しかし、現実は甘くはなかった。試合に出されても全く私は打てなかった。みんなと同じ練習メニューをこなしているにもかかわらず打てなかった。そして打順も九番まで落とされた。しばらく私はなぜだろうと悩んでいた。
ある日の夕方、練習が終了した後ロッカーで帰宅の用意をしていた時、チームメイトの数人がユニフォームからトレーニングウェアに着替えていた。私は「何をしているんだ」と聞いた。友人は「ちょっと筋トレをしたいからジムに行くんだ」と答えた。私は驚いた。彼らは自ら率先して練習終了後ジムに行き、体力アップを図っていたのだ。ただ与えられる野球の練習の他に自らのレベルを自分で上げるために陰で当たり前のように努力をしていたわけだ。まるでプロのスポーツ選手のように「プロ意識」を持っている。自分の事は自分でという責任感が強いのだろう。私自身どこかに他人まかせの甘えがあったのだと思う。その違いが野球であらわれた。
アメリカの高校生をはじめ大学生、社会人とこの「プロ意識」を持っている人が多い。自分が責任を持って行動し、自分の地位を高めている。トッププロ選手の給料が高いのは彼らの行動力の結果を示すものであろう。アメリカ人がこの様な考えを持ったわけは「国境のなさ」があるのではないか。あの国は実に多くの人種が集まってくる。その中で自分の存在感をアピールするためには自分で責任を持って当たり前のように努力していく。そうしなければ生き残れないのだ。
最近日本人は責任感のない行動をとって問題を起こしている。これは国境のある民族の習性だ。皆「プロ意識」を持つべきである。