丸顔に愁少し、颯と映る襟地の中から薄鶯の蘭の花が、幽なる香を肌に吐いて、着けたる人の胸の上にこぼれかかる。糸子はこんな女である。
人に示すときは指を用いる。四つを掌に折って、余る第二指のありたけにあれぞと指す時、指す手はただ一筋の紛れなく明らかである。五本の指をあれ見よとことごとく伸ばすならば、西東は当るとも、当ると思わるる感じは鈍くなる。糸子は五指を並べたような女である。受ける感じが間違っているとは云えぬ。しかし変だ。物足らぬとは指点す指の短かきに過ぐる場合を云う。足り余るとは指点す指の長きに失する時であろう。糸子は五指を同時に並べたような女である。足るとも云えぬ。足り余るとも評されぬ。
人に指点す指の、細そりと爪先に肉を落すとき、明かなる感じは次第に爪先に集まって焼点を構成る。藤尾の指は爪先の紅を抜け出でて縫針の尖がれるに終る。見るものの眼は一度に痛い。要領を得ぬものは橋を渡らぬ。要領を得過ぎたものは欄干を渡る。欄干を渡るものは水に落ちる恐れがある。
藤尾と糸子は六畳の座敷で五指と針の先との戦争をしている。すべての会話は戦争である。女の会話はもっとも戦争である。
「しばらく御目に懸りませんね。よくいらしった事」と藤尾は主人役に云う。
「父一人で忙がしいものですから、つい御無沙汰をして……」
「博覧会へもいらっしゃらないの」
「いいえ、まだ」
「向島は」
「まだどこへも行かないの」
宅にばかりいて、よくこう満足していられると藤尾が思う。――糸子の眼尻には答えるたびに笑の影が翳す。
「そんなに御用が御在りなの」
「なに大した用じゃないんですけれども……」
糸子の答は大概半分で切れてしまう。
「少しは出ないと毒ですよ。春は一年に一度しか来ませんわ」
「そうね。わたしもそう思ってるんですけれども……」
「一年に一度だけれども、死ねば今年ぎりじゃあありませんか」
「ホホホホ死んじゃつまらないわね」