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虞美人草 六 (3)

时间: 2021-03-29    进入日语论坛
核心提示: ところへ小野さんが来る。小野さんは過去に追い懸(か)けられて、下宿の部屋のなかをぐるぐると廻った。何度廻っても逃げ延びら
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 ところへ小野さんが来る。小野さんは過去に追い()けられて、下宿の部屋のなかをぐるぐると廻った。何度廻っても逃げ延びられそうもない時、過去の友達に逢って、過去と現在との調停を試みた。調停は出来たような、出来ないような訳で、自己は依然として不安の状態にある。度胸を据えて、追っ懸けてくるものを()(つかま)える勇気は無論ない。小野さんはやむを得ず、未来を望んで()け込んで来た。袞竜(こんりょう)の袖に隠れると云う(ことわざ)がある。小野さんは未来の袖に隠れようとする。
 小野さんは蹌々踉々(そうそうろうろう)として来た。ただ蹌々踉々の意味を説明しがたいのが残念である。
「どうか、なすったの」と藤尾が聞いた。小野さんは心配の上に()せる従容(しょうよう)の紋付を、まだ(あつら)えていない。二十世紀の人は皆この紋付(もんつき)を二三着ずつ用意すべしと先の哲学者が述べた事がある。
「大変御顔の色が悪い事ね」と糸子が云った。便(たよ)る未来が(ほこ)(さかし)まにして、過去をほじり出そうとするのは(なさ)けない。
「二三日寝られないんです」
「そう」と藤尾が云う。
「どう、なすって」と糸子が聞く。
「近頃論文を書いていらっしゃるの。――ねえそれででしょう」と藤尾が答弁と質問を兼ねた言葉使いをする。
「ええ」と小野さんは渡りに舟の返事をした。小野さんは、どんな舟でも御乗んなさいと云われれば、乗らずにはいられない。大抵(たいてい)(うそ)渡頭(ととう)の舟である。あるから乗る。
「そう」と糸子は軽く答える。いかなる論文を書こうと家庭的の女子は関係しない。家庭的の女子はただ顔色の悪いところだけが気にかかる。
「卒業なすっても御忙いのね」
「卒業して銀時計を御頂きになったから、これから論文で金時計を御取りになるんですよ」
「結構ね」
「ねえ、そうでしょう。ねえ、小野さん」
 小野さんは微笑した。
「それじゃ、兄やこちらの欽吾(きんご)さんといっしょに京都へ遊びにいらっしゃらないはずね。――兄なんぞはそりゃ呑気(のんき)よ。少し寝られなくなればいいと思うわ」
「ホホホホそれでも(うち)の兄より好いでしょう」
「欽吾さんの方がいくら好いか分かりゃしない」と糸子さんは、半分無意識に言って退()けたが、急に気がついて、羽二重(はぶたえ)手巾(ハンケチ)を膝の上でくちゃくちゃに丸めた。
「ホホホホ」

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