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九州の学生とともに 5_小泉八云_日本名家名篇_日语阅读_日语学习网

时间: 2024-10-24    作者: destoon    进入日语论坛
核心提示:5 教師と学生たちとの関係が少しも形式的ではないことを示す一つの例がある――旧藩校時代の師弟の親愛さを表している貴重な名
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 教師と学生たちとの関係が少しも形式的ではないことを示す一つの例がある――旧藩校時代の師弟の親愛さを表している貴重な名残の例である。本校の老齢の漢文の先生は生徒の誰からも尊敬されている。若者に対する影響力はすこぶる大きい。彼の一言で怒りの爆発を鎮めることが出来る。また微笑めば気高いものへと気持ちを向けさせることができる。というのは、彼は、青年たちが理想としている、かつての剛毅、誠実、高潔といったすべてのもの――「古き良き日本の魂」――を体現しているからである。
 彼の名は「秋の月」を意味する秋月(胤永かずひさ?悌次郎)というが、その郷土では有名な人物である。彼についての小さな冊子が写真入りで出版された。かつて彼は旧会津藩の身分の高い武士であった。公用方として早くから信任と権力のある要職に就いた。彼は軍の指揮官であり、諸大名間の交渉役であり、政治家でもあり、また地方の支配者など――封建時代の武士のやる役職にはすべて就いた。しかし、軍務や政務の合間にはずっと教師であったようだ。今日ではそのような教師は少ない。そんな学者たちも少ない。しかし、現在の老教授を見ると、彼の人がかつてその配下の血気盛んなサムライたちからいかに恐れられて――畏敬されて――いたかをにわかに信ずることはできない。おそらく若い頃峻厳さで注目された武士の温厚さほど魅力に満ちあふれたものはあるまい。
 封建制度がその存亡を掛けて最後の戦いを挑んだとき、彼は藩主の命を受け、恐るべき戦に参戦したが、この戦には藩士たちの夫人や小さい子どもすら加わっていた。しかし旧来の勇気と刀のみをもってしては戦争の新しい戦法には太刀打ちできなかった。会津藩の兵は破れた。彼は戦争を指揮した一人だったので国事犯として終身禁固の囚われ人となった。
 しかし、勝者である官軍?新政府は秋月氏を評価した。彼が名誉を賭けて戦った当の相手である政府は、新しい世代の若者たちを教育してくれるように彼に要請した。老先生は若手の先生たちから西洋の科学や言語を習った。しかし、彼は、中国の賢人たちの永遠の英知――忠義、名誉それに人間を形成するすべてのもの――を教えている。
 老先生の子どもたちの何人かは死んでしまった。しかし、彼は自分を孤独とは思わなかった。というのは、自分の教え子たちは皆息子も同然だったし、彼らもまたそのように敬意を表していたからだ。秋月先生は老いて歳を重ねるにつれて、神のように――神様のように見えてきた。
 美術に描かれた神様は仏様とは似ていない。神たちは、仏陀よりも古いものであるが、うつむきな視線をしておらず、また思索的な無表情さもない。彼らは自然を愛する。汚れなき孤独さがたえず付きまとっている。そして、木々の生命の中に宿っており、水のせせらぎの中で語り、また風の中を舞っている。かつて大地にあって彼らは人として過ごした。そして、土地の人びとは彼らの子孫である。神の霊として彼らは人間のままであり、多くの気質を持っている。神というのは人間の感情でもあり、また人間の知覚でもある。しかし、伝説中の人物として、また伝統から生まれた美術に現れたところでは、彼らはたいへんに愉しい者である。私が言っているのは、今日のような懐疑的な時代において無関心に彼らを扱った安い美術品のことを言っているのではなく、神々についての聖なる文献を説明している古美術のことである。むろん、神を表現したものは大きく変わるものである。しかし、あなたがた読者が神のごくありふれた伝統的なかたちとはどんなものかと尋ねるならば、私はつぎのように答える。「驚くほど優しい表情をした、微笑んでいる古い人である、と。彼は長く白い髭を生やしており、白い帯をした白い衣服を纏っている。」
 この高齢の教師の帯は、先日私の家を来訪された折りも丁度神道のそれのような黒い絹地のものだった。
 老先生と学校で会ったとき、つぎのように言われた。「慶事がおあり(j)のことは存じておりました。私がお伺いに参りませんでしたのは、私の老齢のためでもなく、お宅が遠方であったからでもありません。ただ、このところしばらく病に伏せっておりましたからです。いずれお伺い致しましょう。」
 そこで、ある明るい午後、秋月先生は祝いの品をご持参された――その贈物は簡素ながら古式の流儀に則ったもので王侯にもふさわしい品々であった。盆栽の梅の木は小さいながら、あらゆる枝や小枝に雪のような白い花をいっぱいに咲かせていた。また、珍しい竹の容器には酒が入っていた。それに美しい漢詩を書いた二服の巻物――漢詩は優れた書家であり詩人でもある人の作品として貴重なものである。そうでなくとも、老先生の直筆であるので私には格別に大切なものであった。この人が話したことすべてを私が十分に分かったのではない。なかでも私の職務についての愛情の籠もった激励――賢明にして鋭い助言――と彼の若い頃の不思議な話を記憶している。けれどもすべては心地よい夢のようであった。というのは、老先生がおわしただけで慈愛の情のように思われて、贈物の梅花の香りは高天原からの心地よい風のように感じた。そして、神様が来て去っていくように、彼も微笑んでまた帰って行かれた――神聖なるものすべてを残して。今は小さな梅の木には花はもうない。また冬が来れば再び咲く。しかし、人気のない応接間にはとても甘美なものがまだ残っている気配がする。おそらく聖なる老人の思い出だけが残っているようである。たぶんに、先祖の霊、「過去の女神」が、あの日、そっと密かに老先生の足跡を付けてきてわが家の玄関に入って、私のところにしばらく彷徨っていたからかもしれない。それはむろん老先生が私に好意を持って下さったからなのだ。
原注
(1)この文章は一八九四(明治二七)年の初めに書かれた。その後、仏語と独語は必修科目ではなく選択科目とされた。また、高等教育の修業年限はかなり短縮された。これらは故井上毅文部大臣の賢明な決断によるものである。英語も選択科目とすることができるような措置が採られることを期待する。現行の下では、英語は必修科目であるが、学習を強制することから何ら得ることはない。
訳注
(a)一八八六(明治一九)年の中学校令に基づいて、他の高等中学校をはじめ、第五高等中学校は一八八七年五月に設立された。一八九四年九月の高等学校令により、高等学校へ改組?改称された。
(b)丸山学?小泉八雲新考(講談社学術文庫一二二五、一九九六)七一頁は「本科三年、予科二年で、生徒は三〇〇人、教師は二八人」としている。ちなみに、明治二五年九月三〇日調という「第五高等中学校一覧 自明治二五年至明治二六年」(国立国会図書館デジタルライブラリー;http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812889)に名前が記載された学生数を数えると三八三名であった(ただし定員とは限らない)。約四〇〇名としてよいであろう。なお同「一覧」四〇頁には「ラフカヂオ?ヘルン」の名前も見える。
(c)この地名を現?福岡県田川郡添田町とすると、その距離からして熊本市まで二~三日の歩行遠足では無理かと思われる。
(d)ァ·ディプース(エディプスあるいはァ·ディプスとも表記)はギリシア神話の登場人物。
 テーバイの王ラーイァ」は、アポローンからもし子どもを作ればその子は父殺しとなるという神託を受けた。しかしラーイァ」は妻イァ~ステーとの間に男子をもうけたが、神託を恐れた彼は、殺すには忍びなく、男子を山中に棄てるように従者に命じた。
従者もまた山中にいた羊飼いに遠くへ連れ去るように頼んだところ、羊飼いは、子どもがなかったコリントス王とその妃にこの男子を渡した。
 成長したこの男子はァ·ディプースであるが、自分の両親を探す旅に出る。戦車に乗って旅していたとき、その途中でやはり戦車に乗ったテーバイの王ラーイァ」に出会うも、道を譲るよう命令されたが、従わなかった。このため彼の馬が殺されたので、怒ったァ·ディプースはラーイァ」らを殺した。彼は自分が殺した相手が誰かを知らなかった。
 ァ·ディプースはテーバイへと向かったが、テーバイではスピンクス(スフィンクス)という怪物に悩まされていた。スピンクスは女性の面、胸と脚と尾は獅子で、鷲の翼を持っていた。また、ピキァ◇山上に座して、そこを通る者に謎掛けをして、謎が解けぬ者を喰っていた。ァ·ディプースは、その謎を解いたため、スピンクスは自ら城山より身を投じて死んだ。
 スピンクスを倒したァ·ディプースは、テーバイの王となり、実の母であるイァ~ステーをそうとは知らずに妻とし、二人の男児と二人の女児をもうけた。その頃、テーバイは疫病に見舞われていたので神託を求めたところ、ラーイァ」の殺害者を除かなければならないとのお告げを受けた。その探索をしているうちに、ァ·ディプースは自分の素性を知ることになり、妻たる母は自殺し、彼は絶望してわが目をえぐり追放された。
 後に、「エディプスコンプレックス」の語源になった。
(高津春繁?ギリシア?ローマ辞典(一九六〇、岩波書店)参照)(e)ァ‰ペウス(ァ‰フェウス)はギリシア神話に登場する竪琴の名手。亡くなった妻を取り戻すために冥府に行き、得意の竪琴でうまくことを運ぶ。しかし、「冥府を抜け出すまで後ろを振り返ってはならぬ」と言われたが、ァ‰ペウスは出る直前になって妻が付いてきているかどうか振り向いてしまう。
(f)『フランケンシュタイン』はイギリスの小説家メアリー?シェリーの怪奇小説(一八一八)。科学者を目指す大学生のフランケンシュタインは、神をも恐れぬ行為となるにも関わらず生命の謎を解き明そうと研究し、ついに人造人間を作り出した。しかし、この存在は人間の心や知性を有しているが、容貌はきわめて醜い怪物のようなものとなったので、創造主は絶望して逃亡する。怪物は見捨てられ、また人間社会から嫌われたため、自分を造り出したフランケンシュタインの親類や友人を殺害するなど復讐をしていく。
 なお、青空文庫に邦訳がある(http://www.aozora.gr.jp/cards/001176/card44904.html)。
(g)登場する学生の姓については、『小泉八雲全集第四巻』(第一書房、一九二七)には訳者田辺隆次の解説があり、作中人物名の比定は安河内麻吉氏(五高第三回卒業生)の示唆によるとあって信憑性が高いように思われるも、曖昧な点もある。また、他の先行訳にも第一書房版の注に習って、訳文に姓名を入れたものがある。しかし、ここでは、姓名もあくまでもフィクションと考えて原文?底本のままとした。
 なお、丸山学?小泉八雲新考(前注b)も実名につき考証?言及があるので、第一書房版の注との相違を参考までに以下に挙げる(ただし、第一書房版にある出身?経歴などの部分は省略した)。
 念のため、当時の学生名簿は、ハーンの名前もある、前記「第五高等中学校一覧 自明治二五年至明治二六年」でも参照できる。同姓名が複数ある場合もある。
 登場順。最初が第一書房版の注記(?も注のママ)、/以後が丸山?小泉八雲新考によるもの。
岩井  →巌井敬太郎(第一書房版の注記)  /岩井敬太郎(丸山)折戸  →不明(?)  /不明
安東  →安東俊明  /安東俊明
安河内 →安河内麻吉  /安河内麻吉
亀川  →亀川徳太郎  /亀川徳太郎
水口  →不明。或は溝口三始(訳注?原文のMizuguchi をMizoguchiと見て) /不明川淵  →川淵楠茂  /川淵楠茂
隈本  →隈本茂吉  /隈本茂吉
財津  →不明(?)  /不明
宮川  →宮川和一郎  /宮川清 (訳注?丸山では第一書房注の「宮川和一郎」は誤りとし、卒業生名簿にも存在しないとする。しかし、前記「一覧」の名簿には存在する)
神代  →いずれにも言及なし
森   →森賢吾(?)  /森賢吾
野口  →野口弥三  /(言及なし)
(h)『アルケスティス』は、エウリピデスの作になるギリシア悲劇の一つ。
 ペライの王アドメートスは死期が迫っていたが、アポローンはかつてアドメートスに親切にされたことがあることから、身代わりを差し出せば命が助かると助言した。
 アドメートス王は老いて先き行く命が少ない身であるから自分の身代わりとなるよう実父母に要請するが、父母は感謝こそされ、息子のために命を差し出すような恩義はなく暴慢だと反論する。アドメートスは父母に対して命を惜しんだと責めた。
 このため、妻で妃のアルケスティスは、幼子のある身でありながらも、夫のために身代わりとなることを決心して死ぬ。アドメートスの友人であるヘラクレス(ハーキュリーズ)は、アルケスティスを冥府から救い出す。
(『アルケスティス』(呉茂一訳)ギリシア悲劇全集三巻(人文書院、一九六〇)参照)
(i)ハーン自身、学生は一般に英会話ができないとしており、また学生から教師に話しかけるということも、とくに安河内氏以外を除けばなかったことなどから、「この場面は恐ろしく想像的なものであり、かくあってほしいというヘルンの願望を表わしたものにすぎない」(丸山?前掲書八二頁)という見方もある。
(j)長男?一雄(一八九三年一一月一七日生)の誕生(熊本第二の家?外坪井)のことを指すと思われる。
 
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