「阿爺のものばかり縫って、ちっとも兄さんには縫ってくれないね。狐の袖無以後御見限りだね」
「あらいやだ。あんな嘘ばかり。今着ていらっしゃるのも縫って上げたんだわ」
「これかい。これはもう駄目だ。こらこの通り」
「おや、ひどい襟垢だ事、こないだ着たばかりだのに――兄さんは膏が多過ぎるんですよ」
「何が多過ぎても、もう駄目だよ」
「じゃこれを縫い上げたら、すぐ縫って上げましょう」
「新らしいんだろうね」
「ええ、洗って張ったの」
「あの親父の拝領ものか。ハハハハ。時に糸公不思議な事があるがね」
「何が」
「阿爺は年寄の癖に新らしいものばかり着て、年の若いおれには御古ばかり着せたがるのは、少し妙だよ。この調子で行くとしまいには自分でパナマの帽子を被って、おれには物置にある陣笠をかぶれと云うかも知れない」
「ホホホホ兄さんは随分口が達者ね」
「達者なのは口だけか。可哀想に」
「まだ、あるのよ」
宗近君は返事をやめて、欄干の隙間から庭前の植込を頬杖に見下している。
「まだあるのよ。一寸」と針を離れぬ糸子の眼は、左の手につんと撮んだ合せ目を、見る間に括けて来て、いざと云う指先を白くふっくらと放した時、ようやく兄の顔を見る。
「まだあるのよ。兄さん」
「何だい。口だけでたくさんだよ」
「だって、まだあるんですもの」と針の針孔を障子へ向けて、可愛らしい二重瞼を細くする。宗近君は依然として長閑な心を頬杖に託して庭を眺めている。
「云って見ましょうか」
「う。うん」
下顎は頬杖で動かす事が出来ない。返事は咽喉から鼻へ抜ける。
「あし。分ったでしょう」
「う。うん」