうしょ)ならしめば、われはすなわち漢人の(せつ)なるものと云うたのは、徂徠だったかな、和尚さん」
「わしは知らん。そう威張(いば)るほどの字でもないて、ワハハハハ」
「時に和尚さんは、誰を習われたのかな」
「わしか。禅坊主(ぜんぼうず)は本も読まず、手習(てならい)もせんから、のう」
「しかし、誰ぞ習われたろう」
「若い時に高泉(こうせん)の字を、少し稽古(けいこ)した事がある。それぎりじゃ。それでも人に頼まれればいつでも、書きます。ワハハハハ。時にその端渓(たんけい)を一つ御見せ」と和尚が催促する。
 とうとう緞子(どんす)の袋を取り()ける。一座の視線はことごとく(すずり)の上に落ちる。厚さはほとんど二寸に近いから、通例のものの倍はあろう。四寸に六寸の幅も長さもまず(なみ)と云ってよろしい。(ふた)には、(うろこ)のかたに(みが)きをかけた松の皮をそのまま用いて、上には朱漆(しゅうるし)で、わからぬ書体が二字ばかり書いてある。
「この蓋が」と老人が云う。「この蓋が、ただの蓋ではないので、御覧の通り、松の皮には相違ないが……」
 老人の眼は余の方を見ている。しかし松の皮の蓋にいかなる因縁(いんねん)があろうと、画工として余はあまり感服は出来んから、
「松の蓋は少し俗ですな」
と云った。老人はまあと云わぬばかりに手を()げて、
「ただ松の蓋と云うばかりでは、俗でもあるが、これはその何ですよ。山陽(さんよう)が広島におった時に庭に生えていた松の皮を()いで山陽が手ずから製したのですよ」
 なるほど山陽(さんよう)は俗な男だと思ったから、
「どうせ、自分で作るなら、もっと不器用に作れそうなものですな。わざとこの(うろこ)のかたなどをぴかぴか()ぎ出さなくっても、よさそうに思われますが」と遠慮のないところを云って退()けた。
「ワハハハハ。そうよ、この(ふた)はあまり安っぽいようだな」と和尚(おしょう)はたちまち余に賛成した。

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