日本語を専攻にした以来、日本との繫がりが深まり、日本人と接触する中で、特に日本の大学生の職業についての考え方や大学生活の送り方などに驚いた経験は少なくない。
例えば、中国の学生の場合、学校の用事の合間に私的な約束を入れるのが通常の考えで、もし重なったとしても必ず学校を優先させるが、日本の学生は学校のことよりバイトなどの個人のことを優先することもあるようだ。
また、ある日本人の先輩の話を聞き、小学校、中学校からずっと一つの夢を追い続けていることを知り頭が下がる思いをしたこともある。中国での二十年あまりの日々を振り返ってみると、自分も含めて身近な同年代の知人にもそのような人は極めて少ない。なんとなく進学し、とりあえず卒業したら立派な仕事を見つけお金をたくさん稼ぎたいという考えが中国の若い世代の常識になっているのではないかと痛切に感じた。
数多くの異文化体験の中で一番印象深いのは、中日交流の一環として日本の小学生と交流をしたことだ。子供たちに将来何になりたいと聞いたところ、花屋さん、ケーキ屋さんなどの答えが飛び出して思わず驚いてしまった。なぜなら、中国の子供にこのような質問をすると、必ず科学者、数学者、会社の社長などと答えるからだ。
子供の憧れの職業にすらこのような違いがあることには実に考えさせられた。このような経験から、普段の生活で、日本の大学生の学校生活や私生活など、特に職業についての考えにさらに注意を払うようになった。
日本人の友達になぜ今の大学、そして学部に入ったのかと聞いたところ、驚いた顔で「興味があったからに決まっているでしょう」と返され、一瞬無言になったことがある。中国の若者は殆どが大学を選ぶとき、親・親戚・先生の意見や将来性の有無なども考慮に入れるからだ。
日本の大学生は、就職の際にも、収入や勤務時間・福利などを重視する中国の若者と正反対で、社風や人間関係、労働環境などのソフト面をより重視する傾向にある。大学院への進学を希望している学生も中国ほど多くなく、知っている同年代の日本人の友達の中に、大学院に入りたいと思っている人は一人もいなかった。
それだけでなく、学校生活の送り方にも中国といろいろ違うところがある。専門知識の修得に全力を傾ける中国の大学生に対し、日本の学生は部活動を非常に重視し、学校の授業を受けると同時にアルバイトや人脈作りなどの社会的勉強もよくしている。
中日大学生のそのような違いはその生きてきた時代の社会構造や周りの環境と無縁ではない。それらの経験から、私は両国の大学生と関わる情報を集めながらいろいろ考えた。
中国は若年層を中心として能力社会、学歴重視社会への傾斜傾向が強く見られる。大学院生の募集規模は、同募集が再開された1978年から、わずか30年あまりの期間に、50倍以上に拡大したという。大学院に入って自分の専攻分野の知識を一層深め、理想職により近づきたいと考える大学生は多い。住宅問題や恋愛・結婚、競争社会へのプレッシャー、両親の介護、就職難なども、進学を後押ししているようだ。メンツを重んじる中国社会で、高収入の大手企業に就職し親孝行したいと考えている大学生も多いのだろう。
一方、日本社会では、グローバリゼーションの進行により、個人主義化が徐々に進みつつあるが、欧米ほど個人主義が強い社会ではないため、能力主義、業績主義の影響を受けつつも、「集団主義」が主流を保ち、年功序列制度も崩壊せずに存続している。日本の「ゆとり世代」と呼ばれる大学生は「ゆとり教育」の中で育っており、教科書の内容だけではなく、思考力や人間性も重視した教育を受け、学校活動や社会活動への参加度が比較的高いなどの特徴があると言われている。日本の大学生のほとんどは、4年の間に様々な業種のアルバイトを経験し、社会に出るうえでの一般常識や、労働の大変さを経験している。家庭からのプレッシャーも中国ほど大きくなく、職業を選択するときには体裁などをあまり気にせず、精神面の充実をより考える。
両国の大学生が対照的な傾向を示しており、それぞれ問題点もあると思う。
中国の大学生は、勉強に集中しアルバイトをあまりしないため、「啃老族」のように金銭面で親に依存することが多いのだろう。
一方、日本の場合、「ゆとり教育」は歪みが出ており、学生の学力の低下が指摘されている。文部科学省はその問題を十分重視し、それまでの学習指導要領を改訂し、「ゆとり教育」からの脱却をはかった「脱ゆとり(教育)」を実施し始めた。
中国の学生は自立心を培い、日本の学生はもう少し勉強に力を入れる必要があると感じた。中国と日本は一衣帯水の隣国である。未来の責任を担っている若者たちがお互いに習い、相手の長所を取り入れ、自分の短所を補うことによって双方への理解を深められればと思う。
話がずいぶん逸れたが、日本を見ることで自分の国の特徴が見えてきたのは意外な収穫だった。逆に、自分の国の社会と文化の立場に立っているからこそ、日本社会と日本文化の特徴を一層しみじみと感知できた。中日交流の醍醐味と大切さはそこにもあるのではないだろうか。