災害中の親
人々が、がれきを手で取り除いてゆく。やがて横たわった母親がみつかる。その母が右腕でつくったすきまの中に、生まれて間もない男の赤ちゃんがいた。インドネシア?ジャワ島を襲った地震で、母を失いながらも、がれきの下で生きのびた小さな命があった。
人们用手拨开瓦砾,不久后找到了一名躺卧着的母亲。一个刚出生不久的男婴放置在她右手所支撑出的空隙中。印尼爪哇岛大地震中,有一个压在瓦砾下的小生命失去了母亲,自己却活了下来。
大きな災害のさなかに、母親が自分の体をたてにして子どもを守り、本人は命を失うことが時に起こる。母の死が子の生を保つという、実に痛切で厳粛な営みには、心が震える思いがする。
时常会发生这种事,在大灾害中,母亲用自己的身体作挡箭牌来保护孩子,自己却失去了性命。母亲为了孩子能够活下来甘愿自己去死,这一痛切而严肃的举动,不由让人们为之所动容。
「ジョエルマの奇跡」と伝えられる出来事は、高層ビル火災の中で起きた。74年2月、ブラジルのサンパウロで25階建ての「ジョエルマビル」が炎上し、多くの人が高層階に取り残された。
在一场高楼火灾中,发生了一件被人传颂为"约耳满的奇迹"的事。74年2月,巴西圣保罗市内一座25层的"约耳满楼"着火,很多人被困在了高层楼上。
15階から、若い母親が子どもを抱いて飛び降りた。母親は、地面にたたきつけられて亡くなった。しかし、胸にしっかりと抱き続けていた1歳半の幼児は、けがひとつなく助かったという。母親の体がクッションとなった。
一名年轻的母亲抱着孩子从15层跳了下来。母亲摔到地面上去世了。然而她使劲抱在胸前的一岁半大的幼童却毛发无伤。母亲的身体起到了缓冲作用。
子どもの命を、父親が守った例もある。大正末期の関東大震災で、東京の当時の下谷区でも家々が倒壊した。ある父親は、4歳の息子を抱いたままつぶされていた。父は既にこときれていたが、かばっていた子どもの方は無傷だったという。
也有父亲守护孩子性命的例子。大正末期的关东大震灾中,东京当时的下谷区里房屋都倒塌了。一名父亲抱着4岁的儿子被压在下边。父亲已经断气了,而他所保护的孩子安然无恙。
ジャワ島で、がれきの下から生還した時、赤ちゃんには、まだ名前がついていなかった。祖父は、ジャンクン?プラボワオと名付けた。古いジャワ語で、ジャンクンは「生きる」、プラボワオは「神から授かった力」の意味だという。危うく消えかけた命に、再び、生きる力が授けられた。
爪哇岛上从瓦砾下救出的那名婴儿尚未起好名字。祖父便给他起名为"ジャンクン?プラボワオ",在古爪哇语中,ジャンクン意为"活着",プラボワオ意为"神赐予的力量"。再次赐予险些消失的生命活下去的力量。