「良いか日本の少年よ、飛行機は戦争の道具でも金儲けの手立てでもない。飛行機は美しい夢だ」世界的飛行機設計者プローンが希望に溢れ、目をキラキラと輝かして二郎にこう言った。
これは宮崎駿が監督した映画『風立ちぬ』の一シーンだ。
飛行機を作りたいという夢を追い続けている一人の青年二郎は、機銃を載せた殺人マシンを作りたいわけではない。青年の夢の中では、限りなく広がっていく緑の畑が風に揺れ動き、白い雲の隙間から差し込んでくる日差しがゆっくりと飛んでいる飛行機の表面に映る。自然の壮大さと人類の創造力がこんなに完璧に一つになれるものかと感心させられる。しかし、青年が力を尽くして作り上げた零戦は戦争に使われるだけに、美しいはおろか、今、人々の心の中では醜い死神のようなものだ。そして二郎も殺人マシンを作った張本人として世間に批判された。
二郎の夢を壊す戦争は嫌いだ。しかし、結局、戦争に使った零戦だけれども、二郎が戦争の中でもひたすら夢を追いながら頑張って生きていくため美しく見える。
二郎は私に、ある日本人の先生のことを思い出させた。
日本語が好きで、日本語科に入ることができて何よりも嬉しかった。だから初めて日本人の先生の授業を受けた時、ドキドキしてやまなかった。五十音図さえ読めなかった私は授業後、その先生に変な発音で「日本語、大好き」と言った時、先生の溢れんばかりの笑顔と緊張して頬が真っ赤になった自分を今も昨日のことのように覚えている。いつも親切に教えてくれる優しい先生で、皆に愛されていた。しかしある日、先生と街を歩いていた時、ある店の前に真っ赤な字で「日本人禁止」と書いてある大きな看板が置かれていた。看板が大きくて、見て見ぬふりをすることさえできなかった。先生は一つため息をつき、苦笑いとともに漏らしたのは「ちょっと、寂しいよね」という一言だった。先生はとても明るい人で、授業中よく皆を笑わせながら知識を教えてくれたりしていた。普段の先生なら絶対言わないようなことで、私はまるで自分が言われたように胸が痛かった。
日中戦争が原因で、日本人なら誰でも悪い人と思い込んでいる人は決して少なくない。しかし、実際にその人と付き合ってみないと、実際に二郎の夢の中の美しい風景を覗いてみないと、本当のことは分からないと思う。先生は二郎のように、一人の人間として夢を追っている。そしてそのことの後も相変わらず元気いっぱいに教育に励んでいた。これからもずっと、先生というより、友人として長く付き合っていくだろう。
流されず、諦めずに夢を追いながら生きていくことこそ、どんな時代でも一番大切なことだと私は思う。それとともに、今日の日中関係の緊張状態を解く鍵はこの一人ひとりの付き合いの中にあることもしみじみ感じた。
2年生の時、日本から来たギタープレイヤーのライブの通訳を務めたことがある。曲と曲の間に、彼が自分の話を言い始めた。2011年東日本大震災の間中国でツアーをやっていた。電話は通じない、家族の安否もわからない、帰りたくとも帰れない大変な時期だった。そんな時でも、わざわざ自分の音楽を聞きに来る人々のことを考えて、ツアーを中断しなかった。思いもよらなかったことに、ライブ中、客は一緒に不慣れな日本語で「頑張って」「諦めないで」と大声で異国の地で不安と寂しさに襲われる自分を力づけてくれた。それで、4年ぶりの中国で、みなさんに感謝の気持ちを伝えたいという。この話を聞いて私は声が少し震えた。
「上を向いて歩こう」という次の曲の中で、大地震の恐ろしさを痛感したことのある人々の心がひとつになったような気がした。そして、媒介としてお互いの心を通わせることの出来る一人の通訳者として何ができるかもしみじみわかった。
一人ひとりが自身から芽生えた意識を元に行動するのが大切だと思う。そして、全体としてどんな些細な努力であっても周りの人間に大きな影響を及ぼすことができる。
日本語教育に励んでいる先生でも、音楽家を励ましたお客さんたちでも、感謝の気持ちを曲に込めた音楽家でも、そして、飛行機を研究する二郎でも、皆は何かしらの夢を持ち、情熱を注ぐ。時代の中で小さな存在であると同時に大きな存在とも言えよう。
風立ちぬ。しかし、大事なのは風向きではないと思う。激しい風の中でも自分の向く方向変えないことだ。