「大変御急ぎだ事」
「なに、面白く伺ってるのよ。それからその五重の塔がどうかするの」
五重の塔がどうもする訳はない。刺身を眺めただけで台所へ下げる人もある。五重の塔をどうかしたがる連中は、刺身を食わなければ我慢の出来ぬように教育された実用主義の人間である。
「それじゃ五重の塔はやめましょう」
「面白いんですよ。五重の塔が面白いのよ。ねえ小野さん」
御機嫌に逆った時は、必ず人をもって詫を入れるのが世間である。女王の逆鱗は鍋、釜、味噌漉の御供物では直せない。役にも立たぬ五重の塔を霞のうちに腫物のように安置しなければならぬ。
「五重の塔はそれっきりよ。五重の塔がどうするものですかね」
藤尾の眉はぴくりと動いた。糸子は泣きたくなる。
「御気に障ったの――私が悪るかったわ。本当に五重の塔は面白いのよ。御世辞じゃない事よ」
針鼠は撫でれば撫でるほど針を立てる。小野さんは、破裂せぬ前にどうかしなければならぬ。
五重の塔を持ち出せばなお怒られる。琴の音は自分に取って禁物である。小野さんはどうして調停したら好かろうかと考えた。話が京都を離れれば自分には好都合だが、むやみに縁のない離し方をすると、糸子さん同様に軽蔑を招く。向うの話題に着いて廻って、しかも自分に苦痛のないように発展させなければならぬ。銀時計の手際ではちとむずかし過ぎるようだ。
「小野さん、あなたには分るでしょう」と藤尾の方から切って出る。糸子は分らず屋として取り除けられた。女二人を調停するのは眼の前に快からぬ言葉の果し合を見るのが厭だからである。文錦やさしき眉に切り結ぶ火花の相手が、相手にならぬと見下げられれば、手を出す必要はない。取除者を仲間に入れてやる親切は、取除者の方で、うるさく絡ってくる時に限る。おとなしくさえしていれば、取り除けられようが、見下げられようが、当分自分の利害には関係せぬ。小野さんは糸子を眼中に置く必要がなくなった。切って出た藤尾にさえ調子を合せていれば間違はない。
「分りますとも。――詩の命は事実より確かです。しかしそう云う事が分らない人が世間にはだいぶありますね」と云った。小野さんは糸子を軽蔑する料簡ではない、ただ藤尾の御機嫌に重きを置いたまでである。しかもその答は真理である。ただ弱いものにつらく当る真理である。小野さんは詩のために愛のためにそのくらいの犠牲をあえてする。道義は弱いものの頭に耀かず、糸子は心細い気がした。藤尾の方はようやく胸が隙く。