「陰気だねえ」と母は立ちながら繰り返す。
無言の人は立ち上る。上靴を二三度床に鳴らして、洋卓の角まで足を運ばした時、始めて
「窓を明けましょうか」と緩聞いた。
「どうでも――母さんはどうでも構わないが、ただ御前が欝陶しいだろうと思ってさ」
無言の人は再び右の手の平を、洋卓越に前へ出した。促がされたる母はまず椅子に着く。欽吾も腰を卸した。
「どうだね、具合は」
「ありがとう」
「ちっとは好い方かね」
「ええ――まあ――」と生返事をした時、甲野さんは背を引いて腕を組んだ。同時に洋卓の下で、右足の甲の上へ左の外踝を乗せる。母の眼からは、ただ裄の縮んだ卵色の襯衣の袖が正面に見える。
「身体を丈夫にしてくれないとね、母さんも心配だから……」
句の切れぬうちに、甲野さんは自分の顎を咽喉へ押しつけて、洋卓の下を覗き込んだ。黒い足袋が二つ重なっている。母の足は見えない。母は出直した。
「身体が悪いと、つい気分まで欝陶しくなって、自分も面白くないし……」
甲野さんはふと眼を上げた。母は急に言葉を移す。
「でも京都へ行ってから、少しは好いようだね」
「そうですか」
「ホホホホ、そうですかって、他人の事のように。――何だか顔色が丈夫丈夫して来たじゃないか。日に焼けたせいかね」
「そうかも知れない」と甲野さんは、首を向け直して、窓の方を見る。窓掛の深い襞が左右に切れる間から、扇骨木の若葉が燃えるように硝子に映る。
「ちっと、日本間の方へ話にでも来て御覧。あっちは、廓っとして、書斎より心持が好いから。たまには、一のようにつまらない女を相手にして世間話をするのも気が変って面白いものだよ」
「ありがとう」
「どうせ相手になるほどの話は出来ないけれども――それでも馬鹿は馬鹿なりにね。……」
甲野さんは眩しそうな眼を扇骨木から放した。