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300篇精选中日文对照阅读 234 春の感じ

时间: 2012-10-07    作者: jpstudy    进入日语论坛
核心提示:守る目 昨日の夕方近くだった。広島市の女子児童の殺害事件について書いたコラムへの感想のお便りを手にした。幼い子をもつお母さんで、住んでいる九州の町でも、先日児童が車
(单词翻译:双击或拖选)

  雪がやって消えて、春が訪れると、いろいろな木がいっぺんに芽を吹き出します。生けがきのから松も小さな丸い芽を出します。から松の芽をつまんでかいでみると、きついにおいが発散して、鼻の穴の奥をくすぐります。わたしは春を確かめるような気持ちでいくつも芽を摘み取ったり、手のひらにこすり付けたりしました。そして木の芽のにおいをかいで、季節を感じるなんて、わたしひとりだろうと思っていました。

 

  春天的感觉

 

  冬雪消融,春天的脚步渐渐近了。各种各样的树争先恐后的发出了芽。用做篱笆的落叶松不知何时也发出了嫩绿的小圆芽,我摘下一片闻了一下,一股强烈的春天的味道扑鼻而来,直沁心脾。我一起摘了好几片叶子,想要确认一下春天是否真的来了似的,在手掌中翻来覆去地把玩。我想通过树的芽的味道来感觉季节的气息的人,只有我一个吧。

 

  あふれる

 

  月並みだがやはり五月は緑.心に浮かぶのは芽ぶいたばがりの新鮮な若葉、それに目にまぶしくあふれてくる緑だろう。美しくはれあがった日はまさにそのとおりで、あながちこのイメージも誤りとはいえないが、統計でみるという月、意外に雨の日が多いのだ。逆にいえば、その数少ない初夏のひの美しさ、輝かしさ強烈な印象をひとに与えている--ということになるだろうか。

 

  緑という言葉は、そに鳥-カワセミの羽の色から転じてきたものというのが、色名としては比較的新しいもので、古くは「あお」である。今でもわたちたちが、緑の葉をさして青葉といっているように、昔は青、青緑、緑にかけての色を「あお」という言葉で呼んでいだ。といっても、それは色彩に対する感覚が悪かったというだけのことだ。

 

  緑は心理学からは安息を与える色だろうだが、そくそくと芽ぶく山の緑を見ていると、その生気のすさまじさに攻めたてられる思いがする。「自然界において人間は消費者でしかない。微生物は還元者、植生のみが生産者だ。」という文章をたまたま新聞のコラムで読み、何かわかったような気がした。自然の生命力と向かい合うためには、こちらもあふれるたくましさがなければならないのだろう。

 

  生机勃勃

 

  虽说是屡见不鲜,但五月的绿色还是令人兴奋。脑海中浮现出的是刚吐出的鲜嫩绿芽,那也就是将会变得越发美丽茂盛的绿叶。上述印象未必能说是一种错觉,因为在这晴空万里的日子里的确如此。据统计,五月份雨天格外地多,相反,也许能这么说,初夏少有的,美丽而灿烂的阳光会给人带来强烈的感受

 

  据说绿色这一词汇是从"翠鸟"的羽色转义而来的,但作为色彩名是较新颖的一种说法,在古代则称作"青色"。就如现在我们指着"绿叶"叫它"青叶"一样,过去凡是与"蓝、深绿、绿"有关的颜色都用"青"这一词汇。话7是这么说,倒也不是对色彩的感觉不敏感,只是觉得没有必要把色彩分得那么细。

 

  据说绿色在心理上是属于"稳定情绪"的色彩。望着漫山遍野茁壮成长的绿芽,一种洋溢着春天生机勃勃的气息扑面而来。"在自然界中人类只是消费者,微生物是还原者,而只有植物群体才是生产者。"偶尔我们也能在报纸的评论栏中读到这类的文章,我似乎明白了一些什么。我们要与自然界中的生命相拥抱,自身也需要具有强健的体魄。

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