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虞美人草 十五 (4)

时间: 2021-05-05    进入日语论坛
核心提示: 甲野さんはまた日記を取り上げた。青貝の洋筆軸(ペンじく)を、ぽとりと墨壺(すみつぼ)の底に落す。落したまま容易に上げないと
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 甲野さんはまた日記を取り上げた。青貝の洋筆軸(ペンじく)を、ぽとりと墨壺(すみつぼ)の底に落す。落したまま容易に上げないと思うと、ついには手を放した。レオパルジは開いたまま、黄な表紙の日記を(ページ)の上に載せる。両足を踏張(ふんば)って、組み合せた手を、頸根(くびね)にうんと椅子の背に(もた)れかかる。仰向(あおむ)く途端に父の半身画と顔を見合わした。
 余り大きくはない。半身とは云え胴衣(チョッキ)(ボタン)が二つ見えるだけである。服はフロックと思われるが、背景の暗いうちに吸い取られて、明らかなのは、わずかに()るる白襯衣(しろシャツ)の色と、額の広い顔だけである。
 名のある人の筆になると云う。三年(ぜん)帰朝の節、父はこの一面を携えて、(はる)かなる海を横浜の埠頭(ふとう)(のぼ)った。それより以後は、欽吾が仰ぐたびに壁間に(かか)っている。仰がぬ時も壁間から欽吾を見下(みおろ)している。筆を()るときも、頬杖(ほおづえ)を突くときも、仮寝(うたたね)の頭を机に支うるときも――絶えず見下している。欽吾がいない時ですら、画布(カンヴァス)の人は、常に書斎を見下している。
 見下すだけあって活きている。眼玉に締りがある。それも丹念に塗りたくって、根気任せに()り上げた眼玉ではない。一刷毛(ひとはけ)に輪廓を(えが)いて、眉と(まつげ)の間に自然の影が出来る。下瞼(したまぶた)垂味(たるみ)が見える。取る年が集って目尻を引張る波足が浮く。その中に(ひとみ)()きている。動かないでしかも活きている刹那(さつな)の表情を、そのまま画布に落した手腕は、会心の機を早速(さそく)に捕えた非凡の()と云わねばならぬ。甲野さんはこの眼を見るたびに活きてるなと思う。
 想界に一瀾(いちらん)を点ずれば、千瀾追うて至る。瀾々(らんらん)相擁(あいよう)して思索の(くに)に、吾を忘るるとき、懊悩(おうのう)(こうべ)を上げて、この眼にはたりと()えば、あっ、()ったなと思う。ある時はおやいたかと驚ろく事さえある。――甲野さんがレオパルジから眼を放して、万事を椅子の背に託した時は、常よりも(はげ)しくおやいたなと驚ろいた。
 思出(おもいで)の種に、()き人を忍ぶ片身(かたみ)とは、思い出す便(たより)を与えながら、亡き人を(もと)に返さぬ無惨(むざん)なものである。肌に離さぬ数糸の髪を、(いだ)いては、泣いては、月日はただ先へと(めぐ)るのみの浮世である。片身は焼くに限る。父が死んでからの甲野さんは、何となくこの画を見るのが(いや)になった。離れても別状がないと落つきの根城を()えて、咫尺(しせき)慈顔(じがん)髣髴(ほうふつ)するは、離れたる親を、記憶の紙に(あぶ)り出すのみか、()える日を春に待てとの(うら)にもなる。が、逢おうと思った本人はもう死んでしまった。活きているものはただ眼玉だけである。それすら活きているのみで(ごう)も動かない。――甲野さんは茫然(ぼうぜん)として、眼玉を(なが)めながら考えている。
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