甲野さんはまた日記を取り上げた。青貝の洋筆軸を、ぽとりと墨壺の底に落す。落したまま容易に上げないと思うと、ついには手を放した。レオパルジは開いたまま、黄な表紙の日記を頁の上に載せる。両足を踏張って、組み合せた手を、頸根にうんと椅子の背に凭れかかる。仰向く途端に父の半身画と顔を見合わした。
余り大きくはない。半身とは云え胴衣の釦が二つ見えるだけである。服はフロックと思われるが、背景の暗いうちに吸い取られて、明らかなのは、わずかに洩るる白襯衣の色と、額の広い顔だけである。
名のある人の筆になると云う。三年前帰朝の節、父はこの一面を携えて、遥かなる海を横浜の埠頭に上った。それより以後は、欽吾が仰ぐたびに壁間に懸っている。仰がぬ時も壁間から欽吾を見下している。筆を執るときも、頬杖を突くときも、仮寝の頭を机に支うるときも――絶えず見下している。欽吾がいない時ですら、画布の人は、常に書斎を見下している。
見下すだけあって活きている。眼玉に締りがある。それも丹念に塗りたくって、根気任せに錬り上げた眼玉ではない。一刷毛に輪廓を描いて、眉と睫の間に自然の影が出来る。下瞼の垂味が見える。取る年が集って目尻を引張る波足が浮く。その中に瞳が活きている。動かないでしかも活きている刹那の表情を、そのまま画布に落した手腕は、会心の機を早速に捕えた非凡の技と云わねばならぬ。甲野さんはこの眼を見るたびに活きてるなと思う。
想界に一瀾を点ずれば、千瀾追うて至る。瀾々相擁して思索の郷に、吾を忘るるとき、懊悩の頭を上げて、この眼にはたりと逢えば、あっ、在ったなと思う。ある時はおやいたかと驚ろく事さえある。――甲野さんがレオパルジから眼を放して、万事を椅子の背に託した時は、常よりも烈しくおやいたなと驚ろいた。
思出の種に、亡き人を忍ぶ片身とは、思い出す便を与えながら、亡き人を故に返さぬ無惨なものである。肌に離さぬ数糸の髪を、懐いては、泣いては、月日はただ先へと廻るのみの浮世である。片身は焼くに限る。父が死んでからの甲野さんは、何となくこの画を見るのが厭になった。離れても別状がないと落つきの根城を据えて、咫尺に慈顔を髣髴するは、離れたる親を、記憶の紙に炙り出すのみか、逢える日を春に待てとの占にもなる。が、逢おうと思った本人はもう死んでしまった。活きているものはただ眼玉だけである。それすら活きているのみで毫も動かない。――甲野さんは茫然として、眼玉を眺めながら考えている。