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草枕 十(4)

时间: 2021-02-22    进入日语论坛
核心提示:「いいえ、去年亡(な)くなりました」「ふん」と余は煙草の吸殻(すいがら)から細い煙の立つのを見て、口を閉じた。源兵衛は薪(ま
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「いいえ、去年()くなりました」
「ふん」と余は煙草の吸殻(すいがら)から細い煙の立つのを見て、口を閉じた。源兵衛は(まき)()にして去る。
 ()をかきに来て、こんな事を考えたり、こんな話しを聴くばかりでは、何日(いくにち)かかっても一枚も出来っこない。せっかく絵の具箱まで持ち出した以上、今日は義理にも下絵(したえ)をとって行こう。(さいわい)、向側の景色は、あれなりで略纏(ほぼまと)まっている。あすこでも(もう)(わけ)にちょっと()こう。
 一丈余りの蒼黒(あおぐろ)い岩が、真直(まっすぐ)に池の底から突き出して、()き水の折れ曲る(かど)に、嵯々(ささ)と構える右側には、例の熊笹(くまざさ)断崖(だんがい)の上から水際(みずぎわ)まで、一寸(いっすん)隙間(すきま)なく叢生(そうせい)している。上には三抱(みかかえ)ほどの大きな松が、若蔦(わかづた)にからまれた幹を、(なな)めに(ねじ)って、半分以上水の(おもて)へ乗り出している。鏡を(ふところ)にした女は、あの岩の上からでも飛んだものだろう。
 三脚几(さんきゃくき)(しり)()えて、面画に入るべき材料を見渡す。松と、笹と、岩と水であるが、さて水はどこでとめてよいか分らぬ。岩の高さが一丈あれば、影も一丈ある。熊笹は、水際でとまらずに、水の中まで茂り込んでいるかと(あやし)まるるくらい、(あざ)やかに水底まで写っている。松に至っては空に(そび)ゆる高さが、見上げらるるだけ、影もまたすこぶる細長い。眼に写っただけの寸法ではとうてい(おさま)りがつかない。一層(いっそ)の事、実物をやめて影だけ描くのも一興だろう。水をかいて、水の中の影をかいて、そうして、これが画だと人に見せたら驚ろくだろう。しかしただ驚ろかせるだけではつまらない。なるほど画になっていると驚かせなければつまらない。どう工夫(くふう)をしたものだろうと、一心に池の(おも)を見詰める。
 奇体なもので、影だけ(なが)めていてはいっこう画にならん。実物と見比べて工夫がして見たくなる。余は水面から(ひとみ)を転じて、そろりそろりと上の方へ視線を移して行く。一丈の(いわお)を、影の先から、水際の継目(つぎめ)まで眺めて、継目から次第に水の上に出る。潤沢(じゅんたく)気合(けあい)から、皴皺(しゅんしゅ)の模様を逐一(ちくいち)吟味(ぎんみ)してだんだんと登って行く。ようやく登り詰めて、余の双眼(そうがん)が今危巌(きがん)(いただ)きに達したるとき、余は(へび)(にら)まれた(ひき)のごとく、はたりと画筆(えふで)を取り落した。
 (みど)りの枝を通す夕日を背に、暮れんとする晩春の蒼黒く巌頭を(いろ)どる中に、楚然(そぜん)として織り出されたる女の顔は、――花下(かか)に余を驚かし、まぼろしに余を驚ろかし、振袖(ふりそで)に余を驚かし、風呂場に余を驚かしたる女の顔である。
 余が視線は、蒼白(あおじろ)き女の顔の真中(まんなか)にぐさと釘付(くぎづ)けにされたぎり動かない。女もしなやかなる体躯(たいく)()せるだけ伸して、高い(いわお)の上に一指も動かさずに立っている。この一刹那(いっせつな)
 余は覚えず飛び上った。女はひらりと身をひねる。帯の間に椿の花の如く赤いものが、ちらついたと思ったら、すでに向うへ飛び下りた。夕日は樹梢(じゅしょう)(かす)めて、(かす)かに松の幹を染むる。熊笹はいよいよ青い。
 また驚かされた。


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