二人の会話は互に、死と云う字を貫いて、左右に飛び離れた。上野は浅草へ行く路である。同時に日本橋へ行く路である。藤尾は相手を墓の向側へ連れて行こうとした。相手は墓に向側のある事さえ知らなかった。
「今に兄が御嫁でも貰ったら、出てあるきますわ」と糸子が云う。家庭的の婦女は家庭的の答えをする。男の用を足すために生れたと覚悟をしている女ほど憐れなものはない。藤尾は内心にふんと思った。この眼は、この袖は、この詩とこの歌は、鍋、炭取の類ではない。美くしい世に動く、美しい影である。実用の二字を冠らせられた時、女は――美くしい女は――本来の面目を失って、無上の侮辱を受ける。
「一さんは、いつ奥さんを御貰いなさるおつもりなんでしょう」と話しだけは上滑をして前へ進む。糸子は返事をする前に顔を揚げて藤尾を見た。戦争はだんだん始まって来る。
「いつでも、来て下さる方があれば貰うだろうと思いますの」
今度は藤尾の方で、返事をする前に糸子を眤と見る。針は真逆の用意に、なかなか瞳の中には出て来ない。
「ホホホホどんな立派な奥さんでも、すぐ出来ますわ」
「本当にそうなら、いいんですが」と糸子は半分ほど裏へ絡まってくる。藤尾はちょっと逃げて置く必要がある。
「どなたか心当りはないんですか。一さんが貰うときまれば本気に捜がしますよ」
黐竿は届いたか、届かないか、分らぬが、鳥は確かに逃げたようだ。しかしもう一歩進んで見る必要がある。
「ええ、どうぞ捜がしてちょうだい、私の姉さんのつもりで」
糸子は際どいところを少し出過ぎた。二十世紀の会話は巧妙なる一種の芸術である。出ねば要領を得ぬ。出過ぎるとはたかれる。
「あなたの方が姉さんよ」と藤尾は向うで入れる捜索の綱を、ぷつりと切って、逆さまに投げ帰した。糸子はまだ悟らぬ。
「なぜ?」と首を傾ける。
放つ矢のあたらぬはこちらの不手際である。あたったのに手答もなく装わるるは不器量である。女は不手際よりは不器量を無念に思う。藤尾はちょっと下唇を噛んだ。ここまで推して来て停まるは、ただ勝つ事を知る藤尾には出来ない。
「あなたは私の姉さんになりたくはなくって」と、素知らぬ顔で云う。
「あらっ」と糸子の頬に吾を忘れた色が出る。敵はそれ見ろと心の中で冷笑って引き上げる。
甲野さんと宗近君と相談の上取りきめた格言に云う。――第一義において活動せざるものは肝胆相照らすを得ずと。両人の妹は肝胆の外廓で戦争をしている。肝胆の中に引き入れる戦争か、肝胆の外に追っ払う戦争か。哲学者は二十世紀の会話を評して肝胆相曇らす戦争と云った。