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虞美人草 十一 (5)

时间: 2021-04-16    进入日语论坛
核心提示: 湿(うるお)えるは、一抹(いちまつ)に岸を伸(の)して、明かに向側(むこうがわ)へ渡る。行く道に横(よこた)わるすべてのものを染
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 湿(うるお)えるは、一抹(いちまつ)に岸を()して、明かに向側(むこうがわ)へ渡る。行く道に(よこた)わるすべてのものを染め尽してやまざるを、ぷつりと()って長い橋を西から東へ()ける。白い石に野羽玉(ぬばたま)の波を(また)ぐアーチの数は二十、欄に盛る擬宝珠(ぎぼしゅ)はことごとく夜を照らす白光の(たま)である。
「空より水の方が奇麗よ」と注意した糸子の声に連れて、残る三人の眼はことごとく水と橋とに(あつま)った。一間ごとに高く石欄干を照らす電光が、遠きこちらからは、行儀よく一列に(くう)に懸って見える。下をぞろぞろ人が通る。
「あの橋は人で(うま)っている」
と宗近君が大きな声を出した。
 小野さんは孤堂(こどう)先生と小夜子(さよこ)を連れて今この橋を通りつつある。驚ろかんとあせる群集は弁天の(やしろ)を抜けて()して来る。(むこう)(おか)を下りて圧して来る。東西南北の人は広い森と、広い池の周囲(まわり)を捨ててことごとく細長い橋の上に集まる。橋の上は動かれぬ。真中に弓張を高く差し上げて、巡査が来る人と往く人を左へ右へと制している。来る人も往く人もただ()まれて通る。足を地に落す暇はない。楽に踏む余地を尺寸(せきすん)に見出して、安々と(かかと)を着ける心持がやっと有ったなと思ううち、もう(うし)ろから前へ押し出される。歩くとは思えない。歩かぬとは無論云えぬ。小夜子は夢のように心細くなる。孤堂先生は過去の人間を圧し(つぶ)すために(みんな)が揉むのではないかと恐ろしがる。小野さんだけは比較的得意である。多勢(たぜい)の間に立って、多数より(すぐ)れたりとの自覚あるものは、身動きが出来ぬ時ですら得意である。博覧会は当世である。イルミネーションはもっとも当世である。驚ろかんとしてここにあつまる者は皆当世的の男と女である。ただあっと云って、当世的に生存(せいそん)の自覚を強くするためである。御互に御互の顔を見て、御互の世は当世だと黙契して、自己の勢力を多数と認識したる(のち)家に帰って安眠するためである。小野さんはこの多数の当世のうちで、もっとも当世なものである。得意なのは無理もない。
 得意な小野さんは同時に失意である。自分一人でこそ誰が眼にも当世に見える。申し分のあるはずがない。しかし時代後れの御荷物を丁寧に二人まで背負(しょ)って、幅の()かぬ過去と同一体だと当世から見られるのは、ただ見られるのではない、見咎(みとが)められるも同然である。芝居に行って、自分の着ている羽織の紋の(おおき)さが、時代か時代後れか、そればかりが気になって、見物にはいっこう身が入らぬものさえある。小野さんは肩身が狭い。人の波の許す限り早く歩く。

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