山門を入る事一歩にして、古き世の緑りが、急に左右から肩を襲う。自然石の形状乱れたるを幅一間に行儀よく並べて、錯落と平らかに敷き詰めたる径に落つる足音は、甲野さんと宗近君の足音だけである。
一条の径の細く直なるを行き尽さざる此方から、石に眼を添えて遥かなる向うを極むる行き当りに、仰げば伽藍がある。木賊葺の厚板が左右から内輪にうねって、大なる両の翼を、険しき一本の背筋にあつめたる上に、今一つ小さき家根が小さき翼を伸して乗っかっている。風抜きか明り取りかと思われる。甲野さんも、宗近君もこの精舎を、もっとも趣きある横側の角度から同時に見上げた。
「明かだ」と甲野さんは杖を停めた。
「あの堂は木造でも容易に壊す事が出来ないように見える」
「つまり恰好が旨くそう云う風に出来てるんだろう。アリストートルのいわゆる理形に適ってるのかも知れない」
「だいぶむずかしいね。――アリストートルはどうでも構わないが、この辺の寺はどれも、一種妙な感じがするのは奇体だ」
「舟板塀趣味や御神灯趣味とは違うさ。夢窓国師が建てたんだもの」
「あの堂を見上げて、ちょっと変な気になるのは、つまり夢窓国師になるんだな。ハハハハ。夢窓国師も少しは話せらあ」
「夢窓国師や大燈国師になるから、こんな所を逍遥する価値があるんだ。ただ見物したって何になるもんか」
「夢窓国師も家根になって明治まで生きていれば結構だ。安直な銅像よりよっぽどいいね」
「そうさ、一目瞭然だ」
「何が」
「何がって、この境内の景色がさ。ちっとも曲っていない。どこまでも明らかだ」