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虞美人草 六 (1)

时间: 2021-03-29    进入日语论坛
核心提示: 丸顔に愁(うれい)少し、颯(さっ)と映(うつ)る襟地(えりじ)の中から薄鶯(うすうぐいす)の蘭(らん)の花が、幽(かすか)なる香(か)
(单词翻译:双击或拖选)
 丸顔に(うれい)少し、(さっ)(うつ)襟地(えりじ)の中から薄鶯(うすうぐいす)(らん)の花が、(かすか)なる()を肌に吐いて、着けたる人の胸の上にこぼれかかる。糸子(いとこ)はこんな女である。
 人に示すときは指を用いる。四つを(たなごころ)に折って、余る第二指のありたけにあれぞと()す時、指す手はただ一筋の(まぎ)れなく明らかである。五本の指をあれ見よとことごとく伸ばすならば、西東は当るとも、当ると思わるる感じは鈍くなる。糸子は五指を並べたような女である。受ける感じが間違っているとは云えぬ。しかし変だ。物足らぬとは指点()す指の短かきに過ぐる場合を云う。足り余るとは指点()す指の長きに失する時であろう。糸子は五指を同時に並べたような女である。足るとも云えぬ。足り余るとも評されぬ。
 人に指点()す指の、(ほっ)そりと爪先(つまさき)に肉を落すとき、明かなる感じは次第に爪先に集まって焼点(しょうてん)構成(かたちづく)る。藤尾(ふじお)の指は爪先の(べに)を抜け出でて縫針の()がれるに終る。見るものの眼は一度に痛い。要領を得ぬものは橋を渡らぬ。要領を得過ぎたものは欄干(らんかん)を渡る。欄干を渡るものは水に落ちる恐れがある。
 藤尾と糸子は六畳の座敷で五指と針の先との戦争をしている。すべての会話は戦争である。女の会話はもっとも戦争である。
「しばらく御目に(かか)りませんね。よくいらしった事」と藤尾は主人役に云う。
「父一人で忙がしいものですから、つい御無沙汰(ごぶさた)をして……」
「博覧会へもいらっしゃらないの」
「いいえ、まだ」
向島(むこうじま)は」
「まだどこへも行かないの」
 (うち)にばかりいて、よくこう満足していられると藤尾が思う。――糸子の眼尻には答えるたびに笑の影が()す。
「そんなに御用が御在(おあ)りなの」
「なに大した用じゃないんですけれども……」
 糸子の答は大概半分で切れてしまう。
「少しは出ないと毒ですよ。春は一年に一度しか来ませんわ」
「そうね。わたしもそう思ってるんですけれども……」
「一年に一度だけれども、死ねば今年ぎりじゃあありませんか」
「ホホホホ死んじゃつまらないわね」

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