とても些細な話ではあるが、親世代でよくこんな話があるというのは、やはりあの戦争が原因であろう。また、中国人の多くが「日本人は信用できない」だとか「日本製を買わない」などとぼやいていたり怨んだりしているのをよく耳にするが、そのような認識をもつに至る理由は、中日の民間交流が少なく、きちんと理解し合えなかったからだと思う。
確かに、中日が国交を結んでから、中日関係は今や最悪の状態に陥っていると言っても過言ではない。しかしその一方、ここ数年、中日交流がますます盛んになり、「政冷経熱」とよく言われている。政治面は完全に政府間の話なので、我々にはとても勝手に評価できるものではないが、民間での交流は我々にとって、一番身近で、中日関係の改善に影響を与えることができるのではないだろうか。
思うに、今やまさに「政冷経熱」の最中といってもいいだろう。中日交流が盛んになるにつれて、留日学生が年々増え、日本に旅行したりするのも便利になった。今年の国慶節の時も、また大勢の中国人観光客が日本の各地を訪れたそうである。それどころか、中国での日系企業がだんだん増えていくにつれて、日本人留学生や会社員なども各地で見受けられるようになった。経済低迷や少子高齢化社会が進んだ日本にとっては、中国の消費力や労働力がとても大切であり、また、発展中の中国にとっては、先進国の日本に、経済・教育・伝統文化の伝承などの分野で、色々と学ぶことが必要とされているのであろう。そういった意味では、やはり政治関係と関わりなく、中日交流がますます緊密になってきたといえるのではないだろうか。
身近なことからも常にそう感じられる。特に、一番感動的だったのは、大学時代の同級生が日本人と結婚したことであった。その日はちょうど卒業式の日でもあり、とても印象的な一日だった。実はその同級生である彼女は元々日本語専攻ではなく、法律学科の学生であったが、ある日本人留学生の男性と出会い、付き合い始めたことで、また一年生として日本語学科に入ろうと決意した。二人は順調に卒業して結婚したので、お祝いの気持ちも含めて、やはり国際結婚は素晴らしいなと言いたい。実を言うと、国際結婚というのはそれほど珍しいことではなく、ごく普通なことであるが、私はこのカップルを見て、「ああ、中日の架け橋なんだ」と思わず感心した。それがちょうど私が「愛新覚羅・溥傑伝」という本を読んで、大いに感動して泣かずにはいられなかった時であったからである。その本は偽満州国を背景とし、戦乱時代の溥傑と嵯峨浩二人の婚姻と運命を描いたものであり、二人が中日関係の複雑さにもかかわらず、万難を排し、一生を尽くして両国の架け橋となったという話であった。大げさかもしれないが、まさに国際結婚の模範である思う。今や国際結婚は珍しくはないけれども、これらのごく普通のカップルがたくさんいるからこそ、今現在中日の架け橋ができているのではないかとしみじみと感じた。
また、日本にも中国に関心のある人が大勢いるようだ。ウェイボー(中国版ツイーター)のホームページを開いたら、多くの日本人アイドルや中国在住の日本人が活躍している。山下智博などのウェイボーがとても人気らしい。ネット上だけではなく、民間の組織も少なくない。9月29日、ちょうど中日国交を結んだ43周年の記念日であるこの日に、私は上海日本学会の学術検討会を傍聴した。一番印象に残ったのは、白西紳一郎という有名人の話である。この人はまさに日本唯一の、生涯を以て中日友好事業に力を尽くした人と言える。五十年間にわたって六百回以上中国に来て、中国だけを訪問すると決意し、中国の発展を熱い目で見つめてきた。香港が中国に返還された時は香港へ、澳門返還の時も澳門へ、青蔵鉄道ができた時も直接西蔵へ行き、さらに、中国台湾の問題が解決できれば、車椅子に乗ってでも台湾へ行くつもりだと言う。台湾以外の中国各地を訪ねたそうである。それどころか、白西さんは中日青年交流のことを十分重視し、日本の中国人留学生を各方面で支えてくださった。胡錦濤総書記からも「白西さんは中国人の昔からの友人だ」と高く評価された。白西さんはまさに中日の架け橋と言ってもいいだろう。
中日両国友好のために、民間交流は実に大切なものだと私は信じている。素直な心を持って、お互いに理解し合うことを通じて、我々は微力ながらも中日友好に貢献できるのではないだろうか。