返回首页
当前位置: 首页 »日语阅读 » 日本名家名篇 » 小泉八云 » 正文

死生に関するいくつかの断想 6_小泉八云_日本名家名篇_日语阅读_日语学习网

时间: 2024-10-24    作者: destoon    进入日语论坛
核心提示:6一一月一七日。 日本人の生活のうち、外国人が理解できない事柄について書いたら、驚くような本が出来あがろう。その中には、
(单词翻译:双击或拖选)
一一月一七日。 日本人の生活のうち、外国人が理解できない事柄について書いたら、驚くような本が出来あがろう。その中には、怒りがもたらす、稀とはいえないまでも、恐るべき結末についての研究を含むことになろう。
 国民的な傾向として、日本人はめったに怒りを外に現わさない。一般庶民においてさえも、重大な威嚇の場合でも、あなたの御恩は決して忘れませんよ、そして、こちらも受け取っていただいたことに感謝します、というような微笑みの請け合いの形を取ることが多い。(これは私たちの語感では皮肉の意味に聞こえるかもしれない。しかし、それは婉曲的なものに過ぎず――忌むべき事柄をその本当の名で呼ばないことである)しかし、この微笑みによる言質げんちはおそらく死を意味することになるのである。
 復讐は思いがけずやって来る。この国では、全部の荷物を小さな手ぬぐいにまとめ、ほとんど無限の忍耐をもつ仇討ち人は、日に八〇キロも歩くことが出来るので、距離も時間も妨げとはならない。彼は包丁を選ぶが、たいていは刀――つまり日本刀を用いるであろう。これは、日本人が手にする武器の中では最も致命傷をもたらしうるものである。一〇ないし一二人を殺すのに一分と掛からないだろう。殺人者も逃げようと考えることもない。古い慣習によると、他人の命を奪った者は自分の命も断つことが求められる。それゆえ、警官の手に落ちるようなことは、自分の名を汚すことになる。彼はあらかじめ準備を調える。遺書を認め、葬儀も取り決め、おそらく昨年の驚くべき例のように、自分自身の墓碑銘を彫らせることさえした。復讐を首尾よく果たすと、自害したのである。
 理解しがたい悲劇の一つが、熊本の街からさほど遠くない杉上すぎかみ村というところでちょうど起きた。主要な人物は、若旦那の成松一郎、その妻お乃登のと、両名は婚姻してわずか一年余り。それに、お乃登の母方の叔父の杉本嘉作かさく、気性の荒い男で、かつて入牢したことのある前科者。この悲劇は、つぎの四幕からなる。
第一幕。場面――公衆の湯屋ゆやの中。杉本嘉作は入浴中、そこへ成松一郎が入ってくる。服を脱ぎ湯気の中に入るも、親類の者がいるとは気がつかない。そして、叫ぶ。
「おゝ、こりゃ、むごう熱か! あゝ、地獄におるとはこのこつたい。」("地獄"とは仏教にいう地獄をいうが、一般には牢屋?監獄のことも意味する――この時は不幸にもたまたま一致した)
嘉作 (激怒して)おい、若造、喧嘩を売る気か? 何が気に入らんとか?
一郎 (驚いて、また恐怖して、しかし嘉作の調子に対抗するように)何ぃ! 何だと? 知ったことじゃなか。湯が熱いと言ったんだ! もっと熱くしてくれと頼んだ覚えはなか。
嘉作 (険悪である)俺の不始末で一度ならず二度までも牢屋におったが、そこの何が面白れぇんだ? 大馬鹿な餓鬼かちんぴらじゃねぇのか?
(互いに相手をにらむ。しかし、両者ともためらっている。他の者たちは自分に類が及ばないように、沈黙したままでいる。老いたのと若いのとが、互角ににらみ合いの格好になった。)
嘉作 (一郎が怒り出すにつれて、次第に落ち着いてきた)餓鬼のくせ俺と喧嘩する気か? 餓鬼たれが女房と何をした? お前の女房は、俺の血縁たい。俺は、――地獄から来た男の血だ。女房を俺の所へ返せ。」
一郎 (絶望的に、しかし、嘉作の方が強いと分かった)女房を返せだと? あの女を戻せと言ったかね。おお、すぐ返してやるたい。
 ここまでで十分、事の起こりは明らかになっている。一郎は、急いで家に戻り、妻の機嫌をとり、自分が愛していると約束し、嘉作の家にではなく、妻の兄弟の家に送り届けた。二日後、少し暗くなってから、お乃登の元へ夫が尋ねてきた。そして二人の姿は夜の闇の中に消えた。
第二幕。夜の場面。嘉作の家は戸締まりされ、灯りが戸の隙間から漏れている。婦人の影が近づいてくる。戸を叩く音。戸が開けられる。
嘉作の妻 (お乃登と分かって)おや、まあ、今晩は! お入いんなさいよ。お茶でもどうぞ。
お乃登 (とても優しく話す)有り難うございます。ところで、嘉作おじさんはいずこでございましょう?
嘉作の妻 隣村へ出かけましたばつてん、すぐに戻りましょう。まあ、入って、お待ちにならんですか。
お乃登 (やさしく)お構い下さりますな。なら、しばらくしてから、また参りまっしょう。まず兄に知らせて来なくちゃなりまっせん。
(おじぎをし、闇の中に滑り込む、再び影となり、もう一つの影と一緒になる。二つの影はじっとしたままである)
第三幕。場面――松の木のある、夜の川の土堤。遠くに嘉作の家の影。お乃登と一郎は木陰に、一郎は提灯を持っている。両人は頭には白い手拭いをきつく結んで、鉢巻き姿である。着物も端折って身軽くし、両手を自由にするために、袖もまた襷がけに結んでいる。二人はそれぞれに長い刀を手にしている。
 頃ころは、日本人が言うように川の音が最も高くなる時刻である。時たま、松葉を渡る風のざわめく音くらいしか聞こえない。もう秋も終わりの頃であり、蛙も鳴いてはいない。二つの影は、押し黙ったままである。川の音は次第に高くなった。
 突然、ザブザブという水音が遠くにした――誰かが浅瀬を横切っているのだ。そして下駄の音が――不規則な千鳥足で――酔っぱらいの足取りがだんだん近づいてくる。
酔っぱらいは声を上げた。嘉作の声だ。彼は唄っている。
「好いたお方にすいられて
 や、とん、とん」(1)
――愛と酒の唄である。
 二つの影は、すぐに、唄の方に走って近づいた――音がしないように。彼らは草鞋を履いている。嘉作はまだ唄っている。ふいに、足の下の石が動いたので、くるぶしをひねり、怒りのうなり声を発した。それとほぼ同時に提灯が彼の顔に近づけられた。おそらく三〇秒もそのままであったろう。誰も一言も発しない。黄色い灯りは三つの奇妙な、何とも言えない、顔と言うよりも顔面を照らし出していた。嘉作は酔っていたが――相手の顔に見覚えがあり、先日の風呂屋での一件を思い出しが、手にしている刀に気がついた。彼は恐れなかったが、どっとあざけり笑った。
「ヘッ ヘッ 一郎夫婦じゃなかか! また俺を赤児とでも思っとるのか。手に持っている奴でどうしようというとか? どんな風に使うか俺が見せちゃろう。」 一郎は、提灯を捨てて、突然に両手で刀を掴んで力一杯、嘉作の右腕から肩にかけて、一太刀を浴びせた。嘉作がよろめいたところを、女の刀が彼の左肩を切り裂いた。
彼は、「人殺しッ!」――とは"殺人"を意味する――と恐怖の叫びを上げて、倒れ込んだ。二度と声を上げなかった。一〇分あまりも、彼に刀が突き立てられた。提灯にはまだ灯りがあり、身の毛のよだつものを照らし出している。二人の通行人が近づいて来て、見ていたが、下駄をおっぽりだしたまま、一言も発せず闇の中へ逃げ去っていった。一郎とお乃登の両名は、なかなかの大仕事だったので、息をつこうと、提灯の傍に座った。
 嘉作の一四歳の息子が、父を捜すために走ってきた。彼は唄と叫び声を聞いた。けれども、怖いと感じたことはなかった。二人は彼が近づいてくるのと出会った。少年がお乃登に近づいたときに、お乃登は彼を捕まえ、突き飛ばして、細い腕をひねり上げて膝の下に組み敷き、刀を掴んだ。しかし、一郎は、まだ喘いでいたが、叫んで「違う!
違うぞ! そん子は違うたい! 何も悪いことはしとらん!」お乃登は、彼を放した。
少年はまだ放心状態だったので、動くに動けなかった。お乃登は彼の顔をぴしゃりと叩くと、「行け!」と言った。彼は走り去ったが――甲高い声を出す気力もなかった。
 一郎とお乃登は、切られた死骸を残して、嘉作の家へと歩いて向かい、大声でよばわった。返事はなかった。ただ、可哀想に、怯えてうずくまって死を待っている女と子どもたちがいた。しかし、彼らは怖がらなくてもいいと言われている。そのとき、一郎が叫んで
「弔いの支度をされよ! 嘉作おじは我が手によって死んだぞ!」「同じく、私も討ち果たしたり!」お乃登も甲高く叫んだ。それから、足音が遠のいた。
第四幕。場面――一郎の家の中。客間に三人が正座している。一郎、その妻、そして、泣いている老婦人。
一郎 さて、母上、他に男子もいないゆえ、この世にあなた一人ば残して先立つのは忍びなかこつです。お許し下され。叔父が面倒を見てくれまっしょう。私ども二人はもはや死ぬつもりですけん、叔父さんの家へ行ってくださりまっせ。私たちは、見苦しい死に方はしまっせん。見上げた、立派な死ですけん。看取る必要はなかです。さあ、行かれまっせ。
 老いた母親は嗚咽しながら退出した。そして、部屋の戸は固く閉ざされた。すべては整った。お乃登は、刀の先を喉にあてがった。彼女はなお苦しんでいる。一郎が、最後の優しい言葉をかけ、首を切って彼女の苦痛を終わらせる。
 それから?
 彼は、手箱を取り出し、硯を用意し、墨を摺り、良い筆を執って、注意深く選んだ紙に、五つの辞世の歌を綴った。つぎが最後のものである。
「冥土より郵ゆう電報があるのなら
 早く安着あんちゃく申し送らん」(2)
 そして、喉をりっぱにかき切った。
 さて、警察の取り調べから、一郎とその妻がみんなから好意を持たれていたこと、そして、二人とも幼いときから気だての良さは評判であったことが分かった。
 日本人の起源は科学的にはまだ解明されていない。一部マレー起源説を採用する者たちは、その見解に沿う心理学的な形跡があるとしているようだ。愛らしさというのは、西洋人がほとんど忘れ去ったものであるが、最もしとやかな日本の婦人の従順な愛らしさの下には、断固たる強情さが潜んでいる。ただ、この面は、実際に目撃しないことには全く理解できないものである。日本の女性は、幾度となく赦ゆるすことができ、またいじらしくも何度も自分を犠牲にすることができる。ところが、ある心の琴線に触れると、怒りの激情の炎に駆られるよりは、かえって赦してしまう。そうすると、突如として、か弱そうな女性の中に、信じられないほどの胆力が据わってくるのである。それは、本心からの復讐というべきもので、ぞっとするほどの、また冷静で飽くなき決意である。また、男性の驚くべき自己抑制や忍耐の下には、触れるととても危険で、堅固なものが存在している。それに不用意に触れようものなら、許されはしない。憤りはたんなる危険によってはめったに引き起こされないが、動機は厳しく吟味される。つまり、過ちは許されるが、意図的な悪意は決して赦されない。
 富裕な家庭の家では、来客に家宝のいくつかを見せたりするようだ。なかでも日本の茶の湯の作法にまつわる品々がそうである。おそらく、とてもきれいな小さな箱があなたの前に置かれる。それを開けると、中には、小さな飾り房の付ついた絹の通し紐で包まれている綺麗な絹の袋がある。絹はとても柔らかく、また選りすぐられたもので、丹念に織られている。そんな包みの下にどんな宝石が隠れているのか? 袋を開けると、その中にもう一つの袋がある。それは違った品質の絹でできたものであるが、これもとても素晴らしいものである。それを開けると、おやまあ! 三つめの袋があり、それは中に四つ目の袋を包んでおり、それはまた五つ目の袋を、それはさらに六つ目のを、そして、これはつぎの七つ目の袋を中に包み込んでいるといった具合である。こうして、読者はこれまでに見たことがないであろうが、七つ目の袋の中には、陶土でできた、じつに不思議な、また粗雑だが、とても固い器が入っているのである。この器は珍しく、また貴重なものである。それはおそらく千年以上も古いものであろう。
 これと同じように、何世紀にも渡る最も高度な社会文化によって、日本人の特徴は、礼節、繊細さ、忍耐強さ、柔和さ、それに道徳感情といった、多くの貴重で柔らかい被おおいで包み込まれている。しかし、これらのチャーミングで幾重いくえもの包みの下には、鋼鉄のように固い原始的な粘土が今もって残っているのである。それは、おそらくはモンゴル人の気質と――マレー人の危険な従順さとを捏こね合わせたものであろう。
(1)意味は「好きなお方にもう少しお酒を差し上げましょう」である。「や、とんとん」とは意味はないものの、私たちの「ヘイ! ホイ!」などと同じような相の手である。
(2)これは、「冥土から手紙や電報を送ることができるのなら、われら二人がここに早く、また無事に着きましたよと書き送るのになあ」というほどの意味である。
 
轻松学日语,快乐背单词(免费在线日语单词学习)---点击进入
顶一下
(0)
0%
踩一下
(0)
0%

热门TAG:
  • 上一篇:暂无
  • 下一篇:暂无