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虞美人草 十五 (5)

时间: 2021-05-05    进入日语论坛
核心提示: 親父も気の毒な事をした。もう少し生きれば生きられる年だのに。髭(ひげ)もまるで白くはない。血色もみずみずしている。死ぬ気
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 親父も気の毒な事をした。もう少し生きれば生きられる年だのに。(ひげ)もまるで白くはない。血色もみずみずしている。死ぬ気は無論なかったろう。気の毒な事をした。どうせ死ぬなら、日本へ帰ってから死んでくれれば好いのに。言い置いて行きたい事も定めてあったろう。聞きたい事、話したい事もたくさんあった。惜しい事をした。好い年をして三遍も四遍も外国へやられて、しかも任地で急病に(かか)って頓死(とんし)してしまった。……
 活きている眼は、壁の上から甲野さんを見詰めている。甲野さんは椅子(いす)()り掛ったまま、壁の上を見詰めている。二人の眼は見るたびにぴたりと合う。じっとして動かずに、合わしたままの秒を重ねて分に至ると、向うの(ひとみ)が何となく働らいて来た。(せい)閑所(かんしょ)に転ずる気紛(きまぐれ)の働ではない。打ち守る光が次第に強くなって、眼を抜けた魂がじりじりと一直線に甲野さん(せま)って来る。甲野さんはおやと、首を(うごか)した。髪の毛が、椅子の背を離れて二寸ばかり前へ出た時、もう魂はいなくなった。いつの()にやら、眼のなかへ引き返したと見える。一枚の額は依然として一枚の額に過ぎない。甲野さんは再び黒い頭を椅子の肩に投げかけた。
 馬鹿馬鹿しい。が近頃時々こんな事がある。身体(からだ)が衰弱したせいか、頭脳(あたま)の具合が悪いからだろう。それにしてもこの画は厭だ。なまじい親父(おやじ)に似ているだけがなお気掛りである。死んだものに心を残したって始まらないのは知れている。ところへ死んだものを鼻の先へぶら下げて思え思えと催促されるのは、木刀を突き付けて、さあ腹を切れと(せび)られるようなものだ。うるさいのみか不快になる。
 それもただの場合ならともかくである。親父の事を思い出すたびに、親父に気の毒になる。今の身と、今の心は自分にさえ気の毒である。実世界に住むとは、名ばかりの衣と住と食とを(むさぼ)るだけで、頭はほかの国に、母も(いもと)も忘れればこそ、こう生きてもいる。実世界の地面から、(かかと)を上げる事を()し得ぬ利害の人の眼に見たら、定めし馬鹿の骨頂だろう。自分は自分にすべてを()てる覚悟があるにもせよ、この(てい)たらくを親父には見せたくない。親父はただの人である。草葉の蔭で親父が見ていたら、定めて不肖(ふしょう)の子と思うだろう。不肖の子は親父の事を思い出したくない。思い出せば気の毒になる。――どうもこの画はいかん。折があったら蔵のなかへでも片づけてしまおう。……
 十人は十人の因果(いんが)を持つ。(あつもの)()りて(なます)を吹くは、(しゅ)を守って兎を待つと、等しく一様の大律(たいりつ)に支配せらる。白日天に(ちゅう)して万戸に午砲の(いい)(かし)ぐとき、蹠下(しょか)の民は褥裏(じょくり)夜半(やはん)太平の(はかりごと)熟す。甲野さんがただ一人書斎で考えている間に、母と藤尾(ふじお)は日本間の方で小声に話している。

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