謎の女は宗近家へ乗り込んで来る。謎の女のいる所には波が山となり炭団が水晶と光る。禅家では柳は緑花は紅と云う。あるいは雀はちゅちゅで烏はかあかあとも云う。謎の女は烏をちゅちゅにして、雀をかあかあにせねばやまぬ。謎の女が生れてから、世界が急にごたくさになった。謎の女は近づく人を鍋の中へ入れて、方寸の杉箸に交ぜ繰り返す。芋をもって自からおるものでなければ、謎の女に近づいてはならぬ。謎の女は金剛石のようなものである。いやに光る。そしてその光りの出所が分らぬ。右から見ると左に光る。左から見ると右に光る。雑多な光を雑多な面から反射して得意である。神楽の面には二十通りほどある。神楽の面を発明したものは謎の女である。――謎の女は宗近家へ乗り込んでくる。
真率なる快活なる宗近家の大和尚は、かく物騒な女が天が下に生を享けて、しきりに鍋の底を攪き廻しているとは思いも寄らぬ。唐木の机に唐刻の法帖を乗せて、厚い坐布団の上に、信濃の国に立つ煙、立つ煙と、大きな腹の中から鉢の木を謡っている。謎の女はしだいに近づいてくる。
悲劇マクベスの妖婆は鍋の中に天下の雑物を攫い込んだ。石の影に三十日の毒を人知れず吹く夜の蟇と、燃ゆる腹を黒き背に蔵す蠑の胆と、蛇の眼と蝙蝠の爪と、――鍋はぐらぐらと煮える。妖婆はぐるりぐるりと鍋を廻る。枯れ果てて尖れる爪は、世を咀う幾代の錆に瘠せ尽くしたる鉄の火箸を握る。煮え立った鍋はどろどろの波を泡と共に起す。――読む人は怖ろしいと云う。
それは芝居である。謎の女はそんな気味の悪い事はせぬ。住むは都である。時は二十世紀である。乗り込んで来るのは真昼間である。鍋の底からは愛嬌が湧いて出る。漾うは笑の波だと云う。攪き淆ぜるのは親切の箸と名づける。鍋そのものからが品よく出来上っている。謎の女はそろりそろりと攪き淆ぜる。手つきさえ能掛である。大和尚の怖がらぬのも無理はない。